愛について 前編
2日連続での美女の登場に、鈴木さんのテンションは上がりっぱなしだ。
深夜のコンビニに香苗が飛び込んで来たとき、俺はあまりの眠さに本棚に突っ込む寸前だった。結局、寄り道をした為ネットカフェで寝る計画は諦めたのだ。
香苗は鈴木さんにコピー用紙と鉛筆類を借りると、呆然としている俺の制服を引っ張ってバックヤードに放り込む。
扉が閉まる直前、ニヤニヤと期待を込めた眼差しを向ける彼と目が合ったので、
このまま休憩してもとりあえずは大丈夫そうだ。
――― 6月14日 月曜日 深夜1時過ぎのコンビニにて
「え・・・香苗どうしたの?」
「誠士、まずい事になった。さっき、杏花のストーカー殺人鬼とやりあった!」
相当慌てているのだろうか?いつも地頭の良い話し方をする彼女の話とは思えない程、何の主語もなく状況が分からない。
俺は倉庫の入り口に突っ立って、ぼんやりする頭を必死に動かしていた。
「・・・え?殺人鬼と何をしたの?」
『もういい描きながら話す!』香苗はそう叫ぶと、段ボールを重ねた上に紙を置いてペンを走らせ始める。
「・・・杏花がなんでずっとドレス着てるか知ってる? 調布一家殺害事件はね、世間的には頭ラリった場当たり的犯人の仕業って思われてるけど、実際は違う。
最初から杏花を狙っていた異常者が、彼女を手に入れる為だけに邪魔な他の家族を殺した計画的な事件だったってわけ。犯人は、持参した白いドレスを10歳のガキに着せて、それが真っ赤になるまで包丁で切り続けた。わざと死なない程度に。」
『・・・。』
言葉が出てこなかった。静かな倉庫に香苗がペンを紙に擦り付ける音だけが響く。
それを香苗は予測していた様に目を閉じ、何かを思い出す様に口を開く。
「ずっと大人になった杏花を探していたんだと思う。杏花、この前の梅ヶ丘の事故でネットに晒されたじゃん?それで気付いたのか、もう三軒茶屋まで迫って来てたみたいで、突然私に声かけて来たんだ・・・シンデレラを知りませんか?って。」
彼女の話を聞き終わる頃には、全身の毛が逆立つおぞましさで眩暈がしていた。
「・・・香苗は大丈夫だったの?なにかされた?」
「え・・・別に。肩掴まれただけ・・・誠士、私の事まで心配してくれるんだ?
朱莉にしか興味ないって思ってた。」
香苗は予想外の言葉に戸惑っているように、棘のある言い方をした。
「心配するに決まってんだろ!どうせ杏花さん達を巻き込まない様にって、一人で
気を張ってこんな所まで逃げて来たんだろ?どれくらい不安だったかなんて・・・
俺にだって分かる。」
椅子に座って絵を描きながら俯く彼女に近づいて、俺は顔を覗き込む。
張り詰めた糸が切れない様に、必死で唇の端を噛んで堪えてるように見える。
突然、香苗は立ち上がると俺の胸にしがみついた。滴る涙が制服に跡を付ける。
「こ、怖かった・・・本当は樫井に助けて欲しかった。いつも一番大切にされたいって思ってた。でも・・・二人の想いが分かるから、この気持ちは言えない。
私のせいで杏花に何かあったら、絶対に私は自分を許せない。」
俺は肩に額を付けて泣きじゃくる彼女の頭を、震えが止まるまで撫で続ける。
「香苗の事を一番大切にしてくれる人は、まだ出会えてないだけで絶対にいる。
香苗が苦しんでいるのは、全部人の為だよね。怖くて忘れたい事を思い出して絵を描き続けているのも、杏花さんと樫井さんの間に割り込めないのも。
そんな良い人を神様が見捨てる訳ないだろ。だから最悪な殺人鬼からも無事に逃げ切れたし、俺は大切な友達を失わずに済んだってことだよ!」
香苗をそっと椅子に座らせ、俺はハンカチで彼女の腫れた目元を拭いた。
「・・・な、なーんか最近、身の周りに良い男が多過ぎて困るわー。
前世で徳を積み過ぎたのかねー?アハハ!」
「・・・じゃあ、意外にもうそばにいるんじゃない?彼氏候補。」
俺はそう言って微笑み返し、バックヤードの扉に手をかける。
すると、外で聞き耳を立てていたらしい鈴木さんが、急に体勢を崩して倉庫内になだれ込んできた。そのまま潰れたカエルの様に顔から倒れる。
「・・・ない。」
香苗の冷たい呟きが、床に突っ伏した鈴木さんの後頭部に突き刺さっていた。
早朝、まだ寝てるであろう樫井さんに試しに電話をかけてみる。
『んぁ?書類はもうだしました・・・?』と寝ぼけながら電話に出た樫井さんは、
俺から事情を話すと非番だというのにすぐに駆け付けるという。
鈴木さんが妙な男気を見せて『後は俺に任せてもう上がっていいよ』と言うので、
3人で警察署へ向かうことにした。
丁度コンビニの駐車場を出ようとした時、突然樫井さんの携帯が鳴る。
「うわ!なんだろ?松宮君、とりあえず出てスピーカーにして助手席に置いて!」
運転中の樫井さんは、ポケットから出した携帯を俺に渡しながらそう言った。
香苗がシステム手帳とペンを持ちながら、悪い知らせで無いことを祈るように目を閉じる。
俺は【晴見巡査】と書かれた画面を通話に切り替え、助手席に置いた。
『先輩起きてたんですね!良かったー。昨日先輩が洗ってた案件ですけど、あの後結構色々分かったんです。例の少女の名前は
父親が届けを取り消した為、不介入。今年の1月17日、長男の
係長、先輩がまとめてた資料を今更読んで大騒ぎしてますよ。
樫井を今すぐ呼べー!って。・・・あとどれくらいでコッチ来れます?』
樫井さんは苦々しい表情でハンドルを叩き、後手に回った原因らしい上司への悪態をつきまくっている。
『・・・もう着く。フォローありがとう晴見。あとさ、昨日不審者に付きまとわれた女の子連れてくから、生活安全課へ連絡しといて。服の肩から掌紋取りたいからそこも押しといて。』
ひたすら会話をメモしていた香苗は、不審者の話になるとビクッと肩を震わせた。
『先輩・・・いつ寝てるんですか? でも、先輩が連れてくるってことは・・・
タダの付きまといじゃないんですよね? 了解です!そっちの案件も固まったら、
ぜひ僕も捜査に入れて下さいねー!あ、係長キレてる・・・ではまた後で!』
慌ただしく途切れた通話に、樫井さんは口を開いたまま唖然としていた。
「なんてゆうかー・・・野心の塊みたいな兄ちゃんだね?変な部下で大変だー。」
少し緊張が
「あ、サンキュー! 香苗、一緒に居られなくて悪いな・・・。嫌な思いするかも知れないけど、頑張ってくれるか?」
「取り調べ慣れてるから大丈夫ー!」
申し訳なさそうな樫井さんを気遣うように、香苗はおどけた表情を見せていた。
そうしている間にも、車は警察署内の駐車場に入っていく。
「杏花さんには俺から電話します。朱莉が一人になるのは心配なのでここで降りて帰りますね。・・・香苗、本当にありがとう。」
夜中の事を色々と思い出して、香苗を一人で置いて帰りづらい気持ちになる。
大袈裟に溜息をついた香苗は、片手で俺を追い払う仕草を見せて舌を出した。
「松宮君ありがとね!・・・杏花さんに、無理はしない様に伝えてくれる?」
俺は樫井さんの言葉に頷いて車を降りると、急いで携帯を取り出す。
皆、それぞれ誰かを思いやって生きようとしていた。
例えそれが・・・すぐに結びついたり、理解し合える形ではなかったとしても。
『たすけてあげて』そう言った少女の涙を、無駄には出来ない。
朱莉に会えたら、すぐに少年を探しに行こう。もう眠気は全く感じなかった。
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