番外編 2つの戦い

 仮眠室にまで資料を持ち込んで床を散らかしている問題児を咎めようと、刑事課の今野は勢いよくドアを叩いた。


 ――― 6月13日 日曜日 21時 北沢警察署内にて


「ぬぁ!す、すみません!う、・・・今すぐ行きます!」

樫井はシワだらけになったスーツのズボンを叩きながら仮眠室を飛び出す。

「お前な、昨日も帰ってないだろー?過労死されたら俺の責任になるんだけど。

下っ端も心配してるし先輩置いて帰りづらそーにしてたぞ!」

「申し訳ございません今野係長。・・・ちょっと気になる件があって。」

今野は溜息まじりに樫井の持っている資料を眺めると、首を横に振った。

順調に試験を受け続けて35歳で警部補になった今野は、現場の経験はほぼ無いに等しい。樫井の入れ込みようを全く理解出来ないといった態度で話し始める。

「宮坂の事故は俺も気になるが、鉄警が自殺で生活安全課行にしたんだ。

今更よー証拠もないのに口出したら、上に怒られちまうだろ。

お前はあれだ、この前ひったくりでケガした老人の調書まとめてさっさと帰れ。

今日は夜から非番だろ?お前が非番の時に捜査すると、とんでもない事になるから絶対やめとけよなー!」

面倒ごとにはできるだけ関わらない事、それが組織で出世するポイントらしく、

今野もそこだけはきっちりと順守していた。


「はい!承知致しました。」

上司の小言に短く返事をして、樫井はうなだれながら自分の席に戻る。

前の席から新人の晴見巡査が、メモとファイルを差し出して樫井に目配せをした。

【お疲れ様です。強盗傷害の調書できてます。ハンコ押して帰って下さい。】

「晴見ーありがとう・・・いつもごめん。」

今野が外に出て行くのを見届けた樫井は、両手を合わせて部下に礼を伝える。

「全然大丈夫です!僕、先輩の悲惨な机の荒れ方とサービス残業の多さには呆れてますけど、大きいヤマ見つけ出す嗅覚は本気で尊敬してますから!」


 晴見は捉えどころのない、今時の若者の代表の様な25歳だ。

警察官にしては長めの髪型は、怒られない為に上手く襟足ともみあげだけ剃っているため、以前テレビで見たK-POPアイドルの様だし、新人に定番の紺のスーツはお気に召さないらしく、若手実業家が好みそうなスーツをラフに気崩している。

嫌な事を進んでやるようにも見えないので、『尊敬している』というのは嫌味ではなく本心らしい。

いつも隠れて手助けしてくれる変わり者の後輩を、樫井も心から気に入っていた。

「仕事早くて羨ましいよ。俺は気になる事あるとそれで頭一杯になるからさー。」

「大丈夫ですか?落ち着ける環境で寝ないと、睡眠効果は半減するらしいっすからねー。ちゃんと家帰った方がいいですよ。・・・で、気になるヤマって何です?」

体力自慢の先輩が疲れ果てているのを本気で心配する態度も見せつつ、野心家だと周りから噂されている晴見は、樫井の抱える案件に興味を隠し切れない。


「善命会って団体がさ、集団で子供を洗脳・・・ていうより、たぶん修行と称して虐待してるんだが、その会員らしい少女が踏切事故で亡くなってて、半年もしない昨日またそこで死んだのが団体の役員だったのよ。偶然ってのはあり得ないし、

復讐とかなら必ず次がある。まだネットで騒がれてる悪名高い役員1人と、傷害で書類送検されたのに不起訴になった教祖が普通に暮らしてるからな。」

樫井は杏花の家で誠士が探し出した情報を元に、過去の教団内の暴力事件の通報履歴などを徹底的に洗った資料と、ネットの噂を比較する資料を作っていた。

晴見にそのファイルを見せながら、『こっから先が全然進まねー。』と項垂れる。

「え・・・でも、この読みが当たっちゃったら、連続殺人になっちゃいますよ!

さすがにそれは、根拠のない憶測で捜査はさせてもらえないでしょうねー。」

「そうなんだよな。もう事故で処理されちまったし。誰かが押したとか少しでも情報があれば防犯カメラ見たりできるかも知れないけど。あとな、死んだ少女には兄がいたらしいんだが、宮坂付近で動物の殺傷事件が相次いだとき、そいつが噂されてたのに、ここ数ヶ月パタッと足跡が途絶えてる。この家庭は怪しすぎるよな。

訪問したいんだが・・・何も理由がないとねー。」

樫井は話し終えると、眉間にしわを寄せてキーボードを慣れない手つきで叩く。


「先輩!僕が少年の足跡をネット内で検索しまくって、教団との関連を調べときますよ。上が動きそうなネタ出てきたら、すぐ連絡します。報告書も先輩名義で作っときますんで、今日は帰って寝てください。」

「晴見、自分の夜勤の仕事もあるのに・・・悪いね。今度奢らせてね!」

申し訳なさそうに帰り支度を始めた樫井は、カタカタと音を鳴らして早速ネット内に潜り込んでいる後輩に労いの言葉を掛けた。

「いや、僕は酒飲めないんで。あー、またこの前みたく終了報告書に僕の名前を載せて頂きたいので、そこだけお願いします。」

チラッと先輩を見上げた晴見は、事も無げにそう語る。

「・・・。わ、分かったよ。じゃあ・・・お先に。お疲れさんー。」

樫井は頭を掻きながら苦笑いをして、ふらつく足取りで刑事課の出口へと向かって行った。



 駅から少し離れたオフィス街の一角にある、隠れ家の様な居酒屋は日曜でもそこそこの忙しさだった。

閉店時間まで働いた香苗は、終電に間に合うように急いで帰り支度をしている。

「香苗ちゃんお疲れ様ー。今日もラストまでありがとね!家の傍まで送ろうか?」

店長でもある父親に頼み込んで見習いに入っている若い板前は、修業中らしく他の従業員を帰した後も焼き鳥の仕込みの練習をしていた。

香苗が終電の時間になると、毎回その手を止めては車を出そうかと声を掛ける。

「大丈夫ですー!健司さんは仕込み頑張ってくださいね!あ、今日の賄いも美味しかったですよ♪お疲れ様でしたー!」

そう言って深くお辞儀をしてから香苗は微笑む。

小走りで扉から出ていく彼女の姿をボーっと見送っていた健司は、鶏肉に刺す予定の串で自分の指を突いてしまう。

誰も居なくなった店内に、彼の悲鳴が虚しく響いていた。


――― 6月14日 月曜日 深夜0時過ぎの三軒茶屋にて


「あんたってホント悪女の極みだね!あんな純朴青年落として・・・可哀想。」

「煩いよアメ。あんたが賄い食いまくるから、大食い貧乏キャラって噂されない様にこっちも味方増やすのに必死なの。つーかこんな暗い所でいきなりバッグから語りかけられるの怖いからやめて!話すならテレパシーで出来るでしょー?」

駅まで続く細い路地を近道に使った為か、人通りは全くない。

香苗は小声で鞄の中の小さな神に返答しながらも、急ぎ足で裏道を進んで行った。


――ドンッ

通路の出口を塞ぐように現れた人影にぶつかってしまった瞬間、香苗の長年の辛い経験で研ぎ澄まされた危機感が、体の動きを止めてはいけないと教えた。

彼女はくるっと反転する様に自分の身体を大通りに出してから振り返る。

「ふーん・・・あ、ごめんね。大丈夫?普通なら尻餅つくとこだったね。

君はスポーツでもやってるのかな?」

一瞬、何かを考えるように香苗を見つめたその人物は、取って付けたように紳士的な口調で謝罪する。

「こちらこそ・・・ごめんなさい。」

小声で謝りながら、香苗は瞬時に相手を観察した。

歳は30代後半、ジーンズにパーカーのラフな服装、この蒸し暑さなのにキャップを目深に被りマスクをしている。背は誠士よりも少し高いが、病的な線の細さだ。

「あぁ・・・この格好変だよね。ボク、化学物質過敏症なんだ。

泥棒とかじゃないから安心してね。」

「それは大変ですね。では失礼します。」

香苗は冷静に切り返すと、大通りを駅に向かって歩きだす。


(香苗さん、あいつヤバイんだのぉー!走った方が・・・)

(そんな事わかってる。でも、こういうのは走るほうがヤバイんだよ!)

頭の中でウカと会話をしながら、最初の信号まで辿り着く。

不意に肩を軽く叩かれ、振り向いた香苗は驚愕の表情を見せる。

先程の男は何の気配も足音も出さずにすぐ隣に立っており、香苗に話し続けた。

「ボク、キャッチじゃないよ!ちょっと人探ししてるだけなんだ。」

「・・・夜中の12時にですか?」

香苗は恐怖を見せない様に淡々と尋ねる。

その様子が面白くて仕方ない様子で男は肩を震わせ、声を押し殺すように笑う。

「ふふっ・・・そう、ボクが探しているのはねーシンデレラなんだよ。」

「・・・。」

香苗は視線だけ動かし交差点内にタクシーを探す。

乗り場に2台以上続いている列には並ばず、1台で流している車に乗る為に歩道の端を歩く。

生温くてゴミの様な匂いのする夜風が、彼女の短い髪を撫でる。

「勇敢な女騎士様は馬車をお探しかな?」

男はゆっくりと斜め後ろを歩きながら香苗に語り掛けた。

「私の知り合いと同じような事言うんですね。」

「アハハ!そう?この趣味が合う人は貴重だからねぇー。

・・・それはぜひ会ってみたいなぁ!その子の名前教えてよー。」

一台のタクシーが通り過ぎる直前に香苗は手を挙げた。

急ブレーキ気味で止まった車に乗り込みながら、香苗は歩道の男を見上げる。


「私、薄汚い野良猫だから・・・男しか寄って来ないの。

知り合いはシンデレラではないかな。御期待に沿えなくてごめんなさいね。」

そう言ってドアを閉める様に運転手に告げた時、男のマスクが大きく歪んだ。

じゃあね!とでもいうように、窓の中の香苗の顔の前に手をかざす。

軽く振ったその手は、骨格標本のように細く血色がない。

親指の付け根の深い傷跡を見た香苗は、悲鳴を押し殺す様に唇を強く噛んだ。

(あれはつばのない刃物・・・包丁なんかで人を刺した時に反撃されて出来る特有の傷だね。)

脳内に響くアメの声には何も返答せず、香苗は運転手に行き先を告げた。

「豪徳寺の駅前のコンビニまで。・・・近付いたら道を教えるから、出来るだけ遠回りしてくれますか?さっきの人、ストーカーなの。」

「コンビニでいいんですか?ご自宅か交番の傍までお送りした方が安全では?」

「家には・・・今日は帰らない方がいい。好きな男の宝物くらい守らないとね。」

「?・・・かしこまりました。」


 段々と街の灯りが減っていく様子を車内から眺めながら、香苗は震える手を握りしめていた。

ここは深海の様な街だ。暗闇で気を抜けば、一瞬で大きな魚の餌食になる。

明るい陽だまりに生きる彼らだけは、絶対にこの闇に落とす訳にはいかない。

(やっと一筋の光を掴んだ、哀れなマリオネットを守れるなら・・・こんな野良猫は喜んで死んでやるよ。)

(絶対、私たちが香苗を守る。そんな一人でカッコつけんなってーの!)

(香苗さんは・・・もう充分、みんなの宝物なんだの・・・。)


情緒不安定そうな女性客がポロポロと涙を零し始めたのを、運転手はバックミラーで見ていた。

面倒な事に巻き込まれた・・・そんな溜息と共にハンドルを握り直す。

豪徳寺の駅前までは、まだ10分以上はかかりそうだった。

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