第5話 出立

――ポメラニア帝国歴258年 10月20日 火の国:イズモにて――


 秋の収穫祭が終わってから早1週間が経とうとしていた。ロージーとクロードはコッシローの誘いにいやいや従うことを決定し、重い腰をあげて、いよいよ、四大貴族のひとり:ハジュン=ド・レイが住む屋敷に向かうことになる。


「ガハハッ! 見送りしか出来なくて申し訳ない気分なのでもうす。我輩はハジュンさまに呼ばれていないので、ここでお留守番でもしておくのでもうす!」


「ええ……。ヌレバに任せるのは、少し怖い気がするけど……。まあ、良いわ。心配したところで、わたしたちがどうにか出来るわけでもないし。ヌレバ? なるべく一軒家を痛ませないでおいてね?」


 ロージーたちは今まで住んでいた一軒家を空けっぱなしにするわけにもいかず、近くの掘っ建て小屋に住んでいたヌレバ=スオーに管理を任せることにするのであった。ヌレバ=スオーはその身から漏れ出す殺気のために、森に住む魔物たちを引き寄せてしまうというとんでもないスキルを持っていた。


 そのスキルわざわいして、火の国:イズモで生活するロージーたちは、魔物の肉を差し入れてもらったりと何かとヌレバにはお世話になっていたのだが、ヌレバを一軒家に長居してもらうことはついに叶わなかったのである。


 そんな恩も返し切れていないヌレバに対して、またしても頼りぱなしになってしまうロージーは申し訳ない気持ちでいっぱいであった。


「何をしんみりとした顔になっているのでもうす? ついに、ローズマリー殿の想いが果たせる機会を得られたのでもうすよ? 出立前にそんなに暗い顔をしていては駄目なのでもうす」


「そうは言うけど……」


「まあまあ、ロージー。ヌレバ師匠には世話になったけど、これから、この一軒家に魔物が殺到して、俺たちの思い出が魔物の血で汚されちまうんだからさ? それでおあいこってことにしておけば良いんじゃねえの?」


「クロ、あんたねえ……?」


 ロージーがきつめの視線でクロを非難する。クロは、たはは……と苦笑をこぼす。そんな2人をヌレバがガハハッ! と笑い飛ばす。


「そうでもうすよ? おぬしたちの愛の巣を我輩がボロッボロにする可能性があるのでもうす。それを許してもらうだけで、我輩は十分なのでもうす!」


「そう……なの? う、うん……。ヌレバ、ありがとうね? もし、全てが上手く行って、パパが冷凍睡眠刑から釈放されたら、パパにかけあって、ヌレバをまた筆頭執事として、オベール家で雇うからっ!」


「ガハハッ! それは我輩にローズマリー殿とクロードとの間に産まれるであろう子供の世話をやいてほしいということでもうすかな?」


 クロードとの子供と言われ、ロージーがボンッ! といきなり頬を赤らめるのであった。ロージーは幼い頃、ヌレバが教育係となり、色々と世話になってきたことを思い出す。その気恥ずかしさと同時に、クロードとのこれからのこと、そしてクロードとの赤ちゃん、さらにはその世話をしてくれるヌレバのイメージが一度に頭の中に襲い掛かってくる。


(ううう……。ヌレバはいつも意地悪よね……。だいたい、結婚もまだなのにっ。てか、よく考えたら、クロとの接吻せっぷんも『婚約』を交わしてから、一度も成功してないっ)


「ん? どうしたんだ? ロージー。俺の顔に何かついてる?」


「あっ、な、なんでもないのっ! ただ、久しくしてないなあ……って思っただけだからっ!」


 ロージーがまだ貴族のご令嬢だった時は、人目を盗んでは自分の従者であるクロードと唇をついばみあっていた。しかし、『婚約』を交わしてからは『制約』に縛られて、すっかり互いの唇を合わせあう接吻せっぷんすら出来ないのである。


 ロージーは無意識に自分の唇を右手の指でなぞる。クロードの唇と自分の唇が触れ合わなくなってから、もう2年以上も経っていた。ロージーはクロードの体温を唇と唇を介して感じたかった。そのため、つい、ロージーはあひる口になってしまう。


 そんなロージーの表情を見て、クロードは何かを察したのか、ロージーの頭を右手でポンポンと叩いた後、彼女の金色の髪を軽く撫でるのであった。


「コッシローの企みに乗るのは釈然としないけど、ロージーのお父さんを助け出そうぜ? そしたら、ほら。ロージーと俺は晴れて結婚できるわけだしさ?」


 クロードは努めて明るい表情でロージーに言うのであった。ロージーはそれを受けて、うんっ! とひとつ力強く頷くのであった。


 かくして、一軒家の管理をヌレバ=スオーに任せたロージー一行は、一路、大神殿がある大きな街:オダニへと向かうのであった。その街はかつて、クロードがハジュン=ド・レイと会い、ロージーの母親を救ってもうらために向かった街である。クロードとしては、少し複雑な気分でもあった。


(また、あの街に行くのか……。あの時は藁にもすがる気持ちだったっけ……。今度はその街にある大神殿で転移門ワープ・ゲートをくぐって、浮島に昇るのか……。俺たちは一体、どこに向かっているんだ?)


 クロードはそんなことを考えてはいたものの、頭を左右に振り、今は出来ることをすべきだろうと気持ちを改めるのであった。




 ロージーたちは、まず馬車を借りるべく近くの町にやってくる。この町では1週間前に収穫祭がおこなわれており、そこでロージーたちは丹念に育てた生花を売って、日銭を稼いだのである。その生花売りで手に入れたお金で、この町の駅馬車で馬車を借りるのは、何か皮肉めいたモノを感じるロージーであった。


「はいよ。運が良かったんだべ。ちょうど、10人乗りの乗り合い馬車がそろそろ出発する時間だったんだべ。これを逃すと2時間待ちになっていたんだべ?」


 駅馬車の管理人がそうロージーたちに告げるのであった。町と村、村と町、そして町と街を往来する乗り合い馬車は1日に5~6回、出ていた。乗り合い馬車が夜に運行されることはほとんどない。夜は林や森の近辺に魔物が出没するからだ。だから、明るい内に次の町や村にたどり着かなければならない。


 ロージーたちが住んでいた一軒家から大神殿のある大きな街:オダニまでは直線距離で50~60キロメートル先にある。町や村で順調に乗り合い馬車を乗り継げれば、2日半といったところであろう。


「はい。次の駅馬車がある町までの運賃の銀貨1枚(注:日本円で約1000円)を先払いしておくわね? ネズミの分まで払わなくて良いわよね?」


「まあ、ネズミサイズのような小動物のペットなら運賃は徴収してないんだべ。その代わり、相席するひとたちの迷惑にならないように、しっかりとポケットなり、カバンなりにしまっておいてくれだべ?」


 乗り合い馬車は10~14人乗りの幌付き馬車1台を馬4匹で引く、馬車の中でも大型のモノであった。全長1メートルほどの小動物までなら乗車客の【荷物扱い】になり、運賃は徴収されないことになっていた。ロージーは要らぬ出費が増えなかったことに、ほっと安堵するのであった。

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