第5話 蒼き清浄

 政務室の前の廊下を塞ぐ兵士の8割に匹敵する16人を駆逐したロージー、クロード、そしてヌレバ=スオーはいよいよロージーの仇である宰相:ツナ=ヨッシーが居る政務室のドアの前に立つ。残りの2割の兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。


 返り血を浴びたままのヌレバが政務室のドアノブをガチャリと回すと


「あっ、しまったのでもうす。鍵がかかっていたのでドアノブをひねりつぶしてしまったのでもうす」


「何をやっているんですか、ヌレバ師匠……」


 クロードの非難めいた視線を受けるヌレバであるが、ガハハッ! と一笑にふし、ドアを蹴り破るのであった。政務室のドアは粉々に砕け散り、その開いた出入り口の先にはふくよかな体つきの半猫半人ハーフ・ダ・ニャンの男が蒼い算盤そろばんを両手持ちして、明らかにこちらに敵愾心を持って、椅子から立ち上がる。


「き、貴様ら! マロが誰かわかっているのでおじゃるか! マロはこのポメラニア帝国を支える宰相:ツナ=ヨッシーなのでおじゃる! その方らのような野蛮人がマロに手を出して良い存在ではないのでおじゃる!」


 脂肪の塊であるツナ=ヨッシーが顔を怒りの色を示す真っ赤な色で染め上げて、ロージーたちに怒号を飛ばす。そんな彼の怒号を意にも介せず、ロージーは一歩、また一歩、ツナ=ヨッシーに近づいていく。


 ツナ=ヨッシーは紅い鎧を着こんだ、やや背の低い兵士がゆっくりとだが、しっかりとした足取りで自分に向かってくることに意表を突かれてしまい、たじろいでしまう。


(な、なんでおじゃる!? マロの命を狙う以上、マロが手に持っている蒼き清浄なる算盤ブルー・クリア・ソロバンの威力をわかっているはずなのでおじゃる! それなのに、何故、そうも無防備にマロに近づいてこれるのでおじゃる!?)


――蒼き清浄なる算盤ブルー・クリア・ソロバン。この算盤そろばんたまのひとつひとつが黒金剛石ブラック・ダイヤ並みの硬度を持っている。そして、所有者の魔力に呼応し、算盤そろばんたまが相手に向かって飛び散る。その威力はすさまじく、フルプレートの鎧に身を守っていたとしても、鎧ごと、その中身をただのミンチへと変貌させることが出来る。


 それなのにだ。ロージーは不用意に宰相:ツナ=ヨッシーと距離5メートルの位置まで近づくのであった。さらに、彼女が次に取った行動はツナ=ヨッシーを大きく動揺させる。


「ふう……。兜って思ってた以上に視界が狭いし、さらには蒸し暑いし……。兵士のひとたちには尊敬の念を感じるわ?」


 ロージーはそう言いながら、頭を覆う兜の留め金を外して、両手で持ち上げて、頭から完全に外してしまうのである。彼女が兜を脱ぐと、金色の髪がふわりとあふれ出し、そして、向日葵の花のような匂いが政務室に充満するのであった。


「て、敵を前にして兜を脱ぐとは、これ如何にでおじゃる! マロなど、相手にならないとでも言いたいのか!?」


「いいえ? あなたが持つ蒼き清浄なる算盤ブルー・クリア・ソロバンの恐ろしさはハジュンさまから、よくよく聞かされているわ? でも、わたしのパパの敵を兜越しではなくて、直接、この眼でみてやりたかったからよっ!」


 ロージーがそう言いながら、蒼穹の双眸で宰相:ツナ=ヨッシーの顔をしっかりと見る。彼は半猫半人ハーフ・ダ・ニャンというよりは豚ニンゲンオークのような体つきであった。ただし、豚ニンゲンオークは筋肉と脂肪の鎧で身を包んでいるが、こちらはただの脂肪の塊で身を包んでいると言った感じである。


 半猫半人ハーフ・ダ・ニャンは本来、しなやかで美しい肢体の者が多い。四大貴族のひとり:オレンジ=フォゲットもツナ=ヨッシー同様、半猫半人ハーフ・ダ・ニャンであるが、必要な脂肪以外はついていない殿方の誰をも魅了するような美しいプロポーションである。


 そもそもとして、半犬半人ハーフ・ダ・ワンがスタミナに優れた身体なのに対して、半猫半人ハーフ・ダ・ニャンは瞬発的な動きが得意である。


 しかし、半猫半人ハーフ・ダ・ニャンが得意の瞬発的な動きを断続的に繰り出すには、爆発的なエネルギーの消費が伴うため、半猫半人ハーフ・ダ・ニャンは脂肪がつきやすい体質なのである。そして、宰相:ツナ=ヨッシーは日ごろの運動を怠っているためなのか、脂肪でぶよぶよの身体なのである。


(想像以上に醜い身体をしているわね……。いくら日頃の不摂生がたたっているからと言って、ここまでぶくぶくに太るものかしら?)


 それがロージーが宰相:ツナ=ヨッシーを見た率直な感想である。


「こ、小娘が! マロに侮蔑の視線を飛ばすとは良い度胸なのでおじゃる! その端正な顔を重点的に醜い顔にしてやるのでおじゃる!」


「あら? あなたみたいな脂肪の塊にしてくれるってわけ? お生憎さま。わたしはあなたのように醜い顔になんかなりたくないわ?」


 ロージーはツナ=ヨッシーの脅し文句に対して、挑発で返す。そのため、ツナ=ヨッシーは怒りの心がさらに燃焼していき、彼の顔は真っ赤から、ドス黒い色に変貌していくのであった。


「どうせ、あなたのような男は、わたしが誰かわからないわよね?」


「ふんっ! どうせ、マロが吐き捨てるほど抱いてきた娼婦の中のひとりなのでおじゃるっ! 貴様のような下賤の出の女子おなごなど、名前を覚える必要もないのでおじゃる!」


 『娼婦』という言葉を聞いたロージーはガチンッと心の中の火打石を叩いた音が聞こえた気がした。もし、ツナ=ヨッシーが大人しく降るのであれば危害を加えるつもりはなかったのだ、少しくらい痛めつけていいわよね? と思わざるをえないのであった。


 しかし、そんなロージーの憐れみに似た感情はツナ=ヨッシーの叫び声で吹き飛ばされることとなる。


「後で、懺悔をしても遅いのでおじゃる! 詠唱コード入力『蒼き清浄なる算盤ブルー・クリア・ソロバン』。『黒金剛石の奔流ブラック・ダイヤ・スプラッシュ』発動許可申請……」


 宰相:ツナ=ヨッシーの背後からドス黒い魔力が立ち上る。まるで彼自身の薄汚い心根を象徴したかのような魔力の色を醸し出していた。


 そのドス黒い魔力が次々と蒼き清浄なる算盤ブルー・クリア・ソロバンに吸い込まれていく。そして、蒼い算盤そろばんの外観ははかつての透き通るような蒼さを失い、闇よりも暗い汚れきった黒い色へと変貌していくのであった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る