第11話 女神

 コッシローの右手に持つ魔法の杖マジック・ステッキから放たれた紫色の光線の全てが高司祭ハイ・プリースト・ゴーマの顔面に吸い込まれていく。その光線をゴーマが浴びれば浴びるほど、彼の褐色の双眸はだんだんと紫色に染まっていく。


 コッシローが紫の幻惑パープル・イリュージョンを発動してから1~2分ほどが経過すると、すっかりゴーマの眼の色は生来のモノから変貌を遂げていた。そして、高司祭ハイ・プリースト・ゴーマはその紫がかった双眸から涙をハラハラと流していた。


「おおっ! ヤオヨロズ=ゴッドさまがワタクシの前に降り立ったのだゴマーーー!」


 ゴーマはそう言うと、いきなりその場で正座をしだし、さらにはロージーに向かって、【土下座】を敢行するのであった。ポメラニア帝国の神官プリーストたちが土下座をする相手はヤオヨロズ=ゴッドのみである。それなのに、その代表たる高司祭ハイ・プリースト・ゴーマはロージーに対して、【土下座】をしたのであった。


 ゴーマに土下座をされたロージーは困惑し、コッシローにいったい何をしたのかと説明を求めることになる。コッシローはちゅっちゅっちゅと不敵に笑い


「このクソ生意気なゴーマに幻惑の魔術をかけたのでッチュウ。紫の幻惑パープル・イリュージョンは【自分の見たいモノしか見えなくなる】魔術なのでッチュウ。今のゴーマの眼には、ロージーちゃんの姿が天界が遣わした美しき女神に見えているんでないのでッチュウ?」


「ちょっと……。その魔術って、危険じゃないの?」


「ちゅっちゅっちゅ。ここでゴーマがひとびとを扇動しているほうがよっぽど危険だったのでッチュウ。さあ、ロージーちゃん。ヤオヨロズ=ゴッドらしく振る舞うでッチュウ。そうすれば、ゴーマは僕たちをすんなりと大神殿へと招き入れてくれるでッチュウよ?」


 ロージーは思わず、うっ……と唸る。コッシローは不敵な笑みを浮かべている。そして自分の眼下には土下座を敢行しつづけるゴーマである。このままこの状況を放置しておくわけにもいかないのはロージーにも自明の理であった。


 ロージーは一度、こほんっとわざとらしく小さく咳払いをしたあと


「ゴーマ。よくぞ今まで、神の言葉に従ってくれました……。おもてをあげなさい」


「いえいえ! そんなことは出来ませんのだゴマー! ワタクシのような不出来な者があなたさまの麗しいご尊顔を拝謁するなどあってはいけないことなんだゴマー!」


(う、麗しいって……。いったい、ゴーマにはわたしがどんな風に見えているのかしら?)


 ゴーマが石畳に額を擦りつけている。彼はこのままでは額が擦り切れて、血がにじもうと土下座をやめそうには見えなかった。ロージーはしゃがみ込み、ゴーマの右手を両手で優しく包み込む。


「ゴーマ。顔をあげなさい。あなたの神への忠心、誠にわたしはありがたいと常々、思っています。あなたに使命を与えます。わたしたちを大神殿の中へ案内しなさい」


 ロージーはこそばゆい気持ちになりながらも、努めて荘厳な物言いでゴーマと接するのであった。ロージーは先ほどまでのコッシローとゴーマとのやりとりで、ゴーマが【狂信者】の類であることは察している。


 だからこそ、ここでロージーが変に下出の態度であれば、このゴーマは自分の見えているモノと、その中身に対して齟齬を起こし、疑念に捕らわれてしまうしまうだろう。そうなれば、その疑念がコッシローの幻惑術を破るきっかけとなりかねない。


 幻惑術は非常に高度な魔術であると同時に非情に脆い魔術であることを、ロージーは知っていた。ロージーが貴族時代に趣味で読み漁った魔術に関する文献にそう載っていたのである。


 だからこそ、ロージーは一言一句に気を使い、ゴーマの中にあるヤオヨロズ=ゴッドの姿を模倣しようと努めたのであった。


「ああーーー! ありがたいお言葉を頂戴したのだゴマー! ワタクシの女神様! ぜひ、そのお役目をゴーマに果たさせてもらいたのだゴマー!」


 高司祭ハイ・プリースト・ゴーマは土下座から頭だけを正面に向けている状態となり、その紫がかった双眸から大粒の涙をボロボロと流していたのである。ロージーはたはは……とこぼしたくなる気持ちであるが、それを必死に抑える。


 ゴーマはゆっくりと立ち上がり、左手に持つ銀色の聖書シルバー・バイブルを高々と掲げて、民衆にこう告げる。


「現世についにヤオヨロズ=ゴッドさまが降臨されたゴマー! ワタクシはこれから、この女神様を大神殿に招き入れるのだゴマー! ああーーー! 今日は人生最良の日なんだゴマーーー!」


 ゴーマの態度が豹変したことに大神殿の周りに集まる民衆たちが、どうしたことだろう? と不思議に思うのだが、まあ、ゴーマはいつもアレだったなと思って、そんなに気にもしないのであった。騒ぎもひと段落したと思った民衆たちは急速に関心を失い、それぞれのやるべき日常に帰っていくのであった。


 民衆というモノは何時の時代でもそうだ。喧噪には遠巻きながらも参加し、その熱にいっしょに浮かれようとする。その熱を利用してきたのが【狂信者】の類だ。その狂信者が対峙していた女性を褒めたたえ始めた。これ以上の揉め事が起きないと判断した民衆は、広場から退散したのは当然と言えば当然の帰結であったのかもしれない。


 かくして、ロージーたちは高司祭ハイ・プリースト・ゴーマの案内により、大神殿の奥へと通される。その途上でゴーマが一言


「しかし、女神様。なぜに半犬半人ハーフ・ダ・ワンを従者にしているのだゴマー? 白い体毛のネズミさまを引き連れているのは理解できますが、半犬半人ハーフ・ダ・ワンを従者とはこれ如何に?」


「ちゅっちゅっちゅ。お前は不信人モノだッチュウ。古来より犬もまた神の使いとして、神と共に下界に降りられるのだッチュウ。そんなことも知らないのでッチュウ?」


 ゴーマの眼からはロージーについてくるクロードが毛むくじゃらの半犬半人ハーフ・ダ・ワンに見えるようだ。どう応えたかものかと回答に詰まるロージーの代わりにコッシローがゴーマに応える。ゴーマは憔悴しきった顔でまたしても土下座を敢行するのであった。


「そ、それは不勉強だったのゴマー! どうぞ、この不信人者の首級くびを刎ねてほしいのだゴマー!」


 ゴーマが大神殿の床がピカピカになるのではなかろうかというくらいに、額を床に擦りつけて土下座をおこなうのである。ロージーは、はあああと深いため息をつかざるをえなかった。


「顔をあげなさい、ゴーマ。あなたはわたしたちに代わり、神の教えを広める人物なのですよ? そんなあなたが所かまわずに土下座をして、どうするのですか? しかし、その土下座に免じて、首級くびを刎ねることはしないでおくわ」


「ははーーー! ありがたき幸せなのだゴマー! 不肖、このゴーマ。女神様のためにこれからも一層、精進させてもらいますのだゴマーーー!」


 ゴーマは光り輝く女神に罪を赦されたことに深く感謝をするのであった。彼は生涯、自分に憐れみと赦しをくださった麗しき女神にその身を捧げることを誓うのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る