第10話 冬の到来

――ポメラニア帝国歴258年 1月7日 火の国:イズモにて――


 オルタンシア=オベールがハジュン=ド・レイの部下である準男爵:セイ=ゲンドーの世話になり始めてから、早半年以上が経過していた。夏はとうに過ぎ去り、秋を越えて、さらには冬の真っただ中に突入していた。


 火の国:イズモはポメラニア帝国内の他の3国と違い、珍しいことに春夏秋冬の四季の訪れがはっきりとしていた。1年中、温暖な水の国:アクエリーズ生まれでアクエリーズ育ちのローズマリーにとって火の国:イズモの1月は、特につらい冬の季節であった。


「ううう。冬の日の炊事当番はつらいよーーー。クロードが洗い物を担当してくれてるから、まだマシだからっていってもーーー。一日中、お布団の中で丸まっていたいよーーー」


「ロージー……。水が特に冷たい朝は俺が食事の支度をしてるんだし、そこは我慢してくれ……」


 2人っきりで生活をおこなうようになったローズマリー=オベールとクロード=サインは家事を分担していた。洗濯物や食器洗いはローズマリーの手が荒れては後々、困るだろうと、クロードが率先しておこなっている。


 そして、掃除においては、ローズマリーは部屋の埃払い、クロードは雑巾がけやトイレ・風呂などの水回りを担当していた。


 料理当番は1~2日ごとに交代となっているのだが、冬の朝は水が冷たすぎるので、冬の間だけはクロードが毎朝の料理を追加で担当することに落ち着くことになる。


「う、うん。わかった……。わたし、頑張る……」


 ロージーはかじかむ手で危なっかしい手つきで包丁を持ち、ザクザクッと白菜を切っていく。この季節の火の国:イズモで採れる野菜の中でも、特に白菜はポメラニア帝国1番に美味い。火の国:イズモの冬の厳しい寒さが白菜の内部に水分と栄養分をギュッと押し込むからだ。


 大き目のサイズに切った白菜を脇の白い大皿に乗せた後、次はヌレバ=スオーが取ってきてくれた鳥型の魔物の肉のミンチをローズマリーは手でこねて団子状に仕上げる。


 鳥型の魔物の肉をミンチ状にしたのはクロードであった。魔物の肉をミンチにするのはとにかく力が必要な仕事である。鶏の肉とは違い、かなり筋っぽいのだ。鶏肉ならローズマリーの力でもさほど苦労はないのだが、魔物の肉は念入りに調理しないと食感がかなり筋っぽくてキツイものとなってしまう。


 ローズマリーは手のひらサイズの肉団子を作った後、小型のコン=ロの上に乗せされた土鍋の底ににひょいひょいと並べていく。先に鳥型の魔物の肉を入れることにより、その肉から出汁が取れるからだ。


 次に土鍋に入れるのは先ほど切っておいた白菜、トマトなどの野菜類である。


「うーん。もう1品くらい、土鍋につっこみたかったけど、イノッ・シシが獲れなかったのは残念よね……。ヌレバって、魔物を捕まえるのは得意なのに野生の動物はそうじゃないのよね……」


「仕方ないんじゃねえかな? ヌレバ師匠は常に殺気を漂わせているからなあ? 野生の動物は勘が鋭いから、ヌレバ師匠には決して近づかないだろうし」


「魔物は良いわよね。殺気をこちらが立てれば立てるほど、襲い掛かってくるっていうし」


「あんまり褒められたことじゃないけどな? そのせいでヌレバ師匠は俺たちとは離れた掘っ建て小屋で寝泊まりせざるをえなくなっちまってるし」


 ヌレバ=スオーは、いくら気を静めようとも、その身を包む筋肉の鎧からほのかに殺気が漏れ出してしまうのであった。火の国:イズモは他の国と違って、非常に魔物が多い。ヌレバ自身としては、魔物を相手に出来るために鍛錬に事欠かずにすんで嬉しい限りなのであろうが、ローズマリーとクロードには迷惑千万この上ない。


 ゆえに、ヌレバは2人とは1キロメートルほど離れた森の入り口に、掘っ建て小屋を設けて、そこで生活しているのであった。その掘っ建て小屋に冬に腹を空かせた魔物が向かうため、結果的にその魔物たちが周辺の町にやってこない。それはヌレバなりの配慮であったりするのだが、ローズマリーとクロードがそれに気づくことはなかったのである。


 失礼な話、ヌレバは2人にとっては、肉という貴重な栄養源を無料ただで運んできてくれる良いヒト程度の認識でしかなかった。


 そんな話は今は置いておいて、ローズマリーは土鍋に食材をつっこんで水を張り、コン=ロに火を入れる。かれこれ20分も経つと、一軒家の中がそれはまた旨そうな匂いで充満するのであった。土鍋の蓋を開けて、合わせ味噌マッチ・ミッソを適量入れて、ひと煮立ちさせれば完成である。


「クロード、お待たせー。【魔物の肉とトマト・白菜の煮込み鍋】が完成したよー」


「うほーーー。こりゃ身体の芯まで温まりそうだな! しっかし、ロージーもすっかり料理が出来るようになったもんだ……。俺、頑張って教えた甲斐があったよ……」


 この一軒家に流れてきてから、料理当番は主にチワ=ワコールが担当し、クロードがその補佐を買って出ていた。ローズマリーはオベール家のご令嬢ともあり、訓練で剣の類は握っていても、包丁を握ったことなどほとんどなかったといっても過言ではない。


 チワ=ワコールがオルタンシア=オベールと共にセイ=ゲンドーの屋敷に向かった以上、一軒家に残されたローズマリーも料理をするしかなかった。クロードはまずローズマリーに包丁の正しい握り方から教えたのである。


 ローズマリーは最初、何度も指先を包丁で切ったものだ。クロードはその度に血がにじみ出るローズマリーの指を吸っては、包帯を巻いたモノである。しかし、それは同時に、相手を思って、想い人の指を吸うのは『制約』的にはセーフだと言うことが判明したのは、クロードたちにはありがたい誤算でもあった。


 以前、ローズマリーが涙を流した時に、クロードがほっぺたにキスをしたが何も『罰』を受けなかったのは、ヤオヨロズ=ゴッドのお目こぼしであろうと予想していた。


 それゆえ、他にもヤオヨロズ=ゴッドのお目こぼしがあるのでは? と考えたローズマリーとクロードは、この2人っきりの生活の中で検証を重ねていくことになる。


 ローズマリーが口吸いはダメでもほっぺたにキスならセーフだよねっ! とばかりに、オヤスミのほっぺたへのキスをクロードにせがんだことがあった。


 結果として、クロードの顔面を筋肉隆々のヌレバがぶん殴るほどの衝撃をクロードは喰らうことになる……。


 クロードの顔面を犠牲にしつつ、2人はあの手この手で色々と、『清い仲でいましょ? 制約』をかいくぐれる方法を模索していた。その結果、ローズマリーの手の甲をまるで騎士が誓いを立てるようなキスならセーフということが新たに判明したのであった。


 もちろん、クロードがやましい気持ちを持てば、手の甲へのキスでも顔面にヌレバのパンチに匹敵する衝撃を受けるのは言うまでもない。本当に軽い主従としての接吻せっぷんでなくてはならないのだ。


「クロードやヌレバには色々とお世話になってるわ。ありがとうね? クロード!」


「あ、ああ。俺としてはご褒美がほしいところなんだけど……。例えば、ロージーの下着姿とか……」


 クロードがそう言うなり、コタツの上のコン=ロの上に乗せられていた鍋がグツグツッ! と音を立てる。そして、その鍋から熱々の汁が数滴、クロードの顔面にぶち当たる。


「あつっ! あっつ! ちょっと、待ってくれよ! 最近、『制約』が厳しくなってきてないかっ!?」


「あははっ! 今のはたまたまでしょ? ヤオヨロズ=ゴッドもそこまで暇じゃないわよっ。わたしたちを逐一監視しているわけがないじゃないっ。ってか、クロードってスケベね? わたしの下着姿が見たいわけ?」


 ロージーがニヤニヤと笑みをこぼしながらクロードをからかうと、またしても鍋はグツグツッ! と音を立てる。クロードはサーッと血の気が引き、それ以上は何も言わずに出来立ての鍋に箸を伸ばすのであった。

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