そいつには勝てなかった

@wizard-T

そいつには勝てなかった

 秋のある日、牧場に新しい仲間がやって来た。そいつは、実にのんびりとした顔をしてた。

「よろしく頼むぜ」

「はい」

 ここには、たくさんの馬がいる。でもその馬のほぼすべてが、競走馬としての使命を果たし終えたような出がらしだ。中には、種牡馬になりながらここに流れて来たような奴もいる。しかしこいつは、どっちにも見えない。

「お前さん、いくつだよ」

「三歳です」

 戦績って奴はどうなんだ、そう聞かなくて良かったよ。三歳って言えば競走馬で言えば花も盛りの時期じゃねえか、そんなんなのにここに来たっつー事は、まあそういう事なんだろう。俺は気の毒な気持ちで、その新入りを見た。

 しかし実に不思議な奴だ、仮にも速く走れと訓練を受け続けて来たはずなのにずいぶんとまあおっとりとしている。そのくせ足の運びとかは、きっちり調教されて来たやつのそれだ。


「ケガでもしたのかよ」

「していませんけど」

 俺は最初そうだと思った、本当はまだまだ走れたはずなのにケガをしてこんなところに来る羽目になっちまったんだろうって。でもそいつは首を横に振った。

「ここに来ることになっちまって、なんか残念な事とかねえのか」

「何にもありません」

「競馬場の上でやり残したこととか」

「何にもありません」

 調べてみたら、こいつの父親も母親もかなりの名馬で生まれた時から相当に期待されていたらしい。そんで結果は、7戦走って全部シンガリ。それでいてこいつは、こんなまるっきり悔しくなさそうな顔をしてやがる。


「お前な、乗馬になるって事の意味わかるのか」

「あんまりわかりません」

 こいつはいったい、何を楽しみにしているんだろう。いや、何を楽しみにしていたんだろう。サラブレッドっつーのは、いい血統を残すために戦うもんだ。俺の場合、競走成績がそのレベルに達してない事が分かった段階であきらめはついたがこいつはまだ三歳だぞ。いくら戦績がひどすぎるからってここまであっさり諦められる物か?


「昔、俺が競馬場にいた頃にはよ、隣の馬房にものすげえ名馬がいたもんだ。そいつはたったの16戦で8億円以上の金を稼いだ」

「へー」

「競走馬の価値って奴は、どんだけ金を稼いだかで決まる。俺はその」

「16回も走れるだなんてすごいですね」

 16戦に対する返答が、16戦。こいつの頭にはGⅠとか賞金とか、そういう思考がないんだろうか。全部シンガリって事は、賞金はゼロって事になる。競走馬としては最低じゃねえか。それなのに、こいつは実に平然としてやがる。

「俺なんかよ、六歳いっぱいまで48回も走った。それで3度しか勝てなかった」

「48回!?」

 案の定、俺の唯一無二の栄光の数字をぶつけてやったら簡単にビビった。あんなにのほほんとしてた奴が、しっぽもたてがみも逆立てて俺の事をにらんで来た。

「そうだよ、48回も一着になりたくて走った。でもできなかった。お前さんは一体、何べん一着になろうとして走った?」

「そ、そんな事、一回もありませんよ。みんなで一緒に」

「お手々つないで仲良く走れだって? 出来るわきゃねえだろ。どうしてもって言うんならものすごく速く逃げて他の奴らを待つって言う、とんでもないいじめをするしかねえな」

「ひどいですよ!」

「ひどい? 俺のように枯れ果てたやつは他にはいねえぞ」


 先輩風を吹かせる趣味はない。でも仮にもこの牧場の先輩として、その心構えや過去の話って奴を知りたかった。だから、徹底的に聞き出してやるつもりで問い詰めてやった。

「どうしてみんな、急ぐんですか? 急ごうとするんですか? 教えてください、そこまで言うのならばわかるでしょう!」

 ————————その返答がこれだった。聞いた瞬間、ああ俺はなんてえバカな事を言っちまったんだと言う後悔に包まれた。こいつは元から、ここに来るべき存在だった。それだけだったんだ。

「死にたくなかったんだよ、たったそれだけだ」

「そのために走ってたんですか」

「ああ、死にたくなかったからだ。お前さんだってそうだろ」

「はい」

「でもお前さんはその気もなかったのに死なずにここにいる。だからたぶん正しくはねえ、答えなんてひとつじゃねえって事だ」

「わかりました、これからも仲良くしてください」

 よう隣の馬房の名馬様。俺は今日、もう一頭ひとり二度と勝てない奴を見つけちまったよ。お前さんはどう思う、こいつを見てさ?

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