第八章・兄の想いと母の優しさと弟の戸惑い
うつむいたまま、和弘はポツリポツリと語りだした。
「あの時、和也が『らしくない』って言ったんだ」
「は?」
全員が同じ反応で、短く聞き返した。僕は相変わらず意味がわからずはらをたて、塩山君も少しはらをたてているのかきつめの声で、他は不思議そうに短くふんわりとした感じでつぶやいた。
和弘はまた回れ右して、今度は全員に背中を向けるように、少し窓に近づいてから、ちからなくつぶやきだした。
「あの日、中学校での騒動を聞きつけて和也が来て、第一声がそれだった。『兄さんらしくない、あんな騒動に巻き込まれるなんて』って。和也にとっての俺ってなんだよって思った。喧嘩ごとに巻き込まれない、正義感のある真面目なのが俺らしさなのかよって。俺は、本当の俺はそんなんじゃねぇのに」
僕も卓真君も母さんも不思議そうに見守っていた。それを見た塩山君が声をかけた。
「和也、おばちゃん、実はあの騒動、和弘もがっつり関わってたんだ」
僕も母さんも目を大きく見開いて和弘を見た。和弘は振り返りざま塩山君に言い放った。
「余計なこと言うなっ」
「お前の話がまわりくどそうだったから、助け舟を出したんだよ」
「話が余計にややこしくなるだろ」
「けどおばちゃん、こいつ別にあそこまでの騒動にしようとしてたんじゃねぇぜ。最初は本当にただ話しあいに行っただけなんだ。部員仲間の一人を怪我させたお詫びをしてほしいってな。でも、他の部員仲間で血気盛んな奴がいてさ、そいつきっかけで乱闘騒ぎになって、それを止めようとした和弘も結果的に暴力ふるってしまってさ、で、きっかけは和弘だったからってことで、和弘が一番罰を受けたんだ」
そうして和弘は自宅謹慎を言い渡され、その謹慎一日目に僕は和弘の元へと向かった。
僕が、和弘の育ての親である大樹夫婦はその真相を知っているのか聞くと、和弘は答えずに、また背中を向けてしまった。代わりに塩山君がうなずいて答えた。大樹夫婦は自分たちに気をつかったのだろうと思った。それに気づいたのは母さんも同じのようで、涙を浮かべていた。
僕が母さんを見た時、和弘がまたつぶやきだした。
「いつだってそうさ、ばあちゃんといい和也といい、自分たちの理想の『兄貴像』を俺に押し付けて、俺はずっとそうならないといけないんだって思い込んでいた。俺も最初はそうするべきかなって思ってたさ。いつか、『双山』和弘に戻る時が来た時のために、必死で理想の『兄貴像』を演じてた。けど、塩山とかいろんな人と関わっていくうちになんか違うって思ったんだ。こんなの本当の自分じゃないって。そんな時に、本当は乱闘事件を引き起こした張本人の俺に向かって和也が、『らしくない』って言ってきて、ああ、こいつの見ているのは本当の俺じゃなくて、あくまでも理想の『兄貴』であり、ただの偶像しか見てないんだなって。そう思ったらなんかはらがたって悲しくて、だから、距離をとった」
そう言って和弘は黙り込んだ。肩が少し震えていた。もしかしたら泣いているのかもしれない、僕はそう思ったが、かける言葉が思いうかばなかった。すると、すっと母さんの白い手が伸びて和弘の体を抱きしめた。優しく、まるで壊れ物を壊さないように、優しく包み込んだ。
「和弘、今までよく頑張ったわね。でももういいの、いいのよ。もう偽らなくていいのよ」
和弘は小さく嗚咽して泣いていた。本当は泣き叫びたいのを我慢するかのように、背中を向けたまま泣いているようだった。
――僕は、僕はどうすればいい、こんなときどうすれば。
僕がそう思って悩んでいると、背中に誰かの手が優しくふれた。ゆっくりと振り返るとそこには、卓真君とユウ君とミネ君がいた。三人が同時にうなずいて見せた。多分それは、三人からの応援なのだと僕は思った。
僕は、再び和弘を見て、話しかけた。
「和弘、ごめん、僕和弘の事を傷つけてたんだね。本当に考えなしでごめん。今もどう言ったらいいかわからないんだ。だから、ちゃんと話してよ。僕が悪いところは何でも言ってよ。昔の和弘はそうだったろ。あの頃のように、何でも言ってよ」
僕のその言葉を聞いて、和弘は抱きしめる母さんを放して、両眼を手で拭って僕を見た。
「ああ、そうだったよな、昔が、何も知らなかった頃が懐かしい。なんでこんなふうになっちゃったんだろうな。何でこんなことに」
そう言って和弘は頭をかいてうつむいた。それが、恥ずかしがっているしぐさであることを僕は知っていた。だけれど、辺りが暗くなってきて、その姿もぼんやりとしか見えなくなった。
「和弘、僕は和弘の事決めつけていたわけじゃなかった。それどころか僕は何も言ってないよね、こんな兄でいてほしいって。きっとおばあちゃんに言われて、頑張って兄貴しょうとしてたんだろうけど、僕はそれが和弘なんだって思い違いしてた。でもね、僕にとって和弘は兄である前に親友なんだよ。ただ一人心許せる親友なんだ」
周りから「和也?」と不思議そうに呼びかける声が聞こえたが、僕は気にせず続けた。
「だから、僕は決して和弘の事、偶像として見てたわけじゃない。それはわかってほしい」
和弘はしばらく黙ったままだったが、顔をあげて答えた。
「ああ、わかったよ、俺のほうこそすまなかった」
「じゃあお詫びついでに一ついいかな」
「なんだよ」
「また、『兄さん』って言っていいかな。昔から兄が欲しいって思ってたから、『兄さん』って呼ぶことにあこがれてたんだ」
和弘と共にいた白髪の少年が「変なあこがれだな」とつぶやいたのが聞こえた。塩山君が白髪の子を殴っているのを横目にしながら、和弘は僕に話しかけてきた。
「ああ、いいよ。やっぱなんか調子くるうよ、和也に『和弘』って呼ばれると」
「どういう意味?」
そう言って僕が睨むと、和弘はただ笑って僕の頭を撫でた。
「ちょっ、何すんだよ、もう高校生なんだから、恥ずかしいだろ」
両手で振り払いながらも僕は嬉しくなっていた。ふと横を見ると、母さんがほほ笑んでいた。嬉しそうに、幸せそうに。こんな母さんを見たのは初めてかもしれないと僕は思った。
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