番外編 温泉!

 開けた海岸線とは打って変わって、旅館へ続く山道は鬱蒼うっそうとした濃い緑色に包まれている。

遠くの空は群青色になって星も見え始め、外灯が少ない田舎道は初心者には運転が難しくなってきていた。

「もう少しで着くけど、見えなそうなら代わろうか?」

「交代しなくても大丈夫だよー!誠士、さっきシカも避けれたじゃん!」

携帯で地図を確認している樫井の後ろの席で、香苗が感心したように呟く。


「あ、あれは杏花さんが先に教えてくれたから・・・。うわぁーすれ違い怖ぇ。」

「パニック状態の動物の感情が流れて来ていて、ずっと警戒していたのでラッキーでした!」

「シカさん可愛かったねー!お尻が白い!」

緊張してハンドルにしがみ付く誠士の後ろでは、気の抜けるような天然女子たちの会話が続いている。

「人間センサー、感度抜群ね!いじりがいありそうー♪」

「・・・香苗、その言い方やめなさい。」


 山奥の旅館はネットで、料理も温泉も抜群なのに格安だと紹介されていた。

理由は、景観を存分に楽しめるよう海辺に大きなホテルが立ち並ぶ外房において、

全く海が見えないという攻めてる立地と、街から離れすぎて野生の王国と化している大きな森に囲まれているからだ。

大体の到着時間を伝えていた為、和風の広々とした玄関には着物姿の仲居が立って待っている。

「すみません・・・予約した西嶋です。五名と伝えてありましたが、急に一人来れなくなってしまって。で、でも・・・料金はそのまま払いますので、料理と布団は予定通りお願いしてもいいですか?良く食べる身体の大きい者がおりまして。」

受付ロビーで杏花が説明すると、『皆さんお若いですものね!食材を無駄にしなくて済むのでそう言って頂けて嬉しいですよ。』と仲居は笑顔で答えた。


 六名用の広い和室には豪華な一枚板の座卓が置かれ、景色を楽しむための大きな窓からは竹や松などで造られた綺麗な庭園が望めた。

趣のある岩で囲まれた池の中には錦鯉がゆらゆらと遊び、水を飲みに来た小鳥たちが楽しそうなさえずりを交わしている。

「うっわーーー!凄い!樫井さんの群馬のお家の、もの凄いバージョン!」

「・・・朱莉、地味に失礼だからね。あ、杏花さん翻訳しなくていいです。」

杏花はクスクスと誠士に笑いかけて頷くと、荷物を窓の方へ運びながら香苗と雑談を始めた。


 潮風の匂いや汗を流す為、食事の前に大浴場へと向かう。

ネットの口コミは確かでセンスのいい内装は清潔感があり、岩造りの露天風呂は源泉かけ流しと書かれている。

慣れてない様子で脱衣所でもたつく誠士を置いて、樫井はさっさと浴室へ入った。

「あんれぇー!お兄さんでっけぇーのぉ・・・。」

数名の客はどれも年配の様で、物珍しそうに樫井に話しかける。

適当に挨拶をして体を洗っていると、腰にミニタオルをグルグル巻きにした誠士が遅れてやってきた。

「もっと若ぇー子もいるな!」

「あんりゃ、あっちの可愛い子たちの彼氏だな。二人のうちどっちだと思う?」

「はて、おなごは三人いたべ?髪の長い白い服着た・・・」

「まーた始まった。源さん、そりゃーおめーが若い時に結核で死んだ花子だ。

誰にも見えてねぇって何度も言ったべー?こんなとこで怖ぇーこと言うなや。」


 三人組の年寄りは小声のつもりで話しているが、耳が遠いせいか内容は全て二人に聞こえる音量だった。

誠士は源さんと呼ばれた老人が朱莉を認識している事に、とても焦った様子でそわそわと体を洗っている。

樫井は老人たちから離れる様に、露天風呂の端の方で湯に浸かった。

高い囲いの隣は女性用露天風呂らしく、年配の婦人の騒がしい会話に混じる様に、

聞き覚えのある若い女の子の声も聞こえて来る。


「えー!やだぁ・・・やっぱり隠れ巨乳なのね朱莉たん!童顔って罪だわー♪」

(香苗さん!フワフワもちもちなメロンって感じ!動画の人にそっくりです!)

「そ・・・その話題止めてくれませんか?」

「杏花には・・・何も言ってないじゃん。てか、朱莉たんさー・・・なんでAV見てんの?誠士知ってるのー?公認?・・・まさか、一緒に見てるとか!?」

(・・・そういうの全然分かって無いから、自分でも知らないうちに変な事言って誠士くんに迷惑かけてないかとか、気になっちゃって。)

「でも、朱莉ちゃん朝までとは何か感情の流れが違います・・・。

海で松宮さんの具合見て来るって行った時、絶対彼となんかあったよね!?」

(えっ!?きょ、杏花さん!心読まないって約束したじゃないですかー!)

「いいから白状しなさい!」

(じ・・・実は、熱中症かと思って首筋に手を当てて冷やそうとしたら、いきなりチューされちゃいました・・・。暑くて寝ぼけてたのかな?)

「えー・・・それ、本気で言ってる?誠士・・・ご愁傷様です。」

「香苗さん!ふざける所じゃないです・・・こ、このままではいけませんよ。

良いですか、ご飯が終わったら・・・またここで、朱莉ちゃんに性教育します!」

(えーーー!!)

「いいねぇー♪実技あり?」

「なしですよ!!」


 朱莉の言葉は聞こえないが他の二人の話の流れからして、誠士に聞かせない方が良い会話なのは確かだと樫井は思った。

そっと反対側の壁際に移動すると、体を洗い終わってうろうろしている誠士に声を掛けて手を振る。

照れたように苦笑いして近寄って来た青年は、遠慮がちに細い身体を湯に沈めた。


 

 女子たちが戻る頃に食事を持ってきてくれるように仲居に頼み、浴衣に着替えた樫井と誠士は部屋で煎茶を飲みながら待っていた。


「おまたせー。お腹空いたね!誠士は何にも食べてないからヤバいんじゃない?」

「・・・香苗、その言い方やめなさい。」

「え、樫井・・・別に今のに他意は無いんですけど・・・。」

香苗は困惑した顔で周りを見渡す。

「あ・・・ごめんね。つい癖で・・・。」

朱莉はきょとんとした顔で誠士を見つめ、彼も『普通にお腹空きました。』と樫井に返事をしている。

杏花は一人で呆れた様に笑うと、香苗と朱莉の分のお茶を用意し始めた。


 ここが山の中とは信じられない程に、新鮮な海の幸が並ぶ夕食は彩り豊かに座卓を埋め尽くした。

仲居が丁寧に食材の説明をしながら、手際よく配膳していく。

朱莉は興奮を抑えきれないのか、ゆらゆらと肩を揺らして目の前の膳を覗き込んでいる。

ポルターガイストに注意しろと忠告されたのをたった今思い出したのか、ぎゅっと唇を噛んで箸に伸ばしかけた手を引っ込めた。


「うまそー!追加で酒頼んどいてよかったー♪」

「やっぱりお魚には日本酒ですよね!・・・はい、どうぞー。」

樫井の隣では杏花が御猪口おちょこに並々と酒を注ぎ、色っぽい笑顔を見せる。

じっと見ていた朱莉は、それを真似るかの様に香苗と誠士にビールを注いだ。

「朱莉たん・・・ほぼ泡になってるよ。コレはこうやって、斜めにして・・・。」

「あ・・・あれぇ?」

「ありがとう。自分でやるから良いよ!お腹空いた・・・もう食べよっか!」

誠士は笑顔で泡だらけのグラスを手に持つと、樫井と杏花にも声をかける。

「・・・。」

黙ってウーロン茶入りのグラスを向かいの杏花達の席に近づけた朱莉は、隣の誠士の方を見れない様子で頬を染めた。

杏花と香苗は一瞬、視線を交わしてすぐに明るい笑顔に戻る。

「えー・・・ビーチバレーは上手くなれませんでしたが、海も温泉も綺麗で楽しめてます!手配してくれた女の子たちに感謝!いただきまーす!」

上機嫌で乾杯の挨拶を済ませた樫井は、一杯目をひと口で飲み干す。

そして、すぐに酒を注ぎ足す杏花の浴衣姿をじっと見つめたまま、笑顔で刺身を頬張った。


 揚げ物とご飯とお味噌汁が出揃って、飲み物の追加を最後に運んで来た仲居は『まぁー・・・お若いから四人でも五人前食べれるんですね!』と驚きを隠せない様子だった。

「この炊き込みご飯・・・サザエ入りだ!」

御飯物の具材まで豪華な事が信じられないといった表情で、朱莉は隣の誠士の顔を覗き込んだ。

「家では絶対作れないから、いっぱい食べなー。」

誠士はそう言って苦笑いしながら、夢中で頬張る朱莉を見つめる。

樫井のほろ酔いは加減は絶好調で、杏花が食べきれなくて残した揚げ物をつまみにして5合目の徳利とっくりに手を伸ばしていた。

「はいはい・・・今入れますから。明日運転だし、これでもうおしまいですよ!」

「えー・・・松宮君が運転するから大丈夫だよー。

あ、杏花さんほっぺ膨らませるの可愛い・・・。てゆうかもう全部が可愛い。」

「あぅわーー・・・や、止めて下さいよ!」

「樫井ー、ここはオッパブじゃねーんだから・・・それ以上お触り禁止だよー!」

杏花を回収に来た香苗が投げつけたおしぼりを頭に引っ掛けたまま、樫井は名残惜しそうに徳利から最後の一滴を振り落としている。


「朱莉たん、全部食べたならこんな煩い所より、もう一回お風呂行こー♪」

香苗はメロンを皮のギリギリまで齧っている朱莉を誘うと、杏花に目配せをした。

頷いた杏花は樫井に弄られて乱れた髪をアップにまとめ、タオルを用意する。

居た堪れない様子の誠士が『お、俺も風呂いこっかな・・・。』と席を立とうとして、樫井の猛抗議に合い断念させられていた。

その様子を見てクスッと微笑んだ杏花は、朱莉の手を引いて入り口の前に立つ。

「・・・じゃあ、二人でお留守番宜しくお願いしますね♪」

杏花がそう言って樫井にだけ目配せをすると、軽く手を額に当てて敬礼をした。

完全にノックアウトされた表情の樫井は、3人が出ていくのを見送ると仰向けに畳に寝転び、『どんだけかわいいんだーー!!』と叫ぶ。

「樫井さん・・・股隠してください。」

誠士は呆れた様に呟いて座布団を樫井に手渡すと、仲居が片付けやすいように飲み終わった酒瓶をまとめ始めた。


 

 夕食時の露天風呂には、朱莉たちの他に客の姿は見えない。

こまめに掃除されている様で、静かな脱衣所は湿気もなく快適な涼しさだった。

「朱莉ちゃん、イメージで見た目変えるの今日3回目だけど・・・体調は大丈夫?」

「とくに異常は・・・少し疲れるけど、裸はイメージ簡単ですから!」

「ねぇー・・・それってどこまで精巧に再現されてるのかな?

中もちゃんと出来てんの? ちょ・・・ちょっとクパァってしていい・・・?」

「ダメに決まってるでしょ!実技は無しって言ったじゃないですか!」

手で卑猥な表現をしながら朱莉に詰め寄る香苗を、必死に杏花が取り押さえる。

残念そうに諦めた香苗は、一人でさっさと露天風呂の方へ歩いていった。


 囲いの外側は庭園に繋がっている様で、刈り込まれた緑の庭木の上には満天の星が広がっている。

「うわぁーーーさっきより綺麗に見えるね♪」

杏花に髪を結ってもらった朱莉は、笑顔で岩風呂の湯の中を泳いでいた。

「ふわぁー・・・少しビール飲んだから夜風が気持ちいいなー!」

大きな岩に腰掛けた香苗は、体を隠しもせず豪快に背伸びをしている。

「・・・香苗さん、答え辛かったら良いんですけど・・・その傷跡って・・・。」

すぐ隣で湯に浸かっていた杏花は、香苗の下腹部を見て遠慮がちに問う。

「あぁーこれね。・・・ちょうどいいから教育始めますか!

朱莉たーん!そろそろ水泳大会止めて、こっちに来てくれるー?」

香苗は事も無げに微笑むと、朱莉を呼んで静かに語り始めた。


「朱莉たんさ、記憶ないって言っても箸とか持てて、パソコンの使い方も分かるでしょ?・・・つまり、無いのは思い出の記憶だけなの。

赤ん坊から大人になるまでの習慣づいた行為なら、覚えてるってこと。

性行為に関しての知識がないのは、もともと処女なだけの可能性が高い。

ここまで理解出来た?」

朱莉は恥ずかしそうに俯きながら、黙って頷く。

「人間の知識欲が生まれる動機ってのはね、それを知って自分の糧にしたいってのが大半なの。あんたは誠士が好きで、いつかそういう空気になった時にそれに応えたい気持ちになった。それが動画までみて勉強したかった本当の理由だと思う。」


 香苗が淡々とそう語る横で、杏花も頷きながら朱莉の顔を真っ直ぐに見つめた。

「松宮さんは・・・しっかりした方です。少しの体調不良で見境なく朱莉ちゃんにキスしたとは考えにくいでしょう。きっと彼の好意から起こした行動です。」

「あいつが海で遊ばずに寝てたのは、具合悪かったからじゃないよ。辛い事があって落ち込んでたんだ。好きな子が水着で引っ付いて来た上に、自分の事を心配して体に手を当てて来たんだよ!?・・・欲情するなって言う方がムリだからねー?」

二人の話を聞いて『あっ!』と小さく叫んだ朱莉は、今までの自分を振り返る様に斜め上を見つめたまま再び考え込む。


「私は、良い恋愛なんてしてこれなかった。この傷も、獣以下の最低なサディストに虐待されて出来た。どんなに懇願しても誰も助けてはくれなかった。

・・・私が生霊だった時、朱莉たんに言った事憶えてるかな?

『誠士だって、あんたとやりたいから協力してるフリしてるだけだ』っての。

あれ、撤回する。あいつは考えなくても良い事まで心配したりする程、純粋に朱莉たんを愛してるんだなーって、最近本当に思ってきた。羨ましいくらいだよ。」

香苗の何かを諦めたような表情を、引き込まれるように見つめていた朱莉は指同士をモジモジと絡めながら、ゆっくりと首まで湯に沈んでいく。

「・・・辛い事話させてごめんなさい。

誠士くん、なんで何も言わないんだろう?考えが読めないって怖いな・・・。」


「生霊が強いストレスを感じただけで、本体にどんな影響を与えるかも分からない繊細な状態だという事を、頭の良い彼は必要以上に考えているのかも知れません。

好きなのに・・・毎日隣にいるのに伝えられない辛さは・・・想像を絶します。」

杏花は朱莉の髪が湯に浸からない様、固く結び直しながら優しく頭を撫でた。


 誰も口を開かずに、肩まで湯に浸かってただ夜空を見上げる時間が続く。

「私・・・この旅行が終わったら、杏花さんの家に住んでもいいかな?」

静かに涙を流しながら微かに絞り出した朱莉の言葉を、二人の女性は何も言わずに交互に抱きしめる態度で示して受け入れた。


 かけ流しの源泉の水流に押される様に、つぼみのうちに落ちた百日紅さるすべりの花の真紅の粒が朱莉達の間に流れ着く。

そっと胸の前にすくい上げて、愛しそうに見つめる少女の瞳は妖しい色香を湛える。

「朱莉たん、凄い表情かおするんだね・・・悲しい両想いかー。

女が大人になるのに、セックスはいらないのね・・・。」

自虐ともとれる香苗の切ない呟きは、強く吹いた南風に乗って零れ落ちそうな星空へと吸い込まれていった。

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