二人の結論

 長い雨が止んだ街並みに陽射しが降り注ぎ、丸ごと洗ったかの様な家々の屋根からはポタポタと水滴が落ちて輝いていた。

駅までの道をゆっくりと歩いているうちに、いつも四季の花を植えて大事に育てている婦人宅の前に差し掛かる。

不意に、玄関先のミニ花壇が目に留まった。

何度も上陸した台風にもめげずに、終わりかけの向日葵は沢山の種を抱えながら、必死に空を見上げようと背を伸ばす。

しばらく見ていない笑顔を思い出し、胸の奥がチリチリと急に痛む。

俺は何かに急かされる様に、賑わい出した商店街の人混みの中を進んで行った。



――― 9月20日 月曜日 台風24号が通過した翌日の爽やかな午後


 祝日のランチ営業が終わった『居酒屋てっちゃん』の店内は、17時から店を開けようとする準備に追われて大忙しだった。

準備中の看板が掛かった暖簾のれんをくぐって入った後で、慌ただしさを目の当たりにして立ち尽くす。

カウンター奥から俺を見つけた香苗は、タオルで手を拭きながら駆け寄ってきた。

「誠士ーー!久しぶりー!元気だった? まだお茶くらいしか用意できないけど、

一段落したら持っていくから奥の個室で寛いでて!・・・あの子も待ってるよ。」

テキパキと食器をまとめながら、香苗は優しい微笑みを投げかけてくる。

「ありがとう。香苗は元気そうだね!じゃあまた後で・・・。」

テーブルの上を丁寧に拭いている彼女にそう声を掛けて、俺も笑顔を返した。


 いつも皆で集まっていた、小上がりの個室の引戸にかけた指が震える。

掘りごたつのテーブルの壁側に座って頬杖をついていた朱莉は、俺に気付くとすぐに姿勢を正す。

「朱莉・・・元気か? 具合は少しずつでも良くなってるかな?」

「誠士くん久しぶりー!・・・うん!今は元気だよ♪アメとウカとミカゲちゃんと一緒にお散歩しながらね、沢山の動物さんや幽霊に聞き込みしたりしてるんだ!」

楽しそうに日々の出来事を話す朱莉の声に耳を傾けながら、俺はテーブルの手前側に腰掛ける。

一言も逃したくない思いで、彼女の本当の気持ちを必死に読み取ろうとしていた。


 ――先月、千葉の海の旅行が終わって家に戻った後の彼女は、何かを隠している様な作り笑いを繰り返していた。

次の日、俺が朝コールセンターの仕事に向かうと『具合が悪いから杏花さんの家に行きます。』とだけメールで連絡があった為、仕事終わりに迎えに行く事にする。

しかし、案内されたリビングに朱莉の姿はなかった。

御影と杏花さんの説明によれば、本体の体調が悪化している可能性があるそうだ。

なるべく早く元の身体に戻す必要があり、元気になったとしてもこのまま西嶋家で静養しながら本体を探すしかないと言われた俺は、一人で自宅に帰った。


 その後は香苗に聞いても、樫井さんに『何か杏花さんから聞いていますか?』と問い掛けても・・・双子の神達でさえ皆、口裏を合わせた様に同じ説明をする。

自分に何か出来る事はないか?そんな思いばかりが募り、仕事以外の時間は憑りつかれたように図書館で過去の新聞記事を調べたり、ネットの世界に没頭した。

樫井さんが忙しい仕事の合間に、失踪人を探し続けてくれている事を杏花さんから聞いて知った日からは、自分でもそうした力を手にしたいと思う様になり、警察官の採用試験の勉強や体力作りも同時に進めていった。

多分・・・こんなに何かに必死になったのは人生で初めての経験だ。

頭がおかしくなる寸前まで追い込まれつつ深夜のコンビニバイトに出ていた昨日、

『体調が良くなったからお茶でもどうかな?』と朱莉から連絡が来た。

二つ返事をして、一睡も出来ないままこの場所に来て今に至る。


 一体俺は、何がしたいのだろうか?

いつかケンカした時に彼女に言ってしまった、『自分は朱莉の所有物ではない!』というセリフが頭を巡る。

付き合ってもいなければ、好きだとも伝えていない。

そんな状態で一緒に居るのは辛いはずなのに、彼女が居ない家に帰るのも寂しい。

連れて帰る理由も見つからないのに、希望をいだいて会いに来てしまう。

いつの間にか、朱莉の事に関してだけは論理的思考が一切行えなくなっている。

今もこうしてポンコツの頭を振り絞って適当に相槌を打っては、彼女の言葉をただ聞いているだけだった。



 誰かが引戸を開けた音で、ふと我に返る。

「楽しくお喋りしてるかな?・・・てゆーか誠士、体デカくなった?」

香苗は俺達の顔を交互に見ながら、美味しそうな抹茶アイスとほうじ茶をテーブルに並べた。

「わー!アイスだー! あ、私も思った・・・誠士くん背伸びたのかな?って。」

「・・・走ったり、筋トレしてるからかな。春の採用試験通りたいから・・・。」

嬉しそうにスプーンを握りしめている朱莉に、俺は初めて就職の話をする。

「あんたは勉強ってより、問題はそっちだもんねー。」

香苗が茶化しながら話すのをきょとんとして見つめていた朱莉は、『何の試験?』

と彼女に尋ねた。

「警察官の就職のだよ。人探しが上手くなって、早くあんたの本体見つけて戻してやりたいんだってさ!ほーんと、王子は優しいよねぇ♪朱莉もそう思うでしょ?」

「・・・。」

香苗はふざけているようで、真剣な眼差しを朱莉に送ってそう答える。

なぜか下を向いて黙った朱莉は、香苗が立ち去ると静かにアイスを食べ始めた。


 濃い抹茶アイスはどこかで高級な物を取り寄せたのか、かなり美味しくて暖かいほうじ茶とも合っている。

「樫井さんと同じお仕事したかったんだー?すごいなぁー♪就職かぁ・・・。」

「受かるか分からないけどね・・・。」

急に尊敬するような言い方で問いかけられ、言葉に詰まる。

純粋な正義感からではなく、朱莉の為だけに試験を受けたいだなんて理由は絶対に知られたくなかった。

恩着せがましい事をして自分だけを見て欲しいなんて気持ちは・・・実際無いのだけれど、そんな風に誰かに思われるのも嫌な俺は、きっとまだ子供なのだろう。


「あ・・・あのね、その・・・。」

「これ美味しいよね。もっと食べる?」

何か願い事がある様子でモジモジする朱莉に、俺は半分残ったアイスを差し出す。

「ち、ちが・・・頂きます。」

真っ赤な顔をして受け取ったアイスを食べる朱莉を見れただけで、最近の疲れなどどうでもいい事に思えた。

色の濃い冷たいものを食べているのに、何も変わらず桃色を保っている小さい唇を見ていると、どうしても余計な事を考えてしまう。

「あの・・・。」

「え?ご、ごめんね!?」

「えー・・・?なにがごめんね?」

やましい気持ちがバレる筈も無いのになぜか謝ってしまった俺を見て、朱莉は不思議そうに首を傾げた。


「・・・今日は本当に元気そうだね!杏花さんは何してるの?」

「杏花さんは最近、裁判所とか警察に行ったりして忙しそうだよー。

それでも夜は香苗さんと二人で、ずっと私のこと調べてくれてるの・・・。

樫井さんとも電話しかしてないよ。 家事手伝うから遊んできて!って言っても、もうすぐ一緒に旅行できるから気にしないで!って言われちゃった。」

「・・・。」

話題を変えようとした俺は、朱莉が気を使っている部分に踏み込んだらしい。

次の言葉が見つからなくて固まってしまう。


「あの・・・誠士くん、私・・・仮病なの。誠士くん以外はみんな知ってる。」

暫くの無言の後、急に覚悟を決めたかのような顔に変わった朱莉はそう話した。

「・・・え?」

「本当の身体に戻れるまで、具合悪いことにして会わない様にしたかった。

でも、誠士くんが夜も寝ないで調べまわってくれてる事・・・杏花さんと樫井さんの電話で偶然聞いちゃって。・・・これ以上黙っていられないと思ったの。」

「ど、どういう意味・・・?」

今まで見たことの無い朱莉の、大人の女性がするような憂鬱な表情と話し方に触れて、俺の頭の回線は焼き切れる寸前だった。

「そのままだよ。 誠士くんは、好きでもない子にキスするような人・・・?

このまま今までと同じように、ただ何となく一緒に居るべきじゃないと思った。」

「・・・やっぱり、あの時の事が原因?」

「あー・・・それがきっかけでもあるけど。」

最低な行為だった事を思い知らされて、後悔で胸が押しつぶされそうになる。

「そりゃそうだよな・・・嫌な思いして離れたのに、陰で恩着せがましい事されてたら目障りだよね。」


 もう顔も見れなくなって俯いた俺に、朱莉は静かに話し続ける。

「・・・私は、嫌な思いなんて何もしてないよ。

あなたの事が好きになったから、早く元の身体に戻って告白したくなったの。

適当に流されるのではなく、自分自身で行動したくなった。

弱かった私がこんな風に考えてること自体、全部誠士くんの影響だけどね。」

「・・・。」

女の子にここまで言わせておいて、無言なままの自分が本当に恥ずかしい。

しかし朱莉のあまりの変わり様に、俺は完全にパニックになってしまっていた。


「何とか言えよ、コミュ障!口下手!根暗野郎!」

急に背中を思いっきり蹴られた衝撃で振り返ると、物凄い顔の香苗が引戸を開けて立ったまま俺を見下ろしていた。

「香苗さん・・・悪口のバリエーションが豊富ですね。」

「片付け終わって30分休憩になったから様子を見に来てみれば・・・朱莉たんー、ホントにこんなのが好きなのー?乙女の告白に無言って、信じられないー!」

香苗はエプロン姿のまま帽子だけ取ると、朱莉の隣に腰を下ろしてそう呟く。


「ご・・・ごめん。俺が先に言わなきゃいけなかった事なのに。」

「・・・誠士くんの事だから、きっと私の記憶がない事とか・・・もっと難しい所まで考えてくれて黙ってたの、分かってるから。お互い言いたいことを隠したまま一緒に居るよりは、早く戻って普通の恋愛がしてみたかった。

5ヶ月も面倒見てくれたのに嘘ついて出て行ったのは、完全に私のわがままなの。」

朱莉は真っ直ぐ俺を見つめて、時々言葉に詰まりながらも笑顔で語っている。

男は黙って行動で示せばいいのだと思い、ひたすら努力だけはして来たつもりだ。しかし腹を括った女性の前では、俺の覚悟など全く大したものではなかった。


「俺は・・・ただ怖かっただけだ。元の身体に戻してやるって、最初は意気込んでたけど・・・初めて人を好きになって、手放したくないってエゴができた。

記憶が戻ったら、ちゃんとした恋人がいるかも知れないとか・・・他の人に取られちゃうだろうなとか、完全に自分の事しか考えられなくなって・・・いつの間にかこのまま楽しく過ごせるのも悪くないかなって思ってた、最低な人間なんだ。」

俺が話し終わると、朱莉はショックを受けたように下を見て動かなくなる。


 落ち着かせる様に背中を撫でていた香苗は、鋭く俺を睨んで口を開く。

「・・・それは違うでしょ?自分から嫌われに行って逃げんなよ!

自分の事しか考えてない奴が、一生が掛かってる就活を好きな女の為に決める?

確かに逃げたくなったり、迷いはあったと思う。誰にだってエゴはある。

でも、朱莉がヤバいかもって思った時、記憶の戻った後の事なんて気にしたか?

自分の事なんてどうでもいい、ただ助けたい。そう思って毎日必死だっただろ?」

「・・・。」

「あの・・・私も同じだから。」

香苗に圧倒されて言葉も出ない俺の事を、じっと見つめていた朱莉はそっと呟く。


「最初は、こんな意味わかんない状態の私に優しくしてくれる誠士くんに、いつも驚いてた。凄く感謝したし、早く元に戻ってしっかり御礼したい!とも思った。

それと同時に、だんだん一緒に居るのが楽しくなって・・・理解ある仲間にも恵まれて、もうこのまま過ごすのもいいかなとか思い始めてた。

・・・でもやっぱり嫌だ。実在する人物として、みんなと向き合いたい。

誠士くんと並んでちゃんと地面を歩いて、一緒に写真を撮って、それで・・・」

朱莉の涙がテーブルに零れた。何の変化もなく、綺麗なままのテーブルを香苗がそっと布巾で拭う。


 こんな時に抱きしめにも行かない臆病者のどこが好きで、彼女は美しく切ない涙を流しているのだろか?

確かな事は、考えても分からないことにも結論はちゃんとあって、それは二人共もう理解しているという事だ。

「朱莉・・・愛してる。一日でも早く君の望みを叶える為に、俺は何でもする。」

初めて目を逸らさずに自分の好意を人に伝えられた気がする。

香苗にも聞かれている状況だが、意外な事に恥ずかしい気持ちはなかった。

「・・・ありがとう。私も頑張るね!」

言いたかった事を全て言い切ったかのような笑顔で、朱莉は言葉少なに答える。


「もうすぐ開店だけど、席埋まるまでここに居ていいよ。コロッケ持ってくるね。

もちろんレモン付きで! 誠士も今日は飲みなー。これから・・・どれだけ頑張れば良いかも分からないんだから。少しずつ肩の力抜かないと潰れるよ!」

引き戸の方へ歩いて行ったまま振り返らずに語った香苗は、もしかしたら泣いていたのかも知れない。

正直で、いつも本音でぶつかって来る友達のエールは、本当に嬉しいものだった。


 開店と同時に常連客がカウンターに座ったらしく、板前見習いの健司が元気よく出迎える声が響く。

俺は朱莉のいる座敷奥の席に移動して、尽きる事のない長い話をしていた。

隣で笑ったり、俺のつまらない冗談に頬を膨らませて文句を言う横顔を見る。

気持ちを通わせることがこんなに幸せで、こんなに苦しいことなんだと知ってて、彼女は今日会う決心をして・・・本当の想いを伝えてくれたのだ。

その気持ちだけで充分だ。 この子を絶対に守りたい。失いたくない。

出口の見えない迷路を進むのに、それ以上の理由なんて最初から必要なかった。

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