出発の前に
脱衣所のないワンルームは来客時の風呂上がりに困る。
俺は廊下に用意していたタオルを取り、ユニットバスのトイレで手早く着替えた。
いつも髪は寝室で乾かしていたので、タオルを首にかけたまま部屋へと戻る。
「そんな薄い服で外に出て寒くないのか?」
ちょこんとフローリングの上に座り、小さなテーブル一杯に先ほど割った貯金箱の中身を並べて見ている朱莉に俺は尋ねる。
「おかえり!あっ前髪下してない方がカッコいいね!」
『・・・。』
質問に答えるよりも先に謎の感想を述べた朱莉は、唖然として立ち尽くす俺に
全くお構いなしにペラペラと話し始めた。
『あぁー。多分、痛みとか暑さ寒さは感じてないと思う。本当は今も食べなくても寝なくても平気なんじゃないかな・・・?物に触れてるのも、どういう理屈か全く分からないよ。頭の中でイメージしたこと全て出来るような、不思議な感覚!』
「でも俺は朱莉に触られた時、ちゃんと感触があったんだよなー。」
出会った瞬間にいきなり頬に触れられたことを思い出して呟く。
実体がある訳じゃない幻なら、あの現象は何だったのだろうか?
透けた両足以外は人間にしか見えないのに、瞬きをする間にも泡のように消えてしまいそうな儚さを感じる。
(生きているのに、幽霊のように過ごしている・・・か。)
今の俺も同じ様な状態だった。しかし、自分が望めばいつでも変わるチャンスがあったのに何もしてこなかった者と、いつ終わるのかも分からない暗闇の中で、
自分ではどうにも出来ないのに必死に前を向く者。
その両者には決定的な違いがあるのだ。
(この世は理不尽だよな・・・。)
俺は胸が締め付けられる思いで朱莉の顔を見つめていた。
「えっ?ちょっとちょっとー!なんで誠士くんが暗くなるのー?
そりゃー私も最初はビックリしてたけどさ・・・今はご飯も食べれるし!
生霊も意外と普通だよー!それにね、手の感覚まで無くなってなくて本当に良かったなーって思う!」
ひと際明るい声でそう言いながら、朱莉はゆっくりと立ち上がると、
俺の顔を覗き込むように前に立つ。
―――誰かと握手をした時、どちらかの手の暖かさしか分からないなんて寂しすぎるから。
・・・多分、そう言って朱莉は俺の右手を両手で包んで笑っていた。
話の途中から自分の心音がうるさく響いてうわの空だった俺は、曖昧な返事をしていた様な気がする。最後の方は良く聞こえなかった。
後で戻って仮眠する予定なので整髪料は付けず、軽く身支度をすませた。
長袖のTシャツだけでは寒そうなので、ダウンベストも着込んで玄関に向かう。
「出発の前に確認なんだけど・・・。俺以外の人は朱莉を見て驚かないかな?」
「うーん・・・たぶん大丈夫だよ!誠士くんしか私の事見えてる人いないから!
あっ・・・。(あなたしか見えない!)なんて、ドラマのセリフじゃーん!
って感じだよね♪」
「・・・いつもどこでドラマ見てんの。」
「下のおばあちゃんの部屋で見てるよ♪懐かしメロドラマ再放送ってやつ!」
『・・・。』
外に出てみると、厚い雲の隙間から光が降り注いでいて、所々に青空が顔を覗かせている。
小さな一歩を踏み出すには、丁度良い1日になりそうな予感がした。
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