赤い星の夜

川辺都

赤い星の夜

 赤い星が輝く夜は注意が必要だ。赤い星は私たちの魔力を高め、高まった魔力に人は狂ってしまうから。

 一級魔道師であるオニキスが姿を消したのも赤い星が輝く夜だった。次の日の朝、魔道師連盟から連絡を受け現場に向かった私は人の多さに呆然とする。いつもは静かな高級住宅地であるそこは大勢の魔道師と野次馬でごった返していたのだ。

「ミルキー特級魔道師、おいでくださいましたか」

 二級のエンブレムをつけた魔道師たちが頭を下げ道を開けてくれた。私は特級魔道師の名に恥じないよう鷹揚に頷き、そこを通る。

 史上最年少で特級魔道師に任命されてからしばらく経つ。日々の精進の賜物か最近では周りも私を認めてくれていた。最初の頃は「若い小娘が」とやっかみが酷かったものだ。

 人は誰しも魔力を持っている。しかし、魔道師としてその力を使いこなせるのは特に強い魔力を持った一握りの人間。特級魔道師はその魔道師の中でも魔力・技術が特にすぐれた者に贈られる最高の位である。

 そして、特級魔道師は様々な権限を得られる代わりに様々な義務も持つ。連盟からの要請で不可解な事件を捜査することも、その義務のうちの一つであった。

 伝え聞いた事件のあらましはこうだ。昨夜遅く、屋敷の主人であるオニキスの私室から煙が出ていた。火事かと思った使用人が慌ててドアを開けると、充満していた煙は急激に収まり、部屋の中は空だった。屋敷中を探したがオニキスの姿はどこにもなく、使用人たちは夜が明けてから魔道師連盟に通報をした。

 捜索の魔法で探してみても、オニキスの気配は感じられなかった。彼はこの世界のどこにもいない。

 この不可思議な事件の捜査責任者として、特級魔道師の私が派遣された。いつもながら厄介なことばかり回ってくる、と内心でため息をつく。

「煙の原因は、火事ではなかったのね」

「はい、そのようです。煙は」

 二級魔道師は床に転がっているランプに視線を向けた。

「あのランプに吸い込まれていったそうです」

「触ってもいいかしら」

「はい。お気をつけ下さい」

 私は屈んでランプを拾い上げた。一見して普通のランプであるが、触ってみると熱い。そして、表面に細かい文様と文字が彫られていた。

「封印魔法ね。オニキス……名前が彫られている」

 細かい文様は封印魔法を示すもの、文字は消えた人間の名前であった。このランプは封印具であるようだ。誰かが下手に触って封印を発動させては大変だと、私は立ち上がって尋ねる。

「他に、同じようなランプはなかったかしら?」

「こちらに」

 飾り棚の奥から同じ文様のランプが二つ出てきた。名前は書かれていないこの二つも合わせて、連盟に調査を依頼することにした。




 朝から事件の捜査に忙殺されてしまったが、今日の私には外せない予定があった。ランプの調査には時間がかかるというので、屋敷の調べ終えた後、予定の場所へと出かける。

「ミルキー特級魔道師、お出かけですか?」

「ミルキーさまこんにちは、いいお天気ですね」

 街の秩序を守る特級魔道師は一般の人々からも慕われている。私は笑顔で手を振って声に応えた。

 バスケットにいっぱいのお菓子と果物を詰め込んで、向かう先は孤児院だ。私が十歳まで育ったここは、今も何らかの事情で親の庇護を受けられない子供たちがよりそって暮らしている。

「あ、ミルキーさまだ」

「ミルキーさま、こんにちは」

「こんにちは。お菓子をたくさん持ってきたわよ」

 駆け寄ってきた子供たちが行儀よく並ぶ。子供たちの頭を撫で、話しかけ、お菓子をあげると、その度に歓声が辺りに響いた。

「やあ、ミルキー」

「アゲート、お久しぶり」

 この孤児院を運営しているアゲートが奥から現れた。彼もここの出身で、小さい頃は兄妹のように育った仲だ。

「今日は来れないのかと思っていたよ。何か事件があったみたいだね」

「ええ。でも少し時間が空いたの。子供たちの顔が見たかったから」

 そうか、とアゲートが笑った。

 その笑顔に、朝から強張っていた頬が緩んでいくのがわかった。

 魔道師ではないアゲートが使える一つの魔法。子供の頃から私の心を穏やかにしてくれる特別な魔法だ。

 他愛もない言葉を交わす。私の心が更に凪いでいく。彼の声が心地よい。彼とずっと一緒にいたいと願う。けれど、アゲートは私を妹のように扱うし、特級魔道師になったばかりの私が気持ちを伝えるにはまだ早い。

 今は見ているだけ、それでいい。アゲートはいつでも私に笑顔をくれる。

「顔がにやけてるわよ、ミルキー」

 声に振り向くと見知った顔がリンゴを齧っていた。子供たちのために持ってきたそれを勝手に奪われ、思わず顔をしかめた。

「ネフライト」

 アゲートが声をかけるとネフライトは片手を挙げて返事をした。彼女はこの施設で一緒に育った仲でもあり、同じ先生に師事した魔道師の仲間でもある。ただし、彼女は三級魔道師。一級魔道師の実力があるところを、素行不良で据え置かれているのだ。

「ネフラ、服を着なさい!」

「着てるじゃない」

 胸元と腰回り以外に布のない衣服をつまんで彼女は肩をすくめる。

 彼女は素行が悪い。様々な男性との噂が絶えないし、天から与えられた魔道師としての才能を、怪しげな魔道薬を作って売りさばくことに使っている。

 どうして、と思う。どうして彼女は魔道師の資格を剥奪されないのだろうか。こんなに素行も態度も悪くて、なのにどうして先生は、この子を破門しないのだろう。

「ネフラね-ちゃん」

 ちょこちょこと小さい女の子がネフライトに近づく。

「どしたの? ルチル」

「あのね、きのうね、ルチルころんだの。でね、院長先生がね、よしよしってしてくれたの」

「よかったじゃない。治んなかったら言いなさい。薬、安くしとくわよ」

「ネフラ!」

 嗜めるように名を呼ぶとネフライトは緩慢な動作でこちらを向いてリンゴを齧る。

「どうかしたの? 『慈愛の魔道師』さん。ああ、最近は『微笑みの魔道師』っていうんだっけ?」

 どちらも私の通り名である。彼女にそう呼ばれると馬鹿にされているような気がして無性に腹が立った。

「あなたいい加減にしなさいよ」

「いい加減にしてるわよ」

「ちゃんと昇級試験を受けなさいよ。先生が心配してらしたわ」

「ユナ爺は弟子の階級を気にするジジイじゃないわよ」

 口の端を上げて、ネフライトは片手で自分の右目を猫のように吊り上げた。

「こんな顔になってるわよ、微笑みの魔道師さん。外でそんなヒステリー起こしちゃ、名前に傷がつくわよ」

「誰のせいよ」

「まあまあ、ミルキー落ち着け。ネフラがこうなのは今に始まったことじゃないだろ」

「アゲート。でも、ネフラが出入りしてたらここの子供たちにも悪影響が出るかもしれないわ」

「うわぁ、酷い言われよう。みんな、ネフライト先生は反面教師ですからね。こんな大人になっちゃいけませんよ」

 からかうような調子のネフライトを睨みつけた。彼女の周りに集まった子供たちが素直に「はーい」と返事をする。

 どうして?

 どうして彼女はいつもこうなのだ。こんな彼女にどうして私はいつも。

 俯いて唇を噛んだ。帰ろうと思った。やらなければいけないこともあるし、これ以上いるとアゲートの前で、彼女が何を言い出だすかわからない。

 表情を作ってから顔を上げる。名残惜しくアゲートに別れを告げた。入り口に立つネフライトの隣は挨拶せずにすり抜ける。

「オニキスは不老不死になる方法を探してたわよ」

 思わず立ち止まって彼女の方を向いた。ネフライトはリンゴの最後の一口を齧る。

「随分前だけど、『不老不死になる薬はないか』ってうちに来たことがあるの」

「それは、つまり……」

 ネフライトは芯だけになったリンゴをつまんでプラプラと振った。

「リンゴ代はこれでいいかしら。特級魔道師さん」




 次の日、もう一度オニキスの屋敷を調べてみた。確かに、彼の所持している文献は不老不死について書かれたものが多い。悔しいが、ネフライトの言ったことは本当だったのだ。昨日これに気づかなかった自分に腹が立つ。

 そして、封印魔法に関する文献も多い。不老不死と封印魔法。オニキスが消えた部屋に転がっていたランプ。私は唇を噛んだ。封印具の中では時が流れない。だが、封印具の中は光も闇もない永遠の監獄だ。そんなことを本当に行うだろうか。

 釈然としない仮説を胸に連盟本部へ向かった。ランプの調査を担当しているのはユナカイト特級魔道師である。老齢のユナカイト先生は封印魔道に関する研究の権威であり、私の魔道の先生でもある。

「先生、ユナカイト先生」

 連盟本部にある先生の部屋のドアを開ける。椅子に腰を下ろした先生は首を傾げてこちらを見た。

「ミルキーか、どうした?」

「ランプの調査の進展具合をお聞きしたくて参りました」

 自慢の白いヒゲを撫で先生は答える。

「鍵となるのは名前じゃな。ランプに名前を刻まれた人間はあの中に封じ込められる」

「では……」

 先生は重々しく頷いた。

「あのランプの中にオニキスはおるよ」

 封印の発動条件は解明した、と先生は言った。蓋を取り、ランプに彫られた名前の持ち主が自分の名前を口にすると封印が発動するのだそうだ。

 ややこしい封印方法だと先生は言った。私はオニキスの部屋の様子と自らの仮説を語った。先生はゆっくりと頷いてくれる。

「それで納得した。オニキスは自分を封印するためにこれを作ったんじゃ。例えばワシがミルキーの名を彫って蓋を開けても、お前が自分の名を言わない限り封印は起こらん。オニキスは自分だけを封印したかったんじゃな」

「封印は解けるのですか?」

「今、探しておる。しかし、これは一級魔道師が自作したもの。そう安々とは解けんじゃろうな」

 その言葉通り、数日経ってもランプの封印を解くことはできなかった。私も足繁く本部へ通い先生を手伝ったが成果は一向に現れない。

「ネフライトはどうしている?」

 先生の何気ない言葉に私の身が強張る。

 ふらふらしているネフライトは実は先生の一番弟子である。特級魔道師とはいえ二番弟子の私では解除不可能なこの封印も、ネフライトなら解けるのか?

 どうして? とまた思う。いくら実力があっても、彼女はそれを自身のためだけに使っている。そんな彼女をどうして頼ろうとする?

 唾を飲み込んで私は答えた。

「ネフラとは最近会っていません」

「そうか。ふむ、あいつはわしが呼んでも来んからの。ミルキー、お前が呼べばあいつは来るだろ。ちょっと声をかけてみてくれ」

「……残念ながら、彼女の今の居場所を知らないんです」

「それなら仕方ないの」

 薬ばかり作って遊んでいた彼女より、修行に励んで特級魔道師となった私の方が実力は上だ。彼女を呼ぶ必要なんかない。

 それから十日経っても封印は解けなかった。そのままこの事件は終了した。ランプはユカナイト先生が引き取り調査を続けることになり、私は捜査から手を引いた。




 赤い星の夜が近い。一月に一度やってくる赤い星の夜は事件が多い。オニキスの事件も終了し手が空いているので、次に事件が起これば私が指名されるだろう。今はつかの間の休みというわけだ。

 数日がたっても釈然としない気持ちが残っていた。ランプの封印が解けないままの解決だ。面白くなくて私は外に出かけた。

 通りを歩くと見知らぬ街の人々が声をかけてくる。

「ミルキー特級魔道師、どちらへお出かけですか」

「微笑みの魔道師さんだ」

 普段は誇らしいそれが今日は鬱陶しい。しかし、責務として小さな子供にも笑顔で手を振り返す。少し疲れて、不自然にならぬよう気をつけながら人通りの少ない裏路地へ入った。

 足は孤児院の方へ向かっていた。アゲートは元気だろうか。アゲートに会いたかった。魔道師ではない彼に事件そのものの話はできなくても、会うことで私なりに決着をつけたかったのだ。

 裏路地から回ったのでいつもと違い建物の裏手に出た。今日は私が来る日ではない。裏口から入ったらアゲートは驚くだろう。

 裏口の薄いドアを通して話し声が聞こえ、私はドアを開ける手を止めた。

「ミルキーも気が利かないよな」

 ビクリとして固まる。アゲートの声音はいつもの優しいものではない。突き放すような怒っているような、そんな声音。

「無理無理。あの子そういうの全然駄目だから。アゲートだってわかってるでしょ」

 この声はネフライト。全身の血が凍る。

「あいつが特級魔道師になったっていうのに、うちの孤児院は全く恩恵なし。家計が火の車だって知ってるくせに菓子だの何だのを持ってくるだけ。金よこせってんだよ。特級魔道師ならたんまり給料もらってるだろうに」

 ヒュッと喉が鳴った。声を上げそうになって口を押さえた。

「その点、お前は好きだよネフライト」

「あら、ありがと、アゲート」

 駄目だ。見ては駄目だ。頭のどこかで警鐘が鳴る。けれど私は『透視』の呪文を呟いた。

 透けたドアの向こうでは、アゲートとネフライトが口付けを交わしていた――。




 そこからどうやって帰ってきたのかわからない。気がつくと私は連盟本部の、ユナカイト先生の部屋にいた。先生は他出している。

 吸い寄せられるように私は箱の蓋をあける。そこにはランプが納められていた。オニキスが作ったランプ。名前の書かれていない予備のランプ。

 次に気がついた時、私は自分の部屋にいた。連盟本部の部屋。私の他には誰もいない小さな部屋だ。手の中にはあのランプがある。冷たい。予備のランプも効果は同じであることは調査の過程でわかっている。私はそれを部屋に隠した。

 翌日、また孤児院へ向かった。今度は表から。アゲートは突然の来訪に驚いたようだが、いつものように笑顔で優しくしてくれた。

 ああやっぱり、彼は昔から変わっていない。彼は何も悪くない。

 私はランプに名前を彫った。

 次の日、先生に呼び止められた。予備のランプが一つなくなったのだそうだ。先生と共に探したがランプはどこにもなかった。

 夜になって、私はそっと自室を抜け出した。星の明かりに照らされて裏路地を歩く。足を向けたことはなかったが場所は知っていた。ネフライトの自宅。ノックをしてドアを開ける。家の中の彼女は驚いたようにこちらを見た。

「ミルキー? どうしたの。あんたがうちの家に来るなんて珍しいわね」

 唇を湿らせてから私は尋ねた。

「アゲートとはどういう関係なの?」

 彼女の顔が一瞬歪んだ。唇の端が引きつるように上がり媚びるようにこちらを見る。誤魔化そうとしているのがわかったので私は更に言葉を重ねた。

「あなたたちが……キスをしている所を見たわ」

 瞬間、彼女は目を泳がせた。小さい頃からの考えごとをする時の癖だ。そう思って私は鼻で笑った。小さい頃、そうだ、小さい頃からそうだった。彼女は私の持っていないものをみんな持っていた。

 彼女の目は、次の瞬間にはもう泳いでいなかった。真っ直ぐにこちらを見て胸を張る。

「あら、見られたんなら仕方ないわね。あんたには黙っといてあげようと思ったのに」

 私はマントの下でそっと蓋を開けた。

「何かしたの?」

「惚れさせちゃった」

 こちらの反応を伺いながら、彼女は続ける。

「あんたずっとアゲートのこと好きだったもんね。でもごめんね。アゲートを惚れさせちゃったわ。このあたし、ネフライトさまの薬でねえ」

 途端に。

 マントの中から大量の煙が溢れ出した。私は隠していたそれを両手に持ってかかげる。白い煙は一直線にネフライトへ向かい、襲いくる煙に彼女は悲鳴を上げた。部屋中が真っ白に染まり彼女の影がかき消える。そして、煙は一気にランプへ戻った。

 煙が消えた部屋の中に、ネフライトの姿はなかった。

 蓋をして、私は温かみを持ち始めたランプをそっと撫でる。彼女の名前を刻んだそこをそっと撫でた。

 小さい頃からそうだった。彼女は私の持っていないものをみんな持っている。そして、いくら努力をしても追いつけない私から、欲しいものまで奪っていくのだ。

「ミルキー」

 振り返るとユナカイト先生が立っていた。『転移』の魔法。ランプが放出した魔力の波動を感じてやって来たのだろう。

「ランプは回収しました」

 私はそう答える。先生の顔が青くなった。

「ネフライトはこのランプを盗み出して自らを封印しました。不老不死になれるという噂を聞きつけた末の勇み足です。私も彼女を止めようとここへ来たのですが一足違いでしたわ」

「ミルキー、お前は……」

 私は微笑んだ。私の通り名、『慈愛の魔道師』『微笑みの魔道師』に恥じぬように。

 家を出て空を見上げた。明るい星が輝いている。


「ああ、先生。赤い星が綺麗ですね」

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赤い星の夜 川辺都 @rain-moon

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