第8話 師弟

「そ、それはもちろん、そうですけど……。そうなると、結局、俺はロージーとハジュンさまが同時に命の危険に晒される状況になったら、俺はハジュンさまを護るような真似をしなくても良いってことになってしまいますけど……」


「はい。クロードくんは、なかなかに知恵が回りますね。要は何が言いたいかと言いますと、別に先生との貸しを気にしなくても良いですよってことです。まあ、頼み事のひとつくらいはするでしょうけど、クロードくんが先生のために命を掛けなくても良いってことです」


 ハジュンの言いにクロードは、ほっと胸を撫で下ろす。先ほどの悪寒は気のせいだったのかもしれないなとクロードは安易に思ってしまうのであった。そして、クロードは椅子から立ち上がり、まっすぐと背筋を伸ばしたあと、90度の角度でハジュンに向かってお辞儀をするのであった。


「ハジュンさま。セイ=ゲンドーさま。オルタンシアさまへ援助の手を差し伸べてくれて、ありがとうございます! もし、何か困ったことがあったら、俺に頼んでください! 出来る限りのことはさせてもらいます!」


「ははっ。なるべく無茶な頼み事をしないようにするよォ? 僕としては、この理不尽極まりない上司を縄で縛って、食糧庫にでもぶん投げてほしくなるくらいかなァ?」


 セイ=ゲンドーが朗らかな笑顔でクロードにうんうんと頷きながら会釈をするのであった。対して、ハジュンは渋い顔だ。セイ=ゲンドーの上司に当たる自分を食糧庫に閉じ込めておけという不遜極まりないことを言われたからなのだから、ハジュンとしては面白くないのは当然であろう。


 クロードは、そんな対照的な2人の顔見て、つい、自分も緊張しぱなしだった頬が緩んでしまうのであった。その瞬間、クロードの腹からはグウウウという鳴き声が起こってしまう。ニンゲン、過度の緊張から解き放たれると、急に今まで溜まっていた空腹感や、疲労感、そして睡眠欲が一気に噴き出すモノだ。


「す、すいません……。安心したら、なんだか急にお腹が空いてきて……」


「ガハハッ! ハジュンさま相手に、どれほど緊張しているのでもうすか! ハジュンさまはヴァンパイアにしておくにはもったいないほどに良いニンゲンなのでもうす。ただ、性格が捻じ曲がっているだけで、取って食われる心配はしておいたほうが良いだけでもうすよ?」


「ヌーレーバーくうううん? 先生は良い男でも構わずに性的に食ってしまうことがありますが、さすがに想い人と『婚約』を交わしている男は食う気はありません。ヌレバくんは、先生のことを何か勘違いしているようですね?」


「おや? そうでもうしたか? これは失敬失敬なのでもうす。いやあ、我輩としたことが、失礼なことを言ってしまったのでもうす。遺憾の意! なのでもうす」


 減らず口を叩くヌレバに対して、ハジュンは、はあやれやれと言った後、またジョッキに注がれた牛乳をグビグビと飲み始めるのであった。クロードはあんなに牛乳を飲みまくったら、トイレから出れなくなるんじゃないのか? と心配になってしまうのであった。


 何はともあれ、オルタンシアさまの事は何とかなりそうなので、クロードは椅子に座り直し、テーブルの上に並ぶ料理に手を付け始めるのであった。オベール家が没落した後、居酒屋に来る機会など皆無であったクロードである。自分だけ、ご馳走にありつくのは、一軒家で待つロージーたちに悪いとは思っても、腹が減っている状態はごまかせない。


 これからのために英気を養っているんだと自分に言い訳をしながら、クロードは腹に詰め込めるだけ、料理を口に運んでいく。時折、師匠であるヌレバからオベール家が没落した後、どう過ごしていたのか等、色々とクロードは質問攻めにされた。クロードは行儀が悪いと知りつつも、食べ物を口に含んだまま、もごもごと返答するのであった。


 小一時間の昼食タイムが過ぎた後、ハジュンの部下であるセイ=ゲンドーが街の馬小屋で幌付き馬車を借りて、クロードや兵士5名ほどと共にオベール家の面々が待つ一軒家に向けて出発する。しかし、何故か、その一行にヌレバ=スオーが混ざっていたのである。


 幌付き馬車の荷台で、ヌレバが横に寝っ転がりながら、ふあああと大きいあくびをしつつ、なんだか眠たげな表情をしている始末であった。眠いなら寝ておけば良いのに……とクロードは思っているのに、ヌレバはそんなことを気にもせずにクロードを質問攻めにするのであった。


「我輩は約5年前にオベール家を飛び出した時は、クロード、お前はローズマリーさまのことなんて、これっぽちも恋愛感情なんか抱いていなかったでもうすよな? 何かあったのでもうす? 武芸の腕を磨くことしか興味がなかったお前のような朴念仁が」


「いや。俺もヌレバ師匠がオベール家から去った後も、結構な時間、ロージーには恋愛感情は抱いてませんでしたよ? ただ、ロージーの視線が痛いというか、熱いのを感じたんです……」


 クロードがそう言うと、頬杖をついているヌレバはニヤニヤとした表情を顔に浮かべるのであった。


「なるほど、なるほどなのでもうす。わしの記憶が正しいならば、今年の冬にはローズマリーさまは19歳になるはずでもうすよな?」


「いえ、正しくは今年の冬には17歳ですね。ヌレバ師匠……。仮にもオベール家の筆頭執事をやっていたんですから、仕えていた家の一人娘の年齢くらい、正確に覚えておきましょうよ……」


「ガハハッ! 細かいことを気にする奴なのでもうす! いやあ、まだ成人の儀を終えたばかりの16歳でもうしたか。ところで、『婚約』を終えて、さらにはローズマリーさまは『成人の儀』を終わらせたのでもうすよな? 『結婚』はまだなのでもうす? 我輩、おぬしの口からはローズマリーさまと『婚約』を交わしたと聞いたのに、何故、『結婚』してないのか不思議でたまらないのでもうすよ?」


 ヌレバが、うん? という不可思議な顔をしつつも、何故、2人は結婚していないのかを興味深そうにクロードに質問するのであった。クロードは、そこで一度、はあああとため息をついたあと口を開く。


「オルタンシアさまの体調が優れないからという理由がひとつ。だけど、もうひとつ理由があるんですよ。ロージーが結婚するなら、両親を必ず結婚式に呼びたいって……。でも、ロージーの父親が冷凍睡眠刑に処されているから……」


「なるほどなのでもうす。ローズマリーさまは、お父上の濡れ衣を晴らしたいということでもうすな……。しかし、その道は困難を極めることになるのでもうす。お父上が無実であることを証明しなければならなくなるのでもうす。しかし、その前に宮中にて弁明することすら、難しい話なのでもうす。相手はポメラニア帝国の宰相:ツナ=ヨッシーなのでもうす。あの手この手で邪魔をされる可能性が大きいのでもうす……」

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