気の乱れなんて気にしない!

 家に帰って、部屋のベッドにうつ伏せに寝っ転がってあれこれ考えたって、これからどうするのか、どうなるのかなんて判らない。


 あの二人が付き合ってるわけじゃないならまだ失恋したわけじゃない、って思う気持ちもあれば、もう深い関係なんだろうからわたしが頑張ったって割り込む隙間なんてないんじゃないかって気持ちもある。


 判ってるのは、ハルトさんを好きだって気持ちだけだ。


 やだ。涙出てきた。どうしよう、止まんない。

 こんなに泣いたのなんて、お母さんがいなくなったって知った時以来かも。

 わたしにとってハルトさんって、それぐらい大きな存在になってたんだ。


「愛良、いいか?」


 ドアのノックの音と、お父さんの声が廊下から聞こえてきて、はっとした。


 外はすっかり暗くなってる。

 ベッドにうつぶせて泣いてる間に、現実世界から逃げるように、いつの間にか眠っちゃってたんだ。


 これじゃまるで小さな子供じゃないのさ。なっさけなー。

 目じりにまだちょっと残ってる涙を慌ててぬぐって、うん、って答える。わたしが泣いてたなんて知ったらお父さんに余計な心配かけちゃう。


 お父さんがドアを開けて、ひょこっと顔をのぞかせた。


「愛良……、寝てたのか?」

「あ、うん。映画館混んでたし、ちょっと疲れちゃったみたい」


 部屋の電気がついてなかったから、ここはうなずいておかないと。


「体調悪いのか? だったら今夜はやめておこうか」


 夢魔退治の話だ。


 そうだ、わたしにはやらなきゃならないことがあるんだ。こんなことで泣いてられない。強くなって、お母さんを探せるようにならないと。


「行くよ。ちょっと寝たらすっきりしたから、逆にいつもより元気かも」

「そうか。それなら頼もうかな」


 できるだけ元気よく、力強くうなずいた。

 けれど、嘘っぱちの元気はすぐに見破られちゃった。


『愛良、気が乱れておるぞ』


 顔を洗ってお父さんの部屋に行くと、サロメに指摘されてしまった。このじぃさんは、こんな時に目ざとくなくていいのに。


「何か心配ごとでもあるのか?」


 お父さんが目じりを下げて心配そうな顔になった。サロメ、余計なことを言わないでよ。


「ううん。サロメがいきなりお説教モードに入っちゃってんじゃないの。お年寄りは小言が好きだからね」


 サロメと周りの人の思念は繋がるけど、サロメを通してわたしとお父さんが直接繋がる、なんてことにならないから助かった。


『ふん、尻の青い小娘を相手にすると説教の一つや二つや三つや四つ、言いたくなるわ』

「言いすぎだから、それ」


 思わずふいちゃったじゃない。


「大丈夫なら、それでいいよ」


 夢の世界へ行く前に、まずは贄の情報の確認だ。


 今回の贄は女子大生さん。最近元気がなくなったっていうことらしいけど、家族も友達も理由は判らないんだって。

 風邪か体調不良か、って感じだけど、夢見の見立てでは夢魔が関わっている可能性が高いそうだ。それも、ちょっと強めの。


 中級夢魔か。気を引き締めないと。


「それじゃ、はじめるよ」


 お父さんが部屋の真ん中にしゃがんで、床に向けて手を広げて目を閉じる。

 空気が細かく震えるのを感じる。夢の世界への扉が開く時はいつも、この空気の振動と一緒にドキドキする。

 お父さんの手から白い光が出て、床の上に渦巻きを作る。


「いってらっしゃい。くれぐれも無理だけはしないようにな」


 見送りを受けて、行ってきますといいながら渦の中に飛び込む。


 夢の中は、今はまだ平穏だ。どこかで見たことあるような町が広がってる。まさに老若男女、いろんな人が行き来してる。まだ夢魔は現れてないみたいだね。さてどこに――。


『お主の心を乱しておるのは、ハルトか』


 って、なによ、せっかく夢魔退治に集中しようとしてんのに話を蒸し返さないでよ。


『うわべだけ平静を保とうとしても駄目だ。ここは精神世界だからな。お主もそれくらい判っておろう』


 判ってるよ。夢の中は精神力と強いつながりがあるから、狩人の心が乱れてると夢魔との戦いで不利になるって。だからこそ考えないようにしてんじゃない。


『……不利になったら撤退せよ。お主までどうにかなっては、父上が不憫だ』


 意外。サロメ今日は優しいじゃない。


『意外とは心外な』

「だって、いつもお小言ばっかりのガミガミ頑固ジジィだし」


 口に出して、あははって笑ったら、少し気分が上向いてきた。


 よっし、やるぞ! どんな夢魔だろうとこの愛良ちゃんがきれいさっぱり一刀両断だよ。


 夢魔の核を探さなければ、と思った時、まるでそれに応えるように景色が一変して、ちりちりと嫌な感覚が肌を這う。

 来たな。


 町の中だったはずが、どこかの建物の中になっている。これは、喫茶店?

 お客さんとか店員さんとかもいるけど、すぐに判った。目立たなさそうな端っこの窓際に向かい合わせで座ってる女の人、二人から嫌な気配を感じる。

 二人とも大学生さんぐらいのお姉さんだ。どっちかが贄さんだろう。


 夢魔の放つ嫌な気とは別の、険悪な雰囲気に包まれちゃってる。

 けんかの場面かな。それがトラウマになってて夢魔に利用されちゃってるのかもしれない。あの二人のどっちかが、あるいはどっちも夢魔の化身なんだろう。

 正体を現したら、飛び込んでって斬ってやる。


「彼から電話あったんだけど、あんたと付き合うことになったから別れるって、どういうこと?」

「ごめんね……。でもわたしが奪ったとかじゃなくて、彼がわたしのことを好きだって熱心に言うから……。何度も断ったんだけど」


 ロングヘアの気の強そうなお姉さんが、向かいに座ってるいかにも内気っぽいお姉さんに詰め寄ってる。

 責められてるお姉さんは、あごのラインにかかる髪が細かく震えるくらいに小さく縮こまっちゃってる。


「じゃあ最後まで断りなさいよ。アイツはわたしと喧嘩になってたから、あんたにちょっとフラっとしてるだけなのよ。あんたみたいな言いたいことも言えないような子、アイツの好みじゃないんだから、付き合ったって泣きを見るからね。さっさとアイツを返してよ」


 ロングヘアのお姉さんがどんどんヒートアップしてきた。

 うわぁ、これが修羅場ってヤツだね。ドラマ真っ青だよ。


『お主がそのようなドラマを見るなど十年早いわ』

 えー、クラスの子でも見てる子もいるんだから。

『ふん、ませガキどもが』


 お姉さんの「口撃」は、それからしばらく続いた。目の前のお友達をさんざん罵って、乗り変えようとしてる彼氏に対する不満もぶちまけて、とうとう言うことがなくなっちゃったのか、肩をいからせたまま息を荒くして、黙り込んだ。


 それまで、黙って怒りの刃を受け止めていたお姉さんが、下を向いて小さく震えてる。

 そりゃそうだよね。あんだけ責められちゃったら誰だって怖い――。


 って、なんか笑いだしてるよ。罵倒され続けてヘンにキレちゃった?

 今まで攻撃を受けてきたお姉さんの笑い声はだんだん高く、大きくなってく。ロングヘアのお姉さんもぎょっとなった。


 狂気のようなものを感じる。攻撃してる方が夢魔かと思ってたけど、笑ってるこいつの方が、夢魔か?


「あー、おかしい! ほんっと、あなたって昔からそうだよね。自分が手に入れたモノの管理ができなくてさ、何度わたしが尻ぬぐいしてきたと思ってんの。彼氏の管理もしっかりやらないからわたしが後始末してあげるんじゃないの」


 お姉さんの狂気の笑いがお店の中に響く。他のお客さんやウェイトレスさんが怪訝な顔で見ようが、咎められようがお構いなしだ。

 最初に責めてたお姉さんも、まさかの展開に目を見開いて固まってしまってる。

 まさに、事実は小説より奇なり、ね。


『これは夢だからな。すべてが真実とは限らんぞ』

 でもこれと似たようなことがあったんじゃない?

『かもしれんな。げに恐ろしきは女』

 サロメがカタカタっと震えた。わざとらしいよその動き。


 わたし達のそんなやりとりの間にも、反撃に転じた女の人が更に追撃をかける。


「わたしは言いたいことが言えないんじゃないわよ。あなたみたいにいつでもどこでも垂れ流しにするのがイヤなだけ。あの人がね、あなたは最初は明るくていい子だって思ってたけど、付き合ったらとんでもなくがさつでうるさいだけの女だって、うんざりしたって言ってたのよ。わたしもそう。もうあなたとはこれっきりにするから、はっきり言っちゃうわね」


 たじろいでるお姉さんに顔を近づけて、夢魔の化身かもしれない女がニヤリと笑った。


「わたしね、子供ができたの。もちろんあの人の子よ。だからあなたはもう諦めてよね」


 子供……。


“夜のお付き合いから始まる恋、なんてのも面白いわよね”


 瞬間的に思いだしたのは、ハルトさんの向かい側に座ってたオバ姉さんの、ちょっと意地悪そうな笑顔だった。

 子供ができたと得意げなあの女も、オバ姉さんとそっくりの顔だ。


 あの後、ハルトさんとオバ姉さんがどうしたのかは知らない。

 でも、今夜お付き合いするってことは、あっさりとうなずいてたよねハルトさん。あのままデートに行ったんだろうか。


『集中力を乱すな愛良。夢魔が正体を現すぞ』


 サロメの声が頭に響いて、はっとなった。

 空気が震えてる。夢魔のしわざ?

 ……ううん、違う。これは夢の主の感情の揺らぎだ。

 すごいマイナスのエネルギー。怒り、悲しみ、憎悪、嫉妬、いろんなものが渦巻いてる。


 そして最後に大きく膨れ上がったのは、絶望だ。

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