いちご 前編

 実家への挨拶から2週間しか経ってないはずなのだが、もう婚約パーティーをするなんて、彼らの順調ぶりはこっちの気持ちがついて行かない程だ。

それでも、女の子3人がかりで楽しそうにケーキを手作りしている姿は平和そのもので、その様子をただ眺めているだけでも、ずっと心に引っかかっている言いようのない不安が少しは影を潜めてくれる気がした。


――― 10月10日 日曜日 抜けるような青空に羊雲が浮かぶ真昼


「ねぇ、本当に俺は何も手伝わなくて良いの?樫井さん夕方からしか来れないなら、俺も時間合わせた方が良かったかな?早く来ちゃってごめんね!」

ソファに座って本を読み続けるのにも気を遣ってしまい、なかなか集中出来なかった俺は、コーヒーカップを流し台に運ぶついでに朱莉に尋ねた。

「誠士くんが手伝ったらダメだよー!だって、しゅ・・・」

「あー!では生クリーム泡立ててくれますか?順調に育ってる筋肉の見せ所です!

・・・りょーちゃんはホントは休みだったんですけど、明日確実に休むために書類仕事しに行っちゃったんですよー。何時でもいいってメールしたのこっちですから、全然気にしないで下さいねー♪」

計量カップに砂糖を入れていた杏花さんは、朱莉が何かを言おうとするのを遮りながら笑顔で大きなボウルを渡してきた。

その隣で朱莉はなぜか焦った様に口を押えている。


「そうですか。でも、婚約パーティー決まったの早くてビックリしましたよ!

何もプレゼント用意できてなくてすみません・・・。それにしても、最初の挨拶で結婚が決まるなんて、樫井さんの実家の方にとても気に入られたんですねー!」

「えっ!?・・・あ、えぇ。まぁ・・・。あれ、いちご買い忘れたかも!

ちょっと出かけてきます!香苗さん、スポンジ焼けたらオーブンから出してね。」

俺が生クリームを泡立てながら杏花さんにそう言うと、彼女は顔を真っ赤にしてエプロンを脱ぎ買い物に出て行ってしまった。

「・・・。いちご、冷蔵庫にあるみたいだけど・・・。」

「俺、何かまずい事言っちゃったかな?」

香苗が冷蔵庫を確かめながら小声で呟いたので、俺はホイップが終わったボウルを彼女に渡しながらそう尋ねてみる。


「あぁーー・・・いや、あんたは別に気にしなくていいよ。」

「えー!でも、私も気になるっ!だってー、樫井さん旅行が終わって3日後にバラの花束持って『レストラン行こう!』って来たんだよ!?急すぎるよねー?」

香苗が気まずそうに視線を逸らしてはぐらかしたが、俺と同じように事情を知らない様子の朱莉が興味深々で香苗にまとわりついた。

香苗はウザったそうに溜息をつきながらオーブンのチェックを済ませ、『杏花には何も知らない感じで接しなさいよ!?』と言って腕を組んで朱莉と俺を見比べる。


「朱莉たんには刺激が強すぎるから言わなかったけど・・・杏花、帰ってくる日が一日遅れたでしょ?あれは、実家に泊まった時に出来なかった事をする為にね、

えーっと・・・まぁ、ラブホにもう一泊したからなの。

それで、まぁ・・・その、お互い不慣れだったのもあってゴム取れちゃってさ。

んで、パニックになった樫井はもう責任取るしかない!って思い込んで、焦って色々急いでるわけ。多分、今日もお偉いさん方に報告して回ってんじゃない?」

「・・・・。」

香苗は一気に話し終えると、大きく口を開けたまま閉じられなくなっている朱莉を見てまた溜息をついた。


「・・・なんかごめんね、無理に聞いて。杏花さんは今落ち込んでるの?」

「あー、杏花は全然気にしてないし、生理前だったから周期的にも妊娠しないとは思うけど。・・・でもほら、樫井ってさ、そういうの分かんないんだろうね。」

「・・・。」

俺も香苗の言っている意味は全く分からなかったので、心底樫井さんに同情しながらここはノーコメントを貫く事に決めた。

「・・・でも二人とも幸せそうにしてたし、私はどっちでも大丈夫だと思うな!」

朱莉は少し考えた後で、そう言って香苗に笑顔を見せる。

「だよねー!だってさ、この前ちゃんと予定通り来てたけど、あの子ちょっと残念そうだったもん。」

「そうなんだー!これから楽しみだねー!」


 居た堪れなくなった俺は黙って洗い物に集中しながら、女子の適応能力の高さにひたすら感心していた。

朱莉があの手の話に違和感なく馴染んでいるのは、その話題が女性にとって当たり前の話だからなのか、それとも看護の勉強をしたのを覚えているせいなのかが気になるが、自分からは聞けなそうなので今度香苗に聞いてもらう事にする。


 オーブンの焼き上がりを知らせるメロディーが鳴り、香苗がミトンをはめて天板を取り出した。

ショートケーキ用のスポンジは丸い型の中で綺麗なキツネ色に焼けており、甘くていい匂いがする。

「うわぁーーー・・・美味しそう。もう食べたい・・・。」

朱莉はうっとりとした表情でそう呟くと、穴が開くほどの視線をケーキに注ぐ。

「本当にいい匂いだねー!こんなカフェみたいな本格的な料理が毎日食べれるなんて、樫井さんは幸せだろうなー!」

「わ、私も教えてもらってるんだよー!これねー、当番の日に作ったよー!」

キッチンの隅に置いてあった、杏花さんの手書きのレシピノートを捲りながら俺がそう言うと、ふわりと近寄って来た朱莉もそう言って笑顔でノートを指差す。


「そうなんだ!ちゃんと家事の手伝いしてて偉いねー・・・ぐふっ!!?」

今の回答のどこが間違いだったのか良く分からないが、香苗の放った強烈な肘鉄が俺のわき腹にクリーンヒットし、なぜか朱莉はがっかりした様に俯いてしまった。

混乱したままソファへと退散すると、窓辺の陽だまりで寝ていた御影がやってきて『そろそろ本気で学ばないとまずいぞ。』と追い打ちをかけてくる。

どういう意味だったのか聞こうとしている所で、イチゴと製菓用の食材を買い込んだ杏花さんが戻ったため、ケーキ作りが再スタートした。


「あーー!松宮さんがやるような力仕事はもう無いので、香苗さんとソファで紅茶飲んでて下さいねー!」

作業を手伝おうとキッチンへ向かったが、杏花さんは慌てて俺を追い出した。

両手にティーカップを持たされて困惑している香苗も、朱莉に促されて後ろからついてくる。

サイドテーブルにカップを置いた香苗は、いつの間にか2階から降りてきていたアメとウカに『戦力外通告されちゃった!』とふざけて話し掛けていた。


「朱莉にバレないように誠士と話させようと思ったんじゃなーい?」

アメは意味有りげに笑いながら、俺の背中を押して香苗の隣に座らせた。

「ありがとう・・・杏花さんに引っ越しの話したの?」

アメの冷やかしには応じずに、香苗からカップを受け取って俺がそう尋ねると、

『まぁねー!最初は反対されたけど!』と言って彼女は少し寂しそうに笑った。

「アメとウカも交えて沢山話し合ったよ。

あの子、こんな私の事本気で家族だと思ってくれてたみたいでさ。

・・・こっちも結構泣けちゃった。ガラじゃないよねーまったく!」

「そっか・・・。大勢で住むの、楽しかったんだね。」

なんだか俺まで泣きそうになりながらそう答えると、香苗は『あんたの人間好きがうつったかもー!』といいながら涙を堪えて微笑んだ。


「僕もうつったんだの!杏花も最初は危ない人かと思ってたけどのぉー・・・勇気を出して仲良くしてみれば、アメと誰も居ない山にいるよりもずっと楽しかった。香苗も怖そうに見えてホントは一番優しいんだの!誠士の周りに集まる(気)は、なんだか暖かいものばっかりだのぉ・・・誠士なら、きっと何かが変えられる。

万象の神も、そう思ったから朱莉との縁を結んだんだの・・・。」

「ウカの言ってることは本当よ。あんたには献身と守護、変革のオーラがあるの!

人付き合いを避けてきた筈なのに、自然と人が集まってくるのは当然の流れね。」

ウカとアメに交互に持ち上げられて少し嬉しい気持ちになると同時に、朱莉に何もしてあげられていない現状にまた一人で落ち込みそうになる。

紅茶のカップの底に溜まったおりを揺らしていると、『あっちを見てみろ』という御影のテレパシーが聞こえてきた。

足元で丸くなっている御影の視線を追ってキッチンを見ると、イチゴのへたを取りながら楽しそうに杏花さんと話す朱莉と目が合う。


(もうちょっとで出来るよ)たぶん、そんな風に口を動かして笑いかけてきた。

「はぁー・・・クソ可愛いな。よく手出さないねー誠士。

・・・そんなに心配しなくても、あの子はいつも幸せそうだよ。あんたとのメール見返して、よく一人で悶えてるよー。可哀想だからさー、今度おかず用にあんたの裸スケッチでもプレゼントしようかなー。モデルになってくれるー?」

「・・・お願いだからやめて。もう変な事教えないでね!?

朱莉が夜な夜な見る動画の履歴、消すの大変だったんだから。」

俺が呆れてそう釘をさすと、香苗と一緒にアメとウカも大笑いする。

二人は笑い疲れると、パーティ開始まで2階でゲームの続きをする!と言って飛んで行ってしまった。


 完成したミニウェディングケーキは冷蔵庫へとしまわれ、杏花さんはディナーの準備を続けている。

日が暮れた頃、沢山のお茶やジュース類を抱えて樫井さんも訪ねて来た。

テーブルに食器類を並べるのを手伝いながら、彼と近況などを話し合う。

「松宮君トレーニング頑張ってるんだね!勉強も大丈夫そう?」

「たぶん来年の試験までには間に合いますねー。でもやっぱり樫井さんは忙しそうですね。署の人にも報告してきたんですかー?」

一晩着ていたようなスーツのまま眠そうなあくびをする樫井さんは、少し照れながら『まぁ・・・』と言って頭を掻いた。

「なんかさ、群馬行く前から本庁に移動するかもって話が出ててね・・・。

さっき結婚すると思うって言ったら、近くの官舎住めよ!って言われたからさー、思わず『家あります!』って言っちゃった。ここは杏花さんの家なのに格好わりぃよな!・・・でも、なんとなくここで集まれなくなるの、嫌でねー。ついさ。」


「えぇっ!?本部ってことですよね?捜査一課とか・・・?」

「通勤遠いから2年位はこっちで待ってますよって、言ったんですけどね・・・。」

サラダを運んできた杏花さんはそう俺の疑問に答え、呆れたように笑う。

「2年も単身赴任なんて、この寂しがり屋が耐えきれるわけないじゃん!下半身爆発するんじゃないー?」

「・・・香苗、その言い方やめなさい。まだどこに配属されるかとか、詳しい事は決まってないけどねー。刑事部なのは確かだろーなー!俺、他の事できないし。」

グラスを運びながら首を突っ込んできた香苗に、樫井さんが顔を真っ赤にして抗議していると、朱莉もクスクスと笑って杏花さんの横にふわりとくっついた。

「毎日、おはようとおやすみが言えて・・・こんな美味しいご飯を一緒に食べれたら、それだけで幸せだよね。お仕事もきっと頑張れると思う!」

「・・・そうかなー?そう思って貰えるなら、私も嬉しいけど・・・。」

朱莉は出来たての唐揚げに釘付けになりながらそう言って、羨ましげな表情を見せると謙遜する杏花さんの背中を押して樫井さんの隣へ座らせた。


 カラフルなちらし寿司が見える様に油揚げに詰められている、杏花さんの特製いなりずしにアメとウカが歓喜してポルターガイストが激しくなり、良く分からないタイミングでパーティは開始となった。

御影はチキンとポテトの蒸したものを和えて貰ったようで、冷めるまで杏花さんの足元でじっとしている事にしたらしい。

「何食べても美味しいです!このドレッシングも、キウイの味が爽やかですね!」

「それは朱莉ちゃんが作ったの!ホントに美味しいですよねー!」

スモークサーモンとわさび菜のサラダの味付けがとても美味しいので、杏花さんが作った物だとばかり思って褒めると、彼女はふわふわ浮かんで皆に飲み物を配っていた朱莉を呼び止めて俺の前に連れてきた。

「そうなんだ!凄く美味しいよー!ステーキとかにかけても旨そう!」

「あ・・・ありがと。誠士くんフルーツの甘酸っぱいの好きだったなーって思って作ってみたんだー!喜んでくれて嬉しいな♪」

俺がおかわりを皿に取り分けながら素直な感想を伝えると、朱莉は頬を赤く染めて俯きながら嬉しそうな声で答えた。


 樫井さんと朱莉の食欲のおかげで大量の唐揚げも殆どなくなり、お腹が一杯になった双子の神も寝室へと向かう。

朱莉と香苗で片付けを始め、綺麗になったテーブルにはコーヒーカップと色鮮やかな花が活けてある花瓶が並べられる。

杏花さんと樫井さんが別室に着替えに行った所を見て、ウェディングケーキを二人が切る様子を写真におさめようと思った俺は携帯を用意して待っていた。

香苗も着付けを手伝いに行き御影もソファで丸くなっているので、することの無くなった様子の朱莉は俺の隣の椅子に座ってお茶を飲み始める。

「準備と片付け大変だったね。杏花さん達は明日指輪買いに行くからこの後は一緒に樫井さんの家に行くんだって! 香苗も明日は不動産屋巡りするっていうから、朱莉はゆっくり休めるねー。 一人で買い物行けなくて困るなら付き合おうか?」


「そうだねー!香苗さんの為に何か作っときたいから、もしかしたらお願いするかもー。あ、写真撮るの私がやるね・・・誠士くんも並んで撮った方がいいよ。」

朱莉は寂しげにそう言うと、携帯のカメラ機能をチェックしようとする。

『ウカに頼めば皆で写れるよ』と言おうとしてから朱莉の表情の真意に気付いて、俺は慌てて視線を逸らした。

今までだったら、このまま黙っていたかも知れない。

でも、何とかしてこの切ない微笑みを本物の笑顔に変えたくて仕方がなかった。

「・・・俺には見えてるから、朱莉もパーティドレス着て一緒に撮ろう。

御影!写真撮る時にテレパシーでウカ呼んでくれる?」

ソファに寝そべる御影にそう言うと、彼女は薄緑色の瞳を輝かせて頷いた。

俺達のやり取りを見て立ち上がった朱莉は、『え・・・でも』と不安そうに俯く。


「朱莉は・・・そうだなー綺麗な黒髪が映える様に、薄いミントグリーンとか似合うんじゃないかな!一緒に香苗に絵も描いてもらおうよ。

・・・俺はこんな普段着で申し訳ないけど。」

女の子にドレス姿を見せてくれなんて人生初のお願いをしたせいで、首から上がだんだん熱くなってきて、恥ずかしさでまともに目も見れなかった。

それでも、さっきから黙ったままの朱莉が気になって顔を上げてみる。

朱莉は俺と目が合うと、大粒の涙を零しながら『ありがとう・・・』と呟く。

そのまま彼女は何かを思い浮かべる様に瞼を閉じて、静かに微笑んだ。


 ゆっくりと、いつもの白いワンピースが透けて滑らかな素肌があらわになる。

最初は七分袖の下から消えていき、膝丈のスカートも次第に生地の面積が減って、乳白色の太腿が見えてきた。

やがて何も下着を身に着けていない胸や下半身の部分の生地も無くなり、一糸纏わぬ姿となる。

顔を背けなければとか、何か反応を示さなければなんて当然の様に思い付かない。

呼吸の仕方も忘れた俺は、自分の心音しか聞こえなくなった世界に取り残された。

永遠に感じる時の流れを無意識のまばたきが断ち切って、次に視界に現れたのは可憐なチュールドレスの少女の姿。

肌の露出の少ないブライズメイド用ドレスは、御影の瞳を映した様な薄緑色をしている。

「朱莉が好きだ。」

冷静になってきてやっと開いた口からは、そんな言葉しか出てこない。

綺麗だと褒めるべき場面なのは百も承知なのだが、こういう時の舌は思い通りには動かないものらしかった。

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