おでんは涙の味がする

――― 3月13日 土曜日 雲間から光が降り注ぐ朝


 トントントン・・・まな板を叩くような音で目が覚める。


これはまさか・・・居候のお礼に美少女が朝食を作ってくれるという、

幻のシチュエーションなのか。

正直、昨日の出来事は良く覚えていない。

あまりに衝撃が強すぎたのか、空腹で血糖値が下がりすぎたせいなのかは分からないが。

もしかすると、この軽快なリズムすら酷くなった俺の幻聴かもしれない・・・。


 枕から顔を離し、台所の方を見てみる。

誰もいない。音も止まっているようだ。


(やっぱり幻だったのか・・・本気で病院探すかな。)

もぞもぞと布団から抜け出そうとしながら、そんなことを考えていた。


 ガラガラ!ギ~・・・。静かになっていた部屋に、錆びて歪んだベランダの扉を

こじ開ける様な甲高い音が響く。

「!?何?」

跳ね上がるように上半身を起こして窓の方へ振り返る。


「ごめんね!起こしちゃったよね・・ご飯のお礼にお金払おうと思って。」

部屋に入って来た朱莉あかりは、左手に泥だらけの人形を持ち、

右手に片方の先が尖った金槌を握っていた。

・・・ある意味、強盗がいた方が恐怖が少なかったと思う。


「お礼参りってこと・・?」


「?普通に御礼だよ?昨日の夜中、神社の近く通ったらね、猫の霊が人形の埋まってる場所まで案内してくれてねー♪これ、貯金箱になってるみたい!近くに釘と落ちてたコレ(金槌)も拾ってきたし、開けてお金出そうと思ったのー。」


(まずいまずい・・・色々ヤバすぎて何から突っ込んで良いのかも分からなくなる・・・)


 そもそもキャパオーバーなのだ。昨日の帰宅から、この心臓に悪すぎる

朝の一コマまでで、軽く以前の俺の1週間分くらいの会話量だろう。


「ちょっと順番に整理させて・・・。

まず、俺は御礼を貰えればずっとこの家に居ていいとは言ってないです。」

「次に、神社に埋まってた貯金箱なんて誰かが隠したものだし、勝手に取って来たらまずいです。」

「最後に、生霊が金槌持って部屋にいるのは怖すぎる・・・。」


 混乱してるせいか、他人行儀で冷たい言葉が並ぶ。

一方的に威圧してしまった事に、言い放った後で気付いたが、

コミュニケーション能力が乏しい俺に上手いフォローが思い付くはずもない。


 朱莉は口を半開きにして黙って聞いていたが、少し俯いたあとで、

ゆっくり話し出した。


誠士せいじくんは、私が怖い?」

「ごめん。別に害がないのは分かってるよ」


(うわー・・・害ってなんだ。また変な言い方した・・・。)


「私は誠士くんが私に気付いて無いとき、周りの全てが怖かった。

自分は誰?なんで誰も見てくれないの?って・・・。」


段々と胃の辺りが縮こまって、息苦しさにも似た後悔が沸き上がるのを感じながら、俺は朱莉を見つめていた。


「でもね、昨日ね、初めて話せたとき、心が暖かくなった気がしたの。

誠士くんのくれたお弁当、たぶんこんな事になる前に食べてたどんなご飯より美味しかったと思う。」

朱莉は無理やり笑おうとしているかの様に口の端を歪めた。


 こんなに素直な人に出会ったことは今まで一度も無かったと思う。

気まぐれに手を貸した後で、遠回しに拒絶をしてきたような相手に、

ここまで真正面から自分の気持ちを伝える事が出来るなんて。


「ちょ・・・ちょっとそこで待ってて!」

 気が付くと、朱莉にそれだけ伝えた俺はローテーブルの上の財布を掴んで、転がるように玄関を飛び出していた。



 近所のコンビニで買ってきたおでんは、程よく味が染みていて美味しい。


「はふっ・・・うん。暖かい物食べると落ち着くな。」

具材の半分を取り皿に分け、自分は買ってきた容器のまま食べ始めた俺を、怪訝な表情で朱莉は見つめていた。

「それ朱莉さんの分ね、好きな具かどうか分からないけど。」


 表情を見るのが怖くなって、手元の器に視線を落とす。

この年になって言い過ぎた事をサラっと謝れない自分が恥ずかしい。


「初めて名前呼んでくれた。」


「うぐっ・・・えっ・・・?」

予想外の発言に、竹輪をくわえたまま俺は顔を上げて朱莉を見る。

朱莉は器を手で包み込むように持ったまま呟いていた。


「居候さんでも、生霊でもなく、朱莉さんって言ってくれた・・・。

当たり前みたいに朝ご飯を分けてくれた・・・。」

朱莉はぽろぽろと涙を零しながら、少し冷めたおでんをかじり始めている。


「本当にありがとう!誠士くん。勝手なお願いなんだけど・・・。元の身体、

探し続けてなるべく早く戻れるように頑張るから、もう少しだけここに居候させて貰えないかな?一人で外にいると・・・自分が本当に存在してるのかどうか、

分からなくなるの。」

そう話すとゆっくり箸を器に置いて、両手で膝を抱えてうずくまってしまった。


 こんな時、爽やかな笑顔で『いつまでも居たら良いよ♪』

なんて言える男は絶対にロクな奴じゃないと思う。

しかし、人から逃げるように生きてきた筈の俺ですら、そんな臭いセリフを言ってしまいそうになる、不思議な力を朱莉は持っているようだった。


「分かった。」

 脳内で散々言いたいことを捏ね繰り回していたのに、

結局それしか言葉は出てこない。

朱莉はどんな表情だったのだろうか?

下を向いたままの俺は、何の味もしなくなったおでんを飲み込むのに精一杯だった。

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