HUG 女衒の恋

ハシヅメ エツ

序章

 序

 腹は減らない。眠気もない。その代り、ただただ気だるさが体に蓄積していく。そして、給料日前だから、お金が足りない。

 ベッドで目覚めると、携帯に通知がたまっていた。通話のボタンをプッシュする。

 「ああ、悪い。15時な。あと30分?わかった。そいつから電話あるから、かかってきたら知らせる。そうしたらホテルの前行って。ホテルの名前、森林だよ。うん」

 そして、また別の女の子に電話を掛けた。同じような指示を飛ばして、またベッドに横になった。

 夏休みはよく働いた。自分で設定した給料日に、働いた分のお金が入ってくる。自分でそういうのを設定しないとコントロールが効かない気がしていた。俺は、きっとひどく幼い。覚えたばかりの煙草に火をつけて、たまにいつもより濃いやつを買って派手にせき込む。

 体を起こす。部屋はもう暗い。大学の近くに借りた安アパートの一室。風通しがよくて、車の音がよく聞こえる。酔っ払いの叫び声が夜になると聞こえる。煙草に火をつけて、ぼさぼさの頭のままベランダに出た。外の空気はうっすらと冷たくなってきている。

 ベランダでしばらく、ぼんやりとしていた。もう少しでアイコが来る。アイコはいいやつだと思う。煙草吸っても酒飲みすぎても何も言わないし。

 「あんた」

 チャイムも押さずにアイコは入ってきた。部屋にいるときは鍵は開けっ放しだった。アイコは薄着だった。夜はもう肌寒いのに、黒いTシャツ一枚に薄い色のデニムだけという格好だった。

 「寒くないの、あんた」

 「まだ厚着するような時期でもないし」

 「そっか」

 アイコは、一番最初にうちで働いた女の子だった。

 部屋に上がって電気をつけ、二人で飯の準備をした。アイコが持ってきた酒を冷蔵庫に入れて、フライパンに火をかける。

 「仕事はどう」

 「やっと慣れたってかんじ。わかってたけどOLとか向かない」

 「だろうな」

 「でもさー、これでもう実家帰るときうそつかなくていいんだよー」

 「そりゃいいよなあ。なあ、アイコっていくつになったの?」

 「27」

 「マジか」

 「なに。おねえさんでびっくりした?」

 「べつに……」

 新しい煙草に火をつけた。

 「ガキ」

 「成人してんだけど」

 ニンニクを油でいためて、ベーコンを焼く。塩を入れる。火を止めて、スパゲティーを茹でる。ペペロンチーノだった。いちばんシンプルで好きだった。

 アイコが俺の口から煙草を抜き取って、三角コーナーに投げ捨てた。にやにやと笑って、酒の準備をした。

 テーブルに着くと、開けっぱなしの窓から風が入ってきた。今年最後になるであろう台風が近づいているらしい。そうしたら、もう夏は面影も残さずどこかに行ってしまう。

 「仕事初めて一年だよ。今日で」

 グラスにはスパークリングワインが継がれている。ワインなんて飲めなかった。いつも缶チューハイ一本でべろべろに酔っぱらってしまう。

 「いちいちそんなの覚えてるんだ」

 「一生悔やむだろうからな」

 仕事を始めて一年たって、いろんなものが変わった。大学は休みがちになったし、実家に帰るのがなんだか気が引けるようになった。大きな街を歩くと汚い部分や、暗がりが目に付くようになった。散らばってるゴミ、ホームレス、立ちんぼ。新宿西口の駅前を歩いたとき、足の先から顔までタトゥーで埋まってる男が道に座り込んでるのを見た。正直、すごく怖かった。

 「お前だけまともになるなよ」

 「子供だね」

 俺は、女衒だ。世にはびこるクズの一員だ。

 「乾杯しよ?」

 「お仕事記念日に?」

 「そう」

 うなずいて、乾杯した。

 「なあ、アイコ」

 「なに?」

 「セックスしない?」

 「やだ」

 俺は勢いよく酒を飲んだ。そして、すぐに酔っぱらった。スパゲティーもなんとか食べ終わった。

 いい一日じゃないか。そう思った。

 スマートフォンが、ぶるぶると震えた。

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