6. “Beverly Hills Cop”
体育館は閑散としていた。赤崎高校の全校生徒は約千人。今日ここにいるのはそのうちわずか三十人前後に過ぎない。
千人から三十人に減ったと考えると随分絞り込まれたものだと思うけど、ある事件の容疑者の人数にしてはやはり多すぎだ。ミステリの登場人物だとすると一覧だけで数ページ使ってしまう。おまけのようにカバーのそでへ記しておくこともできないだろう。間違いなく誰が誰だかわからなくなる。その程度には多い人数だ。
しかも厄介なのは、その大半にアリバイがないということだった。四月からすでに二件も殺人が起きているこの高校だけど、まさか今日が三件目になるなんて誰も考えていなかった。だから一緒にいたとしても誰がいつどのくらいその場を離れたかなんてはっきり覚えていない。誰かと行動を共にしていても、多少の時間単独行動する余裕があればそれだけでアリバイは崩れうる。そもそも栞の証言ではトイレに入った時間がはっきりしないし、仮にわかっていたとしても生徒会警察はそれを鵜呑みにはしないだろうという事情もあった。寒月先輩がアプリへの記載をやめさせたとはいえ、最有力容疑者扱いが終わったわけじゃない。アリバイがさっぱり、というのは前回の事件と同じような状況だ。
「容疑者か……」
私は、体育館に集められた人たちの間を世話しなく行ったり来たりする田淵先輩や伊藤先輩を遠くから眺めつつ呟いた。隣では栞が壁にもたれ、体育座りで蹲っている。千海は彼女と顔を合わせるのが気まずいのか逃げるように人込みへ紛れ込んでしまった。
赤崎高校第二事件、須藤樹里先輩が殺害された事件では容疑者は私を含め六人いた。第一容疑者は鮫島先生だったけど、田淵先輩の推理があまりにも突拍子もなく、誰も先生が生徒を殺すなんて信じなかったから追い詰められた感じもなかったし悲壮感もなかった。
だけど今回はまた状況が違う。はっきりした容疑者はいまのところ栞だけ。田淵先輩の推理もそれほど的外れではない。悔しいけどそこは認めないといけない。しかも栞には動機があった。鬱陶しい先輩を始末するという動機が。
ぼんやりと生徒会警察の奮闘を眺めている私へ、ずかずかと近づいてくる人がいた。長い黒髪をポニーテールにしている、背の高い女子生徒。あれは……。
「エマさん。なんでこんなところに」
「飯山先輩……まさか先輩、今日学校に」
飯山照音先輩は大きく頷いた。剣道部の三年生で、前回の事件の容疑者の一人。……そして被害者の親友だった人。先輩は初めて会ったときと同じジャージを着ていて、整った顔を険しく歪めている。
飯山先輩は隣にいる栞をちらちらと気にかけながら口を開いた。
「私は部活の稽古でな。こんな物騒な学校にわざわざ来る部員は他にいないから自主練だが。エマさんはどうしてまた」
「実は……」
私は少し迷ってから、結局事の次第を全て話した。栞が容疑者なのはまだ秘密だったけど、飯山先輩なら田淵先輩の推理を簡単には信じないだろうし、方々へこのことを話してしまうほど口も軽くはないだろうと思えた。
飯山先輩は私の話を聞くと、難しそうに唇を結んで腕を組む。先輩は栞に向かって何かを言おうとして口を開くがすぐに閉じてしまい、代わりに「ちょっと待っててくれ」と私へ小声で言ってそそくさと人込みの中へと戻って行ってしまった。
しばらくまた突っ立っていると、飯山先輩が人込みから出てきた。隣にはスタジャンを着たアフリカ系の男が……って、どういう状況だこれは? 突然見ず知らずの外国人が登場したぞ? あまりにも急な出来事に栞も顔を上げて呆然とスタジャンさんを見ていた。
「ビバリーヒルズコップ?」
「君古い作品を知ってるね! でも僕はエディ・マーフィーじゃない。どっちかっていうとマイケル・B・ジョーダンに似てるって言われることの方が多いんだけど」
「いや、マイケル・ジョーダンみたいな二枚目には程遠いでしょう」
「辛辣だなー」
スタジャンを着た男性は、飯山先輩の率直な言葉にけらけらと笑い転げた。確かにその様子は三枚目の方が似合っている。彼は笑い終えると私に手を差し出してきた。
「三年生の英語の授業を担当している、
「はぁ……」
カーク先生の手はがっしりしていて厚く、私の手を握る力は強かった。豆ができているのかところどころ固い。先生は栞のそばに腰を下ろして彼女にも手を差し出した。
「カーク先生は今年から始まった制度でやってきた先生なんだ。ほら、英語の授業に外国人を雇うとかいうわけのわからない制度」
「あぁ、そういえば」
私は飯山先輩の説明で記憶の糸を辿る。四月の顔合わせのとき、MCPの説明をする前にそんな話を校長先生がしていたような気がする。後に起こった出来事が衝撃的過ぎてすっかり忘却の彼方だけど、普通外国人の先生がやってくるというのも相当驚きの出来事のはず。私自身が外国人であるせいかあんまり気にならないけど。
カーク先生は栞と何か話しているようだ。大きな手ぶり身振り、大げさな表情の変化。そうした仕草はニイムラ先生のそれと似てはいたけど、やかましい印象は受けなかった。落ち着いてすら見える。不思議なものだ。
いきなり先生に話しかけられた栞は戸惑った顔をしていたけど、肩の力も抜けつつあった。先生のくだらない話に苦笑いしながら、でもちょっとずつ表情が明るくなっていく。
「昔、樹里に言われたことがある。私は人を励ますのが下手くそだって」
「え?」
唐突に、しんみりした声で飯山先輩が言う。彼女は体育館のはるか上にある天井を見つめていた。
「私はほら、顔が常にしかめっ面で怖いし、リアリストだから楽観的なことも言えなくてな。励まそうとしてもかえって不安がらせるだけだ」
「だからカーク先生を?」
先輩は黙って頷く。
「彼女に何か言ってやりたくても、気の利いた言葉が思いつかなくて。あの先生は話がうまいから励ますのも上手だろうと思ったんだが、その通りだった」
こんなとき、樹里がいればよかったんだが。
飯山先輩の口から零れた言葉は、ワックスで輝く床に落ちて消えていった。
「まぁ、できないことを考えても仕方が……」
先輩は気分を変えるように明るく言うが、その言葉は途中で途切れた。口を開いたまま私の背後をじっと見つめて制止する。目が大きく見開いて、妖怪でも見てしまったかのような顔をしていた。
私も後ろを振り向いた。そして先輩と同じように硬直した。
体育館の入り口に、不吉なほど黒いスーツの男が立っていた。髪を寸分の狂いなく七三分けにしたメガネの男。
四月に、まさにここで、死のゲームの開催を宣告した男。
「おぉ、ミスタートリトン! こんなところにどうして?」
「鳥頭です。トリトンではなく」
カーク先生が栞を隠すように立ち上がり、場違いなほど明るい声を出して鳥頭を迎えた。声ははっきりわかるほど緊張し、警戒している。鳥頭はそんな先生に構わず、低く平坦な声で応じた。
遠くにいた人込みでもざわつきが広がっていく。彼らにとっても鳥頭は死神のような存在だ。そんな男がなぜ、事件の起きた日にここにいるのだ。生徒たちは彼からできるだけ距離を取ろうと舞台の方へと後ずさりする。例外は田淵先輩と伊藤先輩で、鳥頭を見るとこちらへ早足で近づいてきた。
鳥頭の視線が横を向いて、私へと向けられる。私は冷たい壁に押されたような気がして、思わず後ろへと下がった。背中を飯山先輩が支えてくれる。だけど先輩の手も強張って震えていた。手汗がべったりとブレザーにつく。
「不思議なものですね」
「なんですか?」
鳥頭はゆっくりと言った。カーク先生がおどけて尋ねるが、彼はそれを無視した。
「去年もそうでしたが、事件が連続すると決まって巻き込まれる生徒というのが一定数います。誰が被害者でもかかわりなくなぜが現場にいる。あるいはどういうわけか容疑者と親しくしているといった具合に。あなたはもう三回目ですね、エマ・オールドマンさん」
素晴らしいことです。鳥頭はそう言った。視界がぐらつく。私を支える飯山先輩の手に力がこもって、指が肩へ食い込もうとしていた。
「成長の機会が多いのは良いことです。プログラムはきっといい思い出になるでしょう」
「正気か、お前……」
先輩はいまにも食って掛かりそうな怒気をはらんだ声で、絞り出すように言った。鳥頭はそんな先輩の視線を受けても一切反応しなかった。まるで死んでいるように。
一触即発。だけどそうなる前に、田淵先輩たちがこっちへ来てくれた。鳥頭も彼らに気づくと、私たちから視線を離して生徒会警察の方を向く。
「鳥頭さん。休みの日にいったい何の用で?」
「校長先生に細かいルールの変更について説明をと思いまして。その折タイミングよく事件が起こったそうなので、見学をしてMCPの運用実態をこの目で見ておこうと思いまして」
「それは仕事熱心なことですね」
伊藤先輩の言葉には皮肉めいた響きが含まれていた。だが田淵先輩は別のところが気にかかったらしく「ルール変更?」と鳥頭に聞き返した。
「そうです。年度の途中ではありますが、昨年の反省を踏まえたルール変更を加えることとなりました。本来であれば来週の月曜日に発表という手はずですが、正式な公表は日曜日ですし、この事件にも適用されることになりますから生徒会警察の方には話してもいいでしょう」
鳥頭はスーツの懐から白い冊子を取り出した。MCPのルールブック。ただしタイトルの隅に小さく「改訂版」と付け加えられている。田淵先輩はそれを受け取ると中をぺらぺらとめくる。
「ルール変更は事件解決後の処理にかかわるものです。従来のルールは犯人の指名投票後、その予想が正解でも不正解でも同様に、真犯人を公表し事件を処理するというものでした。つまり犯人の予想を間違えても、その間違えられた人の無実は証明されて無事学校生活に戻ることができるというルールです。しかしこのルールにはよくない点がありました。どうせ真犯人が分かるからと、適当に投票する生徒が出てきたのです。現に赤崎高校第一、第二事件でも少数ですがあったようです。またどうせ後からわかるから構わないとばかりに、捜査に参加しない生徒も大勢います。この高校でも、一部のごく少数の生徒だけが捜査を進めている現状があります。このような態度は本プログラムの目的、生徒の自主性の涵養にそぐわないものです。なので、投票がより重大な意味を持つようにルールを改めることになりました」
「投票で選ばれた犯人は、そのまま真犯人に……?」
田淵先輩がルールブックのページを開いたまま硬直した。横合いから伊藤先輩とカーク先生が覗き込む。
「はい。これなら自分の一票に重みを感じられるでしょう。また自分で事件を解決しようという意欲も増すことでしょう」
「もし……」
蚊の鳴くような声が聞こえる。栞だった。
「もし、選ばれた犯人が濡れ衣だったら……」
「事件の真相にかかわりなく、投票で選ばれた人が犯人です。多数の決定がすべて。民主主義国家ですから」
栞が崩れ落ちた。
「なるほどな」
ほどなくして、私は寒月先輩の待つ教室へと帰ってきた。心神喪失といった状態になってしまった栞は保健室に送られ、ほかの人たちは事情聴取が終わり次第荷物を学校に残して帰宅ということになった。結局千海は、私たちが鳥頭と話している間も、私が教室に戻ってからも顔を見せない。
私が寒月先輩に鳥頭の話を伝えると彼女は無感動に言ってゲーム機を置いた。突然の乱入とルール変更に不機嫌になるかとも思ったけど、先輩の表情は変わらなかった。
「あの、先輩。これからどうなるんでしょう」
「なにがだ?」
「なにがだって……ルール変更ですよ。このままだと栞が犯人に……」
「お前なぁ」
寒月先輩は呆れた顔で私を見つめる。
「私がむざむざ栞を犯人扱いさせると思ってるのか?」
「いや、それは」
「考えたってしょうがないことを気にするな、エマ。どうせ私が全部解決するんだから、もし犯人が間違ってたらなんて心配は時間の無駄だ。そうだろう?」
先輩は自信満々といった調子で笑いかけてくる。小柄なのにどっしりと構えた姿勢に、私の胸のつっかえが取れていく。寒月先輩なら事件を解決してくれるはず。たぶん、きっと。
「ところでエマ、今日学校にいた人間のリストはできたか?」
「はい。どうせ情報公開をしないといけないということで、田淵先輩がアプリにあげてくれました」
「へぇ、けっこう気が利くじゃないかあいつも」
先輩はスマホをいじって一覧を眺めた。時折せわしなく指が動いて、画面が素早く切り替わる。そうやって十分ほど黙って画面とにらめっこしていた先輩は、唐突に顔を上げると「わかった」と呟いた。
「あの、先輩、なにが」
「犯人分かったわ」
先輩はスマホを置いて伸びをする。体重のかかった車椅子の背もたれが軋んだ。
わかった? 真犯人が? スマホを見ているだけでどうやって? しかも先輩が推理らしい推理を始めてからせいぜい十分くらいしか経っていないのに。
私は混乱する頭を必死に落ち着かせて先輩に尋ねる。
「先輩、あの、どういうことですか?」
「いやぁ今回の事件は簡単だったな。いままでで一番へぼい事件だ。まぁここまで簡単になったのは偶然の幸運によるところも大きいんだが、しかししょぼいトリックだったぞ全く」
しかし先輩は自分が納得するばかりで、一向に説明をしてくれない。私が車椅子を揺さぶると、ようやく「待て、分かったからやめろ説明する」と言ってくれた。
「エマ、ほかの生徒たちはもう帰ったのか?」
「全員ではないと思いますが、おそらく。事情聴取が終わり次第帰っていいと田淵先輩が」
「なんだよ。じゃあ真相編は月曜日に持ち越しだな。あとで田淵に命じて、月曜の朝一に全員集合させよう」
「でもそれじゃあ栞のことは」
「大丈夫だよ。生徒会警察も日曜には仕事をしない。今日一日ってのは実質月曜日の朝までだ。そんなことは織り込み済みで条件出してんだよこっちは」
寒月先輩が引きつったようなウインクをする。すでに下僕のような扱いが確定している田淵先輩はともかく、栞のことは心配しないでよさそう。
「って、そうではなくて、事件の真相を教えてくださいよ」
「何度も繰り返し話すのはめんどくさいから、月曜の朝にまとめて説明してやるよ。だがそれだとつまらないから、いまから大ヒントを出してやる」
先輩は不敵に笑って、スマートフォンを取り上げた。再びアプリを開き、一覧を引っ張り出す。
「いまから言う人間の体重を調べろ。それでけりがつくはずだ」
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