ごじゅうに粒め。

 ネイン君の許可をもらって物語を書くことにしました。

 拍手――!!!


 タイトルは……

『(後で考えます)』


「マリーゴールド、マリーゴールド」

「あ! あなた!!」

 青白く疲れた顔が、幼な妻の顔に陰を落とす。

「マリーゴールド。わたしのマリー……いや、仕事は順調だ」

「だったら、なぜ? わたし、ずっとこの子と一緒に待っていたのに」

「疲れているんだ。わかってくれ」

「いやよ! わたしを幸せにしてくれるんじゃなかったの? 約束よ」

「マリーゴールド。不可能は不可能なんだよ。今夜はもう寝る。いいね」

 彼女はハラハラと涙を流す。

「わたしだって……さびしいのに」


「この、疫病神! おまえが生まれてきたから!! 彼は冷たくなって、わたしを置き去りにして……疫病神!!!」

 なんどもマリーゴールドはくり返し罵った。

 自分の意思で産んだはずの我が子、ネインに。

 まだ一歳そこそこのネインは、傷ついていた。

「やくびょう……がみ?」

 おずおずとして聞き返す、ネインに、マリーゴールドはたたきつけるように言った。

「そうよ! この、役立たずが!! あっちへいけ!!! 出ていけ――」

 ネインは急いできゅうくつな靴を履いて、玄関を飛び出した。

 どこへも行くあてはなかった――。


「マリーゴールド」

 ネインはその透き通った歌のような声に顔を上げた。

 黄色い花が、道端の並木の下に咲いていた。

「って、いうのよ。きれいね?」

 君の方がきれいだ――ネインはそんなふうに思って、首を傾げた。

「マリー、ゴールド?」

 この花が?

 尋ねると、女の子は頷く。

「ママ……」

 ママと同じ名前だ。

 マリーゴールド。

 さあっとそよ風が吹いて、ネインはハッとした。

 女の子の明るい髪の毛が、ふんわりと波打って、きれいだ。


 本当に――きれいだ。

 ネインはぽーっとしていた。

 公園のブロックの上で隣り合って座りながら、女の子が歌った。

「バーラがさいたー、バーラがさいたー、まっかなバーラあがー」

「……バラ? バラじゃなくってマリーゴールドのうたがいい」

「マリーゴールドが好きなのね? ううん、っと……」

 マリーゴールドの花が、咲いていた。咲いていた。

 寂しかった僕の胸に、マリーゴールドの花が咲いていた――。

「ふわっとふんわり、かさねかさねて、花束にい――あ! ママ!!」

 女の子は行ってしまった。

「またね」

 と言って……。

「ママ、か……」


「あ、そうだ――これ、あげる」

 駆け戻ってきた女の子がキャラメルの箱をひっくり返した。

 五粒の白い紙につつまれたキャラメルが、ネインの両手いっぱいに落ちてきた。

「うわあ! ありがとう」

「ううん、いいのいいの――」

 女の子は笑って、去っていく――その姿を見送って、しばらく佇んでいると、夕方になった。

 ところが、ネインには行くあてがない。

 ママも迎えに来てはくれない。

 赤い夕焼けをにらんで、立ちすくんでいた。

 後ろで、ヒソヒソとささやくような声を聞いたが、ネインには関わりないこと――。

 公園の木々は真っ赤な夕日を浴びて、黒々とした影を落としている。

 その影の中に、ネインは異様な存在を見た。


 ぶひょひょひょ――その存在は言った。

「おまえの存在を夢にしたならば、すなわちそれは悪夢であろうよ」

 と。

「悪夢はわがはいの管轄――餌なのだ! 食ってやる」

 くわっと大口を開けたその中に、キラキラと鈍く光る歯が見えた。

 ネインは立ちすくむが、言い返した。

「ボクはあくむじゃないよ!」

 と。

「ボクはにんげんだ!」

 ざわ、と影がさわめいた。

 ぬうっと出てきたそれは――見たことのない姿をしていた。

 じっと、ネインを見下ろしてきた。

 大きな体躯だった。


「おまえは――おまえの存在はな、母親にとって悪夢そのものであろうよ」

「はは、おや?」

「ママのことだよ」

「ママ――? ママ!!」

 そうだ、こんなとき、ママが来てくれなくちゃ、ネインは助からない。

「たすけて! ママぁ――!!」

 暗い影が大きく膨らみ、ネインを飲みこもうとしている。

「うわあ――ん」

 あのとき出てこなかった涙が出てくる。

 なにより悲しかった時に、出てこなかった涙が。

「言ったろう。ママはおまえがうっとおしい。悪夢を見るのはおまえのせいだって言っている」

「うそだ!」

「うそじゃあ、ないよ……」


 ネインは手に持っていたキャラメルを二度、投げた。

 怪物の突き出た腹に、存外大きな音を立てて地に落ちたキャラメルは……。

 大きな爆発音とともに白い煙を吐き出した。

「キャラメル……すごいな!」

(これは、ぶきになる)

 ネインは残り三粒のキャラメルを、ギュッとにぎると公園の外へ走り出した。

「くっ、クソガキャあ……待てい!」

 黒い影は追いかけてくる。

 どこまでも。

 ネインは物陰に隠れるようにして、キャラメルを投げつける機会をうかがっていた。

 家には帰れない――こんな化物をつれていっては、いけない。

(ママを、まもるんだ)

 戦う理由さえ知らないというのに、その体は敏捷に動いた。

(あいつは、まもの。だれにも、ちかづけちゃいけない)

 息を切らせながら、駆けた。


(あいつはおおきくて、ちからじゃかてない。どうしよう。どうしたらいい?)

 手には三つのキャラメル。

 こんな時だがお腹が空いた。

 でも食べない。

 爆弾がお腹で破裂したら、死んでしまう。

(――そうか! あいつのおなかに、これをつっこめば……!)

 ぎゅうっと胃が縮む感覚がして、空腹を感じなくなった。

 戦闘状態にむりやり順応しようとしている。

 ネインはまだ一歳児だというのに!!

 その目は生粋の戦士のように輝いた。

(よし!)


「これでいく……」

 魔物がネインの心の底の恐怖をあざ笑うかのように膨れ上がった。

 静かな街路樹の公園から、家とは反対方向へ来ていた。

 にやり、とほくそ笑む化物。

「マトがおおきくなって、よゆうだぜ!」

 ネインはおおきく振りかぶってキャラメルを投げた。

 ――届かない!?

「ぶひょひょひょ。そのていどかねえ、悪夢くん」

「ボクはあくむなんかじゃない!」

「ママが恋しくないのかあい?」

(こいつ! ボクをゆさぶろうとしている!?)

 ネインは戦略的撤退を試みた。

「どこへ行ってもむだだよおん。ここはママの悪夢の中だからねえ……」


 休みなく走りながら、ネインは石につまづいた。

「あ!」

 ネインの足に痛みが走る。

「くっ!」

(あくむだったら、さめるはずのこのいたみ……ゆめじゃない。ゆめなんかじゃないんだ)

 背中で這いずって逃げるネインに魔物が迫る。

「うっ、うわあアー」

 ばくん、とネインは魔物の口の中。

 そこには銀河のごとき光と闇が満ちていた。

(くっ)

 ネインは握っていたキャラメルを星に向かって投げつけた。

 爆音はしなかった。

 かわりに、真夜中の現実に戻ってきた。


 見覚えのある箪笥棚に、電子フレームの家族写真が飾ってあり、白い壁にクリスマスの飾りつけ。

 ネインは不思議な思いでそれらを見た。

 クリスマスなどというものを、彼は知らなかった。

「ママ……?」

 マリーゴールドはガラステーブルの下で眠っていた。

 一人で飾り付けをしているのに疲れて、それっきりだったのだろう。

「あれは、ゆめ……?」

 鋭い痛みに足を見ると、淡い色合いの瓶が倒れかかっていた。

 ネインが起き上がってみると、ごとんと音を立てて瓶は転がった。

 手の中には一粒のキャラメル。

 ずっと握っていたのか、包み紙がペタっとしている。

 丁寧に紙を開いて、口に入れた。

(ああ、あまい……おいしい)

 ネインは自分が空腹であることに気づいた。

(ママ、ごはん……)


 パチリ、と音がして、部屋が明るくなった。

 とたん、マリーゴールドの体が跳ね起き、ドアに向かって駆け寄る。

「あなた!」

 突進してくるマリーゴールドを受け止めて、頭をかくその人物は、よく見ればネインに似ていた。

 ネインはこそっとキャラメルの包み紙をポケットに入れた。

「マリー、今夜は寝ていろって言っただろう……」

「あなた、今日はイヴでしょ」

 甘くささやく声音は別人のようだ。

「ママ」

 取り残されて、ネインは悲しくなるのをぐっとこらえた。


「明日は休暇願を出してきた」

「うそでしょ! クリスマスに!?」

「君のためだ」

「うれしい!!」

 マリーゴールドの華やいだ声がする。

 子供部屋で眠ったふりをしたネインのそばへ、近づく気配。

(ママ……?)

「君はママの宝物だ。ほうら!」

 はずんだ優しい声音が聞こえて、ネインの体が浮遊感をおぼえる。

 気づくとネインはふわっふわの雲の上にいて――

「うわ!」

 声をあげた。

「きれいだろう? ネイン」

「ママに、ママに見せたい――」

 ネインはポケットにしまった紙包みを出してじっと見つめた。

 ちょっとペタペタしている、キャラメルの紙。

 紫色に浮かび上がる空に、幾万ものイルミネーションが光っている。

「君は心のまっすぐな、うつくしい子供だ――」

 ネインが見上げると、おそらくその人は笑ったのだろう。

 真白なひげがたっぷりで、まゆげもふさふさしていて、顔の表情はわからないけれど――その瞳はやさしくカーブしていた。


 その夜。

 ネインは夢の中で、マリーゴールドの花束を持って、彼女に出逢った。

「ママ……」

 ママは――マリーゴールドは、本当に愛おしい目をして、ネインをなでてくれたのだった。


 了




 ああ、タイトルは『ビューティフル・チャイルド』がいいと思う。

「いい?」

 ネインは頷いた。

「ちょっと一歳児とは思えないほどかしこいんだけど、ネイン君は天才なのかな?」

 ネイン君はうんって頷いた。

 そうか。

 わたしは天才児の話を書いていたんだな。

 おやすみ。




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