感情
生霊とは、人の感情そのもの。前に
その姿は幸せな家族に囲まれている現在の老人のものではない。
幸さんが死の間際に本当に欲したものは、御影との思い出だったのだ。
(・・・
(朱莉は、朱莉だよ・・・誠士。他の誰でもない。)
御影は俺の心にすぐに入ってくる・・・。意地の悪い冗談を言う時も多いが、
朱莉の事で悩んだ時は必ず口を挟む。
優しい母親とはきっと、こんな感じなのかも知れない。
ふと、腕時計を見ると昼を過ぎたところだった。
もうすぐ幸の家族が見舞いに来る時間なので、ここにいてはまずい事になる。
「御影と朱莉は人には見えないから、まだいても良いけど、俺は一度離れないといけないんだ。・・・幸さん、元の身体だった時の記憶はないですか?
幸さんが入所する前に、自分の土地の山と小さな神社を管理していたそうなんですけど・・・管理を委託された人が、何か悪用しているみたいなんです。」
「私は、ミーちゃんのことが心残りで生まれた生霊みたいだから、おばあちゃんの時に何をしていたかは知らないの。・・・でも、この人の意識が無いときはずっとここにいて見てたんだけど・・・ミーちゃん達が来る前に、変な人が来たわ。」
「変な人!?」
幸の話に御影が反応し、心配そうに顔を見上げた。
幸は『大丈夫、おばあちゃんには何もしてないの』と微笑んで御影の背を撫でた。
「朝の面会時間が始まってすぐだったわ。黒いスーツを着た男の人が二人きて、
急いで棚の引き出しを探って、印鑑を変な紙に押して帰って行ったの。」
「えっ・・・泥棒!?」
朱莉は口を押さえ驚いている。御影の毛並みが逆立ち、瞳が怒りで揺らぐ。
「朱莉、ちょっと棚開けてくれる?」
「う・・・うん。」
俺が頼むと朱莉はベッド横の棚の引き出しを少し開ける。
中を覗くと、(浅葱山を自分が亡くなったあとも『
へ貸し出して欲しい)という内容の家族へ宛てた依頼書の控えが入っていた。
「山の権利は簡単に譲渡出来るものじゃないし、権利書を盗む意味もない。
でも、家族が幸さんの意志を尊重する人たちだとして、こういう書類を見つけたとすると・・・急いで山を売りたいと思わない限り、またしばらく自由に山を借り続ける事が出来るのかも知れない。」
俺は法律の事なんて分からないが、堂々と幸さんの家族に引き続き貸して欲しいと頼まずに、こんな姑息な手段を使うという事は、なにか
「勝手に書類を作って判を押してるってだけで、限りなくおかしな団体だけど・・・そいつらが本当は悪人じゃなかったとして、俺がこの紙を持っていったら、たぶんヤバいよな・・・。」
「誠士は未来ある若者だ。わざわざ犯罪に手を染める必要はないだろう。」
御影は半ば諦めたように俯いた。
俺は納得が行かないものの、樫井さんやバイト先の人たちの顔が浮かんだりして、
色々考え過ぎてしまう。
暫く全員が沈黙していた。その重い空気を切り裂くように突然朱莉が叫ぶ。
「私が持っていく!誰かが見ても、きっと風で飛んだって思うし!」
――止める間もなかった。朱莉は引き出しからコピー用紙を取り、窓辺に立つ。
出窓は人が通れるほどは開かない様に造られている。
手を掴もうと伸ばしたが、朱莉はフワッとすり抜けて光の差す方へ消え去った。
「誠士!追いかけよう・・・浅葱山に違いない。」
御影が幸の腕から飛び降りて、そう叫びながらドアの方へ走る。
「御影・・・ありがとう。いつも朱莉を助けてくれて。
でも、やっと幸さんに会えたんじゃないか。・・・もう傍を離れるなよ。」
俺は、御影の身体を初めて抱き上げた。薄緑の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「・・・幸さん、騒がせてごめんなさい。また後で、朱莉と一緒に戻ります。
もし、意識が戻ったら・・・家族に幸さんが悪人に騙されてると伝えて下さい。」
俺はそう言いながら、幸の腕に御影をそっと引き渡す。
「松宮さん!ミーちゃんと会わせてくれて、本当にありがとうございました。
・・・それだけでも充分なのに、おばあちゃんの思い出の場所まで守って頂けるんですね・・・なんと御礼を言えばよいか・・・私に出来る事なら何でもします!」
幸はしっかりと御影を抱きしめながら、涙を拭いてお辞儀をする。
俺は二人に手を振り、リュックを背負い直すと白い部屋を飛び出した。
【星野さんに会えたのですが、浅葱山を貸しているNPO法人の方と、
意見の相違があったそうなので、代理でこれから山の管理小屋へ向かいます。
夕方までには自分でお家に戻ります。】
バスを待つ間、樫井さんにメールを入れる。
腕時計は13時を指しているので、彼らも桜山からちょうど下山している頃だろう。
浅葱山に着くのに1時間程かかったが、返事は来なかった。
入山前に携帯をもう一度見てみると、電波が全く入っていない。
朱莉は、人の走るスピードくらいでしか飛べないが、すり抜ける特技を生かして
無言ヒッチハイクをしているかも知れない。
悪いやつらは生霊なんて見れないのだから、心配することは無いのだが・・・
なぜか胸騒ぎがする。
ポルターガイスト騒ぎになって事故にでも遭えば、感情で繋がっている本体の身体も、ショック死する可能性がある。
山道を駆け抜け、祠のある開けた
この空間だけ時間が止まったように静まり返っている。アメとウカの姿もない。
出来るだけ静かに歩いて奥の小屋を目指した。
また木の無い広い土地に出る手前で、大きな
ロッジの様な古い木の山小屋があり、その隣には仮設のプレハブが1棟建てられていた。窓のない、倉庫の様なプレハブは8畳程の大きさだ。
脇に大きなワゴン車が停めてある。
――ガチャッ!音もしなかった山小屋の扉が急に開き、中から男が1人出てきた。
手には小さな植木鉢を持っており、プレハブの方へ運ぼうとしている。
30代の作業着姿の男性だ。本当に植林をしているのだろうか?
とんでもない勘違いで、大切な書類を盗んでしまったのかも知れない・・・。
少しづつ背筋が寒くなっていく。
「おーーい!梶さんーーー!やべーよぉ!」
突然、左側の斜面から大きな怒鳴り声がした。梶と呼ばれた男が鉢を地面に置いて小走りで見に行く。
「なんだよ!!なんかまずったかー佐藤!?」
「マジ、ふざけんなよこのクソババァーー!!」
佐藤と呼ばれた20代前半の男は、怒りに満ちた罵声を隣の人影にぶつけている。
引きずられる様に連れてこられた人影は、小屋の近くに倒された。
白髪に巫女装束・・・あれはイタコの芳子さんに間違いない。
手には何か緑の草のような切れ端を握りしめている。
「つっこくるでねぇー・・・おめぇーらがしょーきだべなぁ。」
芳子さんは足を痛めた様で、立ち上がることも出来ない。
「このババァ、最近よくちょろちょろしてると思ったら、こぼれ種で生えてた葉っぱ千切って回ってたんだよ!」
「おめぇらー・・・こーんなあぶせぇ商売やめとけぇ。まだわけぇーんだいの。」
佐藤が威圧するように叫ぶ間も、芳子さんはなんとか説得しようと男二人を交互に見て語りかけていた。
「あぁー・・・このばーちゃん、なんかイカれてるって有名なやつじゃん。
おい、どうせ警察にタレこんだのに信じて貰えなかったとかじゃねーの?
アハハ!そっかぁーーーだから1つ1つ草千切って捨ててたのか?
根っこから引っこ抜く力も、この小屋燃やす勇気もねぇーババァにさぁーーー!
一体何が変えられるって言うんだよーー。ははっ傑作だなぁーまったく!」
梶は嘲笑するように芳子さんの顔を中腰になって覗き込むと、地面に唾を吐く。
通報しなければ!
しかし、電波が全くないことを示すマークは変わらず表示されたままだった。
とりあえずカメラの録画機能をスタートさせ、木の根元に立てて置く。
隙を見つけて芳子さんを助け、この携帯を回収して戻れれば・・・。
「おい!佐藤ーー。夏には花が取れる。そしたらここ捨てて他行く予定だったろ?
いったん鉢全部さー車でマンション移しといてよ、このバァちゃんの滑落遺体を発見した良い団体として評価されとけば、もう少し信用させとけんじゃねーか?
警察ってのは馬鹿だからよー・・・一度調べて何も出なかったら、そうそう次がくるもんじゃねーしなぁ?」
(嘘だろ!?・・・殺すってのか・・・。)
頭の中で何かがバチッと
気が付くと俺は、何かに背中を押されるように山小屋の前へ飛び出していた。
「おい!何してるんだ!・・・その人から離れろ!」
「あぁ?んだょー今度は山登りのガキかよ。・・・立ち入り禁止って、見えなかった?このばあちゃんボケてんだよ。さっさと連れてってくれない?」
俺が大声を出したからなのか、意外と落ち着いた様子の梶は、芳子さんの腕を掴んであっさり引き渡してきた。
「分かりました・・・。芳子さん、行きましょう!」
俺はそう言って芳子さんと手を繋ごうとした。
――ガチィィッ!!
何かが頭に落ちてきた。凄い耳鳴りと目眩で視界がぼやける。
這いつくばって倒れた俺は、ゆっくり背後に首を回す。
涙で滲む視線が捉えたのは、壊れた鉢植えと
「何やってんだよ佐藤ー。まだ死んでねぇじゃん。とりあえずさぁー、ハウスん中のをマンションに運ぶの終わるまで、縛って小屋閉じ込めとけよ!」
梶はそう言って、プレハブ内のプランターをワゴン車に積み始めた。
「おら!さっさと中行け!ババァもだ!」
佐藤に小屋の中に突き飛ばされ、ロープで手と足が縛られる。
植木鉢で殴られた頭が痛くて、何も抵抗出来ない。
「やめろ・・・芳子さんは帰してやれ。」
「運の悪い大学生だなー。・・・後で楽にしてやるから、そこで待っとけ。」
佐藤はまだ悪に染まり切っていないのか、虚勢を張った声が震えている。
俺の言葉には耳も貸さず、縛った芳子さんを部屋の中央へ蹴っ飛ばすと、
慌てたように走って出て行った。
ガターン!と大きな音がして、『あぁっ!!』と芳子さんが悲鳴をあげる。
芳子さんが心配で、上半身を芋虫の様にくねらせ、這って進む。
外から鍵がかけられた気配がして、車が走り去るエンジン音が遠のく。
「芳子さん、大丈夫ですか?」
「うぅ・・・えれぇーこったのぉ・・・。」
中央に置いてあるテーブルにぶつかった芳子さんは、あまり反応がないが、
かろうじて意識はあるようだ。
何とかして逃げなければ大変な事になる・・・。
――ガチャガチャ!
急にドアノブを無理にひねる音がした。
(まさか!もう戻って来たのか?本当にどうしたら良いんだ・・・。)
俺は緊張感に押し潰されそうになりながら、必死に考えを巡らせる。
すると突然、開いてもいないドアから白い手が突き出して来た。
それはすぅーっ・・・と水鏡をすり抜ける様に、部屋へと入って来る。
「誠士くん!!えっ・・・大丈夫!?」
声がした方を身体を起こして見上げると、朱莉の驚いた顔が見えた。
「朱莉・・・良かったーー無事で。」
「全然良くないよ!二人とも酷いケガ・・・。」
朱莉はフワリと俺の傍に来ると、手で俺の後頭部をギュッと押さえた。
首筋に温かいものが伝ってるのを感じ、初めて頭から出血していた事を知る。
今まで大ケガなどした事もなかったので、朱莉や芳子さんが目の前に居なければ、パニックになっていたかも知れない。
守らなければならない存在とは、傍に居るだけで心が強くなるものらしい。
「どうにかして、外にでないと・・・。」
冷静に辺りを見回す余裕が出来ると、だいぶ視野が広がった。
2人掛けの小さなテーブルとイスが部屋の真ん中にあり、ガラスの小さな窓が二つの壁にあって外の空が少し見える。窓のない壁は大きな棚が据え付けられていた。
棚や床に置かれた大きなバケツには、様々な農機具が無造作に入れられている。
「朱莉・・・俺の頭は植木鉢の破片で少し切っただけだから、大丈夫だよ。
使えそうな農機具さがして、ロープを切ってくれないかな?」
「わ、わかった・・・ちょっと待ってて。」
朱莉は部屋の隅々まで探したが、ハサミやカッターは見つからない様子だった。
やっと見つけた鎌は長い間使ってないらしく、錆びだらけだ。
『うーんよいしょ・・・』朱莉は慣れない手つきで、俺の後ろ手に縛られたロープを切ろうと必死に鎌を動かす。
「痛っ・・・!」
「ええっ!?どうしたの朱莉!?」
「ううん・・・手を切った気がしただけ・・・。焦っちゃって、自分がケガしないって事、忘れちゃってた・・・。」
朱莉の言葉を聞いた瞬間、心臓が止まりそうになった。
「だっ、ダメだ!もうやめていい!」
「・・・えっ!どうして?」
「痛いって思ったり、死ぬかも知れないって思ったら、本物の身体にも影響があるんだって言っただろ!?・・・もう良いから、大きな楠の下にある俺の携帯を持って、電波の届く所まで行ってくれ。樫井さんに録画されてる動画をメールして!」
切羽詰まっているからか、突き放すような言い方になってしまう。
「いやだよ・・・こんな事した人が戻ってきたら・・・誠士くん達が・・・。」
朱莉は泣きそうになりながら、震える手で鎌を動かし続けた。
――ギチッ・・・麻の繊維が少し緩んできた感触がする。
俺は自分の限界の力を込めて、手首を引き抜こうとした。
ブチッ!と鈍い音がして小指程の太さのロープは千切れ、両手が自由になる。
「朱莉!ありがとう。鎌貸して・・・あとは自分でやる。
さっき言った通り、携帯を見つけて樫井さんに連絡してくれる?」
不安な気持ちにさせないように、今度は笑顔で朱莉の目を見てそう伝えてみる。
「・・・分かった!」
朱莉はそう言ってドアをすり抜けていった。
腕時計を見ると、もう15時になっている。あいつらのマンションとやらはこの近くなのだろうか?
俺は急いで足首のロープを鎌で切り始めた。
芳子さんはかなりの年齢だろう。もし骨折なんかしてたら、早く医者に見せなければ手遅れになり、寝たきりになるかも知れない。
焦る気持ちで鎌を動かしていたら、左手の親指の付け根を少し切ってしまった。
紙で切った時などとは全然違う、ズキズキと焼けるような鈍い痛みが広がる。
朱莉にこんな思いをさせたのかと思うと、胸が苦しくなった。
なんとか足首のロープも切り自由になった俺は、芳子さんの元へ駆け寄る。
「おめぇ・・・なっから良い子だねぇ・・・。あの子がでーじなんさねぇ。」
「・・・?大丈夫ですか?今ロープを切りますね。」
芳子さんは逃げないだろうと高を
腹と腕にロープを巻き付けているだけだった。
すぐに切れたロープを解き、芳子さんを立ち上がらせる。
――ガチャ!
突然、外側からドアが開け放たれ、傾いた陽射しを直視した目が
「よぉ・・・ヒーロー君。死ぬ時間だよぉ!」
入り口に立つ梶はそう言って、意地の悪い笑顔を浮かべた。
そして、右手に持っているサバイバルナイフをクルクルと回す。
「この場で死にたくなかったら、景色の良いとこまでついて来なぁー。」
梶はその銀色に光る切っ先を、ゆっくりと芳子さんの方へ向けて俺に促した。
崖から突き落とす気なのは明白なのだが、どうすれば良いのか分からない。
背中を流れる汗が伝い、膝から下が崩れそうな程震える。
死にたくない、そう思った瞬間に脳裏に浮かんだのは・・・この状況には不釣り合いな程明るい、向日葵の様な笑顔だけだった。
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