第22話 白露②

 スイーツ大食い対決に世界の未来を賭ける。そんな事を経験した事がある人は果たして歴史上いただろうか。


 僕はもしかして、歴史的な日に居合わせたのかもしれない。右手に持った小皿にショートケーキとモンブランを乗せながら、僕はそんな事を考えていた。


 白いテーブルクロスがひかれた長テーブルの上には、洋菓子。和菓子。果物と三つのコーナがあった。


 決闘の最中不謹慎だけど、食べ放題って最初の一皿が一番興奮する。僕は小皿の上に二つのケーキとアップルパイを乗せテーブルに戻る。


 席に戻ると、白いエプロンをつけたタスマニアデビルが紅茶を淹れてくれていた。僕は頂きますと手を合わせ、銀のフォークでショートケーキを口に運ぶ。


 ······ケーキの味は抜群に美味しかった。甘さ控えめで使用されている生クリームはとても新鮮で上品だ。


 僕はあっという間に三つケーキを平らげた。その時、時計版の下に数字が表示された。その数字は二百二十。


 これはなんの数字だ? カピバラの説明によると、これは今僕が食べたケーキの重さらしい。


 なる程。今自分がどれくらい食べたかこの数字で確認出来るのか。僕がお替りの為に席を立つと、隣では首里さんが苦しそうにケーキを一口食べていた。


 首里さんが甘い物が苦手なのは本当らしい。これは僕にも勝機があるかもしれない。僕は二皿目を和菓子にした。


 大福。豆かん。みたらし団子を皿に乗せ席に戻る。食した大福はこし餡だった。ふと視線を感じ横を見ると、彼方が物欲しそうな顔で僕を睨んでいた。


 ······た、食べにくいなあ。二皿目を完食した僕は時計版の表示を見て違和感を感じた。僕が食べた量が、一皿目より二皿目の方が多い。


 ······これは。そうか! 洋菓子より和菓子の方が重量があるんだ。ならば和菓子専門で食べればと思い席を立ったが同時に気づいた。


 和菓子は重量がある分、胃袋もすぐに圧迫する。これは思ったより厄介だ。どれか一つを食べればいいという話じゃない。


 首里さんを見ると、皿に大量に盛ったバナナを食べていた。さすが一流アスリート。決断が早い。


 首里さんは苦手なスイーツを放棄し、果物一点に絞ったんだ。ケーキの時とは一変し、首里さんは次々とバナナを食べていく。


 僕もうかうかとしていられない。急いで三皿目に果物を乗せ、席に戻り早食いをする。


「こら稲田祐! もっとよく噛んで味わって食べなさい!」


 ······未来の自分の娘に食事マナーを叱責される親が、かつて歴史上いただろうか。いや居ない。これまでも。きっとこれからも。


 三十分が経過した頃、僕は千グラム。首里さんは千三百グラムを胃に収めた。僕はお腹が段々キツくなって来た。


 さすが首里さんはアスリートだ。まだまだ余裕がありそうに見える。僕は精霊に頼る決断をした。


 今は月の下旬。体を司る精霊がその力を最も発揮する。月炎なら、きっとこの決闘でも力を貸してくれる。


「首里さん。僕は精霊を呼びます。良かったら首里さんも呼んで下さい」


 僕は失礼が無いように、首里さんに断りを入れた。パイナップルを咀嚼していた首里さんは苦笑した。


「······精霊かあ。本業の練習が忙しくて、あんまり訓練してないんだよなあ」


 僕らは暦詠唱を唱えた。


「末候! 虹始見(にじはじめてあらわる)」


「末候! 玄鳥去(つばめさる)」


 僕と首里さんの頭上に、七十二気神の精霊が現れる。首里さんの精霊は······大きい。なんて体格だ。二メートル以上ある。龍の模様が入った和服の下は筋肉の鎧で覆われている。


 髪も結い上げ、まるで相撲の力士みたいな精霊だ。こ、この精霊、物凄く食べそうだな。一方、黒い鎧武者の月炎は礼儀正しく僕に跪く。


「月炎。今回は一緒に甘い物を食べて欲しんだ。頼めるかな?」


 月炎はしばらく考え込み、困ったように頭を下げる。


「申し訳ございません。御主君。我々精霊は食物を口に致しません」


 え、えええ? そ、そうなの? 僕は審判のカピバラを見る。


「大丈夫です。今回のスイーツ類は精霊でも口に出来るよう作っています」


 ナ、ナイスカピバラ! この時ばかりは僕は理の外の存在を褒め讃えた。かくして黒い鎧武者と巨漢の精霊は、小皿を片手に並んで長テーブルに立つ。


 い、異様な光景だな。首里さんも僕に向かって苦笑して見せた。こうして精霊の食べた量も加算される事になった。


 月炎が礼儀正しく僕に会釈し隣に座った。右手に柏餅を持った所で、思い出したように僕に話しかける。


「時に御主君。先日お借りした、絵の書物を拝読致しました」


「え? 本当? どうだった? 面白かった?」


 僕が月炎に貸した漫画は、僕のお気に入りの作者の漫画だった。


「······その、とても面白うございました。特にあの逃避行の局面は某、恥ずかしながら夢中になり申しました」


「そう! あれは、あの漫画でも屈指の名場面だよ! あの時主人公は······」


 興奮した僕が椅子から腰を浮かした時、鬼コーチの激が飛んできた。


「ここは休み時間の教室か!!」


 言い終える前に僕は彼方に叩かれた。い、痛い!


「月炎ごめん! 今はとにかく食べて!」


 鬼コーチの第二撃が来る前に、僕はスコーンを口に押し込む。


「······はっ。決闘中、失礼致しました」


 月炎は柏餅を一口食べた。その瞬間、月炎の細い両目が見開いた。


「······懐かしい味でございます。遠い昔、人間だった頃を思い出します」


 ······遠い昔。そうだ。月炎は物心ついた頃から、戦場にいたんだ。


「······まだ戦場に出る前、よく悪童達と一緒に、寺の供え物を盗み食いをしておりました」


 ······そうか。月炎にも、子供の頃の思い出があったんだ。


「······不思議であります。こんな事は、永い間忘れておりました」


 そう言うと、月炎は素早く柏餅を完食する。そして次々とお替りをしていく。す、凄いぞ月炎!


 一方、首里さんの巨漢の精霊もその体格に相応しい量を食べていく。制限時間残り十五分。両チームは無言でひたすら食べていった。


 残り五分を切った時、僕と首里さんは限界を迎え、もう一口も食べれなかった。巨漢の精霊も苦しそうだ。


 だが、一人だけ立ち上がりお替りをする者がいた。黒い鎧武者月炎だ。月炎は一貫して食べるペースを保ち、その勢いを止めなかった。


 月炎は行儀良く月餅を食べていく。こ、ここまで月炎が食べれるなんて、以外だった。月炎は人間だった頃は大食漢だったのだろうか?


「底無し胃の腑。某は幼少の頃、そう呼ばれておりました」


 月炎が短いが笑みを僕に見せた。僕はこの時程、月炎を頼もしく思った事は無かった。


「一時間が経過しました。決闘は終了致します」


 カピバラが決闘の終了を宣言する。時計版の下に表示されていた軽量値は、残り二十分から伏せられていた為に結果の行方は分からなかった。


「結果発表を行います。清明一族代表、四千百グラム。白露一族代表、四千五十グラム。よってこの決闘は、清明一族代表の勝利と致します」


 ご、五十グラム差!? 正に、月餅一つの差だった。月炎が居なかったら間違い無く負けていた。


 テーブルから立ち上がった首里さんに、僕は駆け寄る。


「······首里さん! その。僕、首里さんの分まで頑張ります!」


 日本サッカー界のスーパースターを皆が忘れでしまう。それはどれ程の損失か。でも僕は謝罪はしなかった。


 僕に出来る事は、首里さんの分も背負って前に進む。それしか無かったからだ。


「······俺ももっと、タスマニアデビルの訓練を真面目にやらないとなあ」


 首里さんが頭を掻きながら、僕に小声で言う。


「心配しないで稲田君。俺、直ぐに沖縄島海クラブの入団テスト受けるから」


 ······入団テスト! 首里さんなら、即合格になるだろう。僕はホッとし、思い出したように首里さんに暦の歪みを正すよう命じた。


 首里さんは笑顔でタスマニアデビルと共に去って行った。


 ······あれ? 何かとても大事な事を忘れているような。


 後ろを振り返ると、月炎が腰を降ろしきなこちゃんの若木を見ていた。


「月炎。今回もありがとう。本当に助かったよ」


 僕は月炎にお礼を言うと、月炎は僕に頭を振った。


「御主君。礼を述べるのは某です。御主君の側におりますと、とうの昔に忘れた筈の遠い記憶が甦ってきます······」


 ······それは、朝日の眩しさ。鳥の鳴き声。空の青さ。そして、自然の美しさ······。


月炎の表情は、はじめての会った時の殺伐さが和らぎ、穏やさが見て取れた。きっと、これが本来の月炎の顔なんだ。


「······御主君。その、例の絵の書物の続きをお持ちでしょうか?」


「え? うんあるよ! 残りも全部貸してあげるから!」


 月炎は恐縮しながらも喜んでくれた。カピバラが僕の部屋の本棚から漫画を転移させてくれた。


 こうして月炎は僕の漫画を両手に抱え、消えて行った。その時、僕は思い出した。


「ああっ! サイン貰うの忘れた!!」


「サ、サイン?」


 僕の絶叫に、隣の彼方がびっくりしていた。首里さんからサインを貰う機会なんて、絶対にもう無いのに!


「か、彼方が自己紹介の時に邪魔したからだよ! どうしてくれるの?」


「なんで私の責任なのよ! って稲田祐。あれサインじゃない?」


 彼方が指を指した方を僕は見た。そこには、長テーブルに置かれたスイーツを後片付けしているアシスタントのタスマニアデビルがいた。


 そのタスマニアデビルは、いつの間にか沖縄島海クラブのユニホームを着ており、その背中には、な、なんと首里さんのサインが書かれていた。


 い、いつの間にサイン貰ったんだ!? と言うか、なんでお前がサインを貰う!? 僕と目が合ったタスマニアデビルは急に踊り出した。


 それは、首里さんがゴールを決めた時のパフォーマンスだった。は、腹立つなこの着ぐるみ!


 そのタスマニアデビルに、猛スピードでサッカーボールが飛んできた。ボールはタスマニアデビの頭部を直撃し、着ぐるみは背中から倒れた。


「スポーツは苦手かな? 理の外の存在は?」



 この機械音の声は······! ボールが飛来した方角を見ると、そこにはアルパカの着ぐるみが立っていた。


 ······波照間隼人!


「ちよっと波照間島!!」


 彼方が大声を出し波照間隼人に詰め寄って行く。


「い、出雲彼方さん。僕の名前は波照間島じゃなくて波照間。お願いだから覚えてくれるかな?」


「うるさい!アンタ好き勝手にするのも、いい加減にしなさいよ!」


 彼方の怒声に、波照間隼人は手を口にやり考える仕草を見せた。


「好き勝手······? それって霜降一族。寒露一族。秋分一族の代表達を倒した事かな?」


 波照間隼人の言葉に、僕と彼方は絶句した。こ、この短期間にそんな事が可能なのか?


 波照間隼人の言う事が真実なら、これで波照間隼人は十一の一族を倒し、その上に立った事になる。


「出雲彼方さんは正式な春分一族代表じゃないから、残るは清明一族代表。稲田祐君。君だけなんだ」


 僕は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。この機械音に隠された波照間隼人の深い闇に僕は戦慄する。


「稲田祐君。君を倒せば僕は全ての一族の頂点に立つ。でも、出来れば僕は君に仲間になって欲しいんだけどな」


 波照間隼人は郡山と同じ事を言った。間違いない。郡山が言っていた通り、彼女は波照間隼人の協力者なんだ。


「······断るよ。君の考えに絶対に共感出来ない」


 波照間隼人はわざとらしくうなだれた。


「残念だね。なら、一族の頂点を賭けて僕と戦って貰おうかな。日時はそうだなあ。十一月七日、午前十時でどうかな?」


 ······十一月七日。その日は立冬。立冬の正午に僕は死ぬ。何故、波照間隼人はその日を選ぶ?


「色々とドラマチックな日でしょ? 出雲彼方さんにも。稲田祐君にもさ」


 ······コイツは楽しんでいる。表向きにはその日は彼方の寿命が尽きる前日だ。それを知ってて楽しんでいるんだ。


「······波照間島! あんたどこまで」


「分かった。その決闘を受けるよ」


 彼方の言葉を遮るように、僕は波照間隼人の挑戦を受けた。


「いい返事だ稲田君。でも気が変わって僕の仲間になるならいつでも大歓迎だよ」


 波照間隼人はそう言い残して去って行った。彼方が僕に近寄る。


「稲田祐! なんで波照間島の言いなりになるのよ!」


「落ち着いて彼方。これは、こちらに好都合な話だよ。立冬まで僕は特訓が出来る」


 立冬まで四十六日ある。その間にやれるだけの事をやるんだ。


 ······そしてそれは、僕が生きられる残された日数でもあった。


「······稲田祐?」


 黙り込んだ僕の顔を、彼方が覗き込んだ。僕は大丈夫と返事する。


 この少女の為に。未来の自分の娘の為に。僕は命を賭ける。それは、何人も反論できない大義名分だった。


 ······それでも、心の奥底の自分の気持ちには嘘がつけなかった。僕は好きな娘の為に命を賭ける。


 僕は純白のセーラー服を着た少女が安心出来るよう頼もしそうに笑った。それは、秘密を守る為の僕の頼りない演技だった。

 

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