天罰と浄化
車に
山小屋を出て歩けという、梶の単純な命令と不気味な笑顔は、その先に待つ絶望を色々と想像させて、俺の両足を石のように重くした。
まるでその様子を楽しむかの様に、梶はご機嫌な鼻歌を響かせている。
「まぁーったくよぉー・・・素人が変な正義感で動くからさ、自分から寿命縮めんだってーの!ほらぁー根暗なツラしてるくせに一人ハイキングなんかする奴とか、
特に危ないよねー!こんなだーれも居ないクソ田舎の山なんてよ、オオカミが出た時に助けてくれる都合の良い
梶がもう一度ナイフを俺に向けて握り直し、芳子さんを蹴ってドアから押し出そうとした、その瞬間だった。
――バシュッ!『ぎぃやぁぁぁぁーーーーーー!!』
空気を切るような音と共に、赤と青の閃光が外の林の中を駆け抜け、佐藤の喉を潰した様な悲鳴が聞こえてくる。
やがてそれは、レーザービームの如く梶の両眼を
「うがっ・・・な、なにをしやがった!?てめぇーー!今ここで殺してやるっ!」
梶は左腕で両目を押さえながら、手当たり次第にナイフを振り回す。
「悪いオオカミを懲らしめる神くらいなら、こんな山にもいるんだのぉー!」
「可愛い生霊ちゃんと、そのバァちゃんが散々祈ってくれたおかげで・・・
やっとこのクソ野郎に仕返し出来る力が出せたわねーウカ!」
アメとウカは互いに青と赤の炎に包まれ、憤怒の形相を梶に向けていた。
そしてウカが赤い光を放ち、薄暗い部屋中を駆け回ると凄い勢いで外に飛び出す。
梶は困惑の表情を浮かべ、涙の滲む目を何度も
「はあぁーーー・・・コンコンさまじゃあ!ありがたやーー・・・。」
芳子さんは膝をついて
「何をブツブツ言ってやがるんだクソババァーーー!二人ともそこで待ってろ!」
梶は揺らぐ炎の光以外は、何も見聞き出来てはいないらしく、得体の知れない閃光がまた飛んで来ないかと、念入りに辺りを窺いながら外へ飛び出た。
「誠士!今のうちにバァちゃん連れてさっさと逃げろ!」
アメが梶を追いかけながらそう叫ぶと、鎖が解けた様に不思議と足が軽くなった。
「芳子さん!立てますか?・・・俺の肩に掴まって下さい!」
芳子さんを右肩に寄りかからせて外に出ると、小屋から一番近い大きな木の陰に身を隠す。
小屋の向こう側で梶の怒鳴り声がする。見付からない様に身体を
「はぁ・・・はぁ・・・。」
男でも辛い姿勢なので、老女の体力はもう尽きてしまいそうだった。
少し休もうと、芳子さんを木の下に連れて行こうと振り返った、その時。
「お前ら逃がしたら俺が終わりなんだよ!おっ、大人しく死ねぇーー!」
真っ赤に血走った目をして、息も絶え絶えな佐藤がそこに居た。
発狂したように叫び、大きな木の枝を振りかぶっている。
その重そうな先端は真っ直ぐに、芳子さんの恐怖に歪む顔に落ちていく。
気付けば、自分でも初めて出す大声で俺は叫んでいた。
「や・・・やめろぉーーーーーーーーーー!!」
――走る。間に合うかなんて考えずに。
芳子さんを押しやって倒れこむ。竹刀よりも太い枝が背中側からわき腹を
「うぐっ・・・かはぁっ・・・」
息が無理矢理に吐きだされ、吸いたくても肺が膨らまない。
空気を求めて仰向けになる。浅く短い呼吸が繰り返され、視界が狭まっていく。
「あはっ!うはははぁーーーー!?いひゃひゃぁーー!」
完全に壊れた様子の佐藤は、痙攣したように首を振って笑っている。
振り上げた次の一撃は、確実に地面に転がっている俺の顔面を狙っていた。
避けなければ死ぬことは頭では分かっている。それでも怖くて目を瞑ってしまう。
――ガキィーーン・・・
静かな森の中に、硬い金属同士を叩いた様な高音が響く。
もう駄目だ・・・そう思っていたが、意識がまだ残っていることに気付いた俺は、
ゆっくり瞼を開けてみる。
目の前にはうつ伏せで完全に気を失っている佐藤と、農作業用の大きなスコップを、ゴルフのフルスイングの形で振り抜いた姿の朱莉が居た。
「・・・やっちゃった?」
「・・・ごめんなさいっ!!やっちゃったぁ・・・。」
『い・・・いや良いんだよ。助けてくれてありがとう。』俺はそう答えながらも、
心の中は佐藤が死んだらどうしよう・・・という緊張感でいっぱいだった。
「・・・朱莉、携帯通じた?樫井さんに伝わってれば良いんだけど・・・。」
「山を下りた先の畦道で電波入って、動画をメールで送っておいたよ!
・・・1時間以上は経ってるけど、戻って来てる途中でまた電波消えちゃった。」
そう言って朱莉は、通話の出来ない携帯電話を俺に返した。
『・・・すぐ樫井さんの家に逃げよう!』俺は芳子さんの肩を担ぎ、朱莉を先に行くように促した。
朱莉が飛んで行った先は、アメとウカの祠がある広場だ。
もう少しで帰れる・・・そう思ったが、安心感で気が抜けない様に足を踏み出す。
夕日がだいぶ傾いて、薄暗い森の中を草を
「おい・・・てめぇー大人しそうな顔して、人間フルスイングとはやるじゃねーかよ・・・。」
背後から唸るような声がして、振り返る。
落ちた谷底から這い上がったかの様に満身創痍の梶が、朱莉が置いていったスコップを担いで無理に笑顔を作っていた。
そしてそれを全力で前に放り投げる。運悪く、俺の横で後を振り返って立ち止まってしまった朱莉の腹に当たり、朱莉は道横の草陰に倒れこむ。
『うう・・・』と苦しそうな微かな呻き声が聞こえてきた。
頭の中が沸騰したように熱くなっていく。
「・・・自分の目に見えているものが全てなのかよ。他はどうでも良いのか?」
巻き込まない様、必死に祈りの言葉を紡いでいる芳子さんを地面に座らせる。
「あぁ?」
「・・・クソ野郎!自分が何したか分かってんのかぁーーー!」
気付けば俺はスコップを拾い上げて、真っ直ぐ梶の方へ向かって走り出していた。
――ドゴッ・・・『うぐっ!』
梶の高く突き出した右足が、前に構えていたスコップごと俺の胸にめり込む。
背中から後ろに倒され、吐き気のせり上がる感覚と遅れて痛みが追いかけてくる。
「はぁー!?何をしたか?・・・こんなもんで殺したってつまんねぇから、
切り刻んでやろうと思ってよー。」
梶はスコップを俺の手の届かない方へ投げ捨て、ナイフを逆手に持ち替えた。
本来の目的などは完全に忘れて、証拠隠滅という概念すら無くしている。
――ゴォォォーーッ!
突然、地鳴りのような音の風が吹き抜ける。
木々の上から赤と青の閃光が絡まりながら舞い落ちると、地面に突き刺さった。
アメとウカがまたもや助けてくれたようだ。
しかし、良く目を凝らして見てみると、ソレは幼い姉弟の姿ではなかった。
白い、大きな狐。人間の背丈などを遥かに凌ぐ身体は、真っ白な毛並みで覆われている。大きく裂けた真紅の口を開けると、赤と青の瞳が怪しく光った。
その姿を、梶はみた。
本来見える筈のないものを、強制的に見せられた梶は頭を掻きむしりながら、
良く分からない言葉を叫んでナイフを振り回している。
やがて自分の足に
その顔はもう、戦えるだけの知能は残っていなそうな虚ろな表情をしていた。
「天罰ってやつだよ。クソ野郎・・・。」
俺がそう呟くと、白狐はニタァーーーと笑って煙の様に
「あ、朱莉!!・・・大丈夫!?」
膝丈程もある雑草に埋もれている朱莉の元へ駆け寄り、体を抱き起す。
朱莉は『全然平気だよー・・・おばあちゃん助けに行かないと。』と言い、自分で立ち上がろうとする。
その顔が突然、恐怖に歪んだ。そして『ひっ・・・』と小さく悲鳴を漏らす。
俺が後ろを振り返った時にはもう、梶が鈍く光るナイフを振り下ろした後だった。
俺は咄嗟に、朱莉に覆いかぶさる様に地面に押し倒す。
初撃を避けられた梶は、周囲に絶叫を轟かせながらもう一度近付いてくる。
俺は朱莉の頭を抱きしめて目を閉じ、死の恐怖に震える両手を握りしめた。
――走る誰かの靴音、鈍い打撃音。自分の吐息と心臓の轟音。
(・・・まだ、生きてる?)
頭がひどく混乱していたが、芳子さんが心配で必死に起き上がろうともがく。
何とか上半身だけ起こし、恐る恐る梶の立っている方を振り返ってみる。
梶はすぐ後ろの砂利道の上に誰かにうつ伏せで倒され、背中側に腕を
泥まみれになった梶の背に乗っている濃紺のスーツの大男は、爽やかな笑顔で顔を上げた。
「ごめーん
樫井さんは掴んだ梶の手を弛めない様に気をつけながら、『うわー松宮君、結構やられたね。大丈夫!?』と俺を気遣う余裕っぷりだった。
「・・・。来てくれて良かった。ありがとうございます。」
「いやーでも、松宮君さすがだね!ばあちゃん守りながら2人相手に戦うなんて!
本当にカッコイイよぉー!」
(いや・・・カッコ良すぎんのはあんただよ。)
実際、アメとウカが敵を撹乱し、佐藤に至っては朱莉が制圧したので・・・
俺がした事なんて、ただ逃げ回っていただけだ。
情けなさと安堵感で、一気に全身の力が抜ける。『んんっ・・・』という苦しそうな声が身体の下から聞こえ、朱莉を押しつぶしたままな事にやっと気付いた。
「ご・・・ごめん!」
すぐに横にどいて朱莉を抱き起す。
かなり重かったのか、頬を真っ赤にして苦しそうだ。
祠の方の道から大勢の足音が聞こえ、樫井さんが大声で『山岸さぁーん!救急連絡お願いしまーす!』と叫んだ。
遠くの方から複数のパトカーのサイレンの音が近づいてくるのが分かる。
山岸と呼ばれた40代くらいの制服警官の男の後ろには、5、6人の屈強な警察官がついてきていた。
「樫井さん、緊逮?その
「そうです。そこの子は僕の友人で、あっちのバァちゃんも知り合いです。
向こうに
樫井さんは色々な説明をしながら、梶を山岸さんへ引き渡すとすぐに俺の所へ走ってきた。
「松宮君、救急車呼んだから下に来てる。病院にも家にも警察来るけど、ありのまま話せば大丈夫だから・・・。」
真剣な口調だが、人を安心させる笑顔も見せた樫井さんは俺に肩を貸してくれた。
「樫井さん・・・こんなに沢山の刑事さん、良く2時間足らずで集まりましたね?」
暗くなりかけた山道をゆっくりと下りながら、俺は疑問に思っていた事を尋ねた。
「あぁー・・・実は昨日から捜査の依頼を警察署にしてたんだ。麻薬製造関係で。
そっちの容疑は令状待ちって言われてたんだけど、さっき傷害、監禁事件の証拠が松宮君から届いたからさ、知り合いの署員に通報した後で、俺は一足先に超特急で来たってわけよぉー!そしたらさぁー松宮君殺されそうになってるんだもん!
マジで心臓止まるかと思ったよ・・・。」
「・・・俺もまさかこんな事になるなんて思いませんでした。
ホームで幸さんから色々話聞いてるうちに、この山の管理をしている団体が怪しいと思って・・・。様子を見に来たら芳子さんが捕まってたんです・・・。」
道路脇の入山口は、救急車が2台と消防車やパトカーで埋め尽くされていた。
右手の救急車には、先に担架で運ばれていた芳子さんが乗せられている。
もう一つの救急車に俺を乗せた樫井さんは、『やるじゃん!よっ名探偵!』と笑っていた。
「色々と署で話があるんだけど、終わったらすぐに病院迎えに行くからね!」
樫井さんはそう言って、自分の車の方へ走って行った。
レントゲンの結果を待つ間も、ずっと警官に張り付かれて話を聞かれていた俺は、ケガの痛みを忘れるほど疲れてしまった。
植木鉢でやられた頭の傷は医療用ホッチキスで5針縫ったが、他の所は無事だった。
やっと樫井さんの家に帰れたのは夜の9時で、心配して待っていた樫井さんのお母さ
んは玄関で俺を抱きしめた。
樫井さんの部屋には布団が敷かれ、机におかゆを用意してくれている。
朱莉と一緒に分け合ってそれを食べると、温かさと安心感で涙が出そうになった。
そんな俺の様子を見た朱莉は、『誠士くんが生きててくれて嬉しいよ』と言って、
笑顔で手を握った。
真っ暗な闇の中に虫達の鳴き声がこだまする夜明け前、俺は何かの気配を感じて目を覚ました。
ふと目を向けた窓の外には赤と青の光が揺らいでいる。
部屋を見渡しても朱莉の姿が見えない。
寝ている樫井さんを起こさない様に、そっと部屋から出て家の外に向かう。
玄関の裏手、光の見えた方に歩いていくと楽しげな話声が聞こえてくる。
縁側に子供の姿の
朱莉は少し離れた縁側の端に腰掛け、じっとその様子を見つめている。
「凄い集まってんなー。みんなどうしたの?」
俺は朱莉の隣に座って話しかける。
朱莉は何も言わずにこっちを見て、突然ぽろぽろ涙を零して泣きだすと、そのまま
俺の肩にもたれ掛かった。
何が起こっているのか分からなくて固まる俺の前に、御影を抱いた幸がフワリと近付いてくる。
しかしその足は半透明ではなく、しっかりと地面を踏みしめていた。
「松宮さん、浅葱山を救って頂いて本当にありがとうございました。
おばぁちゃんも、とても喜んで眠りましたよ。」
「・・・それって・・・。」
「・・・はい。【星野 幸】の人生は先程、終わりました。
沢山の家族に見守られながら、幸せそうに息を引き取りました・・・。」
幸はそう言って、優しく御影の背を撫でる。
フワフワの錆色の毛並みは夜風に揺れ、薄緑の瞳は真っ直ぐに俺を見つめた。
「誠士、よく皆を守りきったな。立派だったぞ。
・・・幸もよく頑張ってくれたのだ。夕方に目を覚ますと、家族に山の管理を頼んで息を引き取る直前まで、その神々に祈りを捧げていたよ。」
俺は幸に心地よさそうに抱かれている御影を見つめ返した。
幸せな光景なのに、胸の奥がズキンと痛む。
「そうか。それならもう荒らされる心配はないな。・・・もう、いくのか?」
「・・・あぁ。恨みを
御影はそう言うと、にこやかに幸を見上げてから朱莉の膝に飛び移った。
「朱莉・・・最後まで見届けられないのは、私も心残りだ。
でも、お前も分かっているのだろう?本当にお前の支えになるのは私ではない。」
朱莉は御影を抱きしめ、ずっと泣いていた。震える肩に俺はそっと手を置く。
遠くの空にはうっすら朝日が顔を出し始めたのか、真っ暗な夜空は紺色から群青色に変わってきていた。
「悲しむことはないんだのぉー・・・。乙女の祈りの力で、こうして神として役に立てることになったんだのぉー。彼らの幸せは、君のおかげなんだのー。」
朱莉が泣き止み、輝く朝日が世界に色を与え始めた頃に、突然ウカが口を開いた。
「えっ?乙女の祈り・・・?」
鼻をぐずつかせた朱莉は、何を言われているのか分からない様子で聞き返す。
「イタコも幸もばぁーちゃんだからね!純潔の乙女の願いってのは相当凄いとは聞いてたけど・・・まさか神体化まで出来る程とはねー!あんたがそいつに大事にされてて良かったわー!」
アメが事も無げに俺を指差してそう言うと、朱莉は『えー!?@3w#x%*y&!おぁうわぁ!!』と謎の言語を叫び、顔を隠してうずくまった。
御影はいつも通り大笑いしながら、クスクス笑う幸の足元へ歩み寄る。
「最後にお前たちと過ごせて、本当に退屈しない、素晴らしい毎日だったぞ。
朱莉・・・自分の気持ちを大切にな。誠士・・・もう何も言う必要もないだろう・・・お前は人を救える人間なのだから。」
御影が別れの言葉を口にすると、朱莉はハッとして顔を上げ前を向いた。
生まれたての太陽と同じ色に染まった頬を、また涙が伝う。
それでも、向日葵の様に真っ直ぐに、とびきりの笑顔を御影と幸に贈った。
微笑みを返しながら消えていく二人を、俺も伝えきれない感謝を込めて見送る。
全ての力を使い果たしたアメとウカも、虹色の小さな丸い石となって転がった。
『お守りにしてね。』そう言われた気がして拾い上げ、ハンカチに包む。
それをポケットにしまうと、体中が温かくなっていった。
夜が完全に明ける。すべての世界を朝日が包み込み、輝かせる光景は魂の浄化
そのものだった。
賑やかだった縁側には二人きりしか居ない。
俺は冷たくなった朱莉の左手を握り、ポケットに招き入れる。
朱莉は小さな声で『ありがとう』と呟き、握り返した手に少しだけ力を込めた。
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