あるアイドルが決してラブソングを歌わなかった理由

明野れい

参考資料:ある芸能記者の手記

 星宮美空――約2年の活動期間で全国のアイドルファンを熱狂させた彼女が、18歳で突然の引退を発表した。

 

 その日は奇しくも、彼女が憧れていたという伝説のアイドルグループ「にじいろBig☆Dipper」が突然の解散を発表した日から、ちょうど5年が経った日であった。

 口数の少なさ、完成度の高いダンス、そして決してラブソングを歌おうとしなかった姿勢などから、ファンは星宮美空に「究極のクールビューティー」との称賛を寄せてきた。しかし振り返ってみれば、星宮美空は明らかに「にじいろBig☆Dipper」への熱い対抗意識を燃やしていた。

 まずデビュー曲である『私だけの夜空』は、「にじいろBig☆Dipper」のデビュー曲『みんなで夜空を照らしちゃえ!』への挑戦に他ならない。歌詞の内容の他、ダンス中に含まれるオマージュからもそれは間違いないといえる。

 さらに、所属事務所の社長は、星宮美空がソロ活動にこだわっていたと証言している。一方の「にじいろBig☆Dipper」は「Big Dipper」の名の通り、メンバーを北斗七星のそれぞれ星になぞらえた7人組アイドルグループだ。星宮美空のこだわりは、グループアイドル全盛の時代を引っ張った彼女たちへの対抗意識によるものだったようにも思われる。

 

 一体、何が彼女をそこまで駆り立てていたのだろうか。なぜ、彼女はどれだけ待望の声が上がってもラブソングを歌うことを頑なに拒み続けたのだろうか。

 星宮美空の引退と同時期に退職したという20代前半の男性マネージャーを除く、すべての関係者に取材を試みたが彼女の深層に迫ることは出来なかった。

 星宮美空が個人として芸能界に残した痕跡はあまりに少なく、引退前から彼女に関する憶測や噂は跡を絶たなかった。その中に星宮美空と男性マネージャーは出身地が同じであるというものがあったことから、引退とマネージャーの退職を結びつける向きもある。

 そのマネージャーが星宮美空に手を出したせいなのではないか、と本気で疑念を抱くファンは少なくない。一方で、マネージャーと恋愛に発展したのではないかという憶測はそれほど支持を得ていない。これは流出した写真に写っていたマネージャーの風貌があまりに冴えなかったこともあるが、やはり星宮美空の、澄んだ氷のように冷たく透明な偶像としての完成度のためだろう。

 

 彼女は引退会見で、短く「ずっと温めてきた歌を歌わせてもらえたので」と語った。しかし最後にリリースされたシングル『新月finder』もこれまで通り、作詞作曲からアートワークに至るまで業界の大物の手によるもので、星宮美空個人が深く関わった要素はない。この発言は公開された楽曲を指したものではないと考えるのが大勢だ。

 

 活動期間中でさえまれにしか口を開かなかった星宮美空が、舞台を降りてから何かを語ることはまずないだろう。彼女の実像も、発言の真意も、すべては謎のまま歴史に刻まれることになる。

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