ガーリー・エアフォース

夏海公司/電撃文庫・電撃の新文芸

原風景 二〇一五年六月 1/2


 そうくうを複数の機影が駆け抜けた。


 高度が低い。押し寄せる爆音と風圧に歓声が上がる。黄色のプロペラ機だ。三機編隊でつばさ玉兔ユウトウ飛行表演隊の文字がある。前時代的なシルエットと裏腹にその迫力は圧倒的だ。鮮やかなスモークを吐きながらスナップロール、滑走路を行きすぎたところで上昇に入る。ほとんど垂直と見まがう角度で天頂にたどりつくと今度はきりみ飛行で降下してきた。


「すごいなぁ、けい君のお母さん」


 感嘆の声を上げたのはソンおじさんだ。四角張った顔を上気させ拍手している。今年で四十歳になるはずだが赤銅色のはだはまだ若々しい。細い目が子供のような光を宿していた。


「二番機だっけ? あの、真ん中の機体」


「ええ」


 となるたに慧は答える。素っ気ない物言いになったのは思春期特有の照れ隠しゆえだ。内心ではこれ以上ないくらい興奮している。アドレナリンが放出されどうが速まっていた。められたのが身内でなければ素直に賛同していただろう。ちくしよう、すごい、かっこいいじゃないか、うちの母親。


 正直昨日まではあまり乗り気でなかった。中国奥地、しんきようウイグル自治区カラマイ空港のエアショー。父の社宅があるこうしようじようじゆくから空路で約六時間の距離だ。日本へ里帰りするよりはるかに遠い。なぜそんなところにわざわざ休日をつぶし行かねばならないのか。いやいやとまでは言わないが、とにかく面倒くさいというのが本音だった。


 だが今や脳内の気だるさは吹き飛んでいる。血液がふつとうし体温が上昇していた。空を舞う翼から目が離せない。見ているうちにもう一度編隊が低空飛行を行い観客のかつさいを浴びた。


「元海軍のパイロットだっけか、お母さん」


 宋おじさんは海上自衛隊のことを海軍と表現した。日本語にたんのうな彼だが、こういうところはきつすいの中国人らしい。慧は視線を空にすえたまま首を振った。


「海上保安庁って聞いてます。なんか救難飛行とかしてたみたいで。あとは民間の飛行クラブでインストラクターやったり、ゆうらん飛行のヘルプをしたり」


「本当に飛ぶの好きなんだねぇ」


 感心したように言われる。


 まぁだからこそ中国まで来て曲芸飛行をやっているのだろう。現地の航空クラブで仲間を集め、競技会で入賞し、大規模なエアショーでの活躍機会をものにした。


(父さんも来ればよかったのに)


 ぽつりと独りごちる。


 例によって仕事が忙しいのだろうが、母さんの一世一代の晴れ舞台だぞ、少しくらい都合をつけてもよいだろうに。


 母親はフライト準備で先に現地入りしていたから、宋おじさんが同行してくれなければ自分も参加できなかったところだ。往復八千キロの大陸横断旅行、非ネイティブのしよちゆうせいにはいささか難易度が高すぎる。というかソンおじさんもよく付き合ってくれたな。いくら家族ぐるみの付き合いが長いとはいえ旅費も鹿にならないだろうに。


「そういえば明華ミンホア、どこまで行ったんだ? 遅いな」


 宋おじさんが娘の姿を探す。言われてみればずいぶん長いこと戻ってきていない。飲み物を買いにいくと言っていたが、売店が見つからないでいるのか。


おれ、探してきましょうか」


 走り出したしゆんかん「いやいや」と制された。


けい君はこのまま見ていなよ。せつかくお母さんの演技なんだから。どれ、電話をかけてみるよ」


 携帯端末を取り出し耳にあてる。ややあって四角張った顔がしかめられた。?つながらないのか。人も多いし回線が混雑しているのかもしれない。


「やっぱり見てきます」


 明華は年齢不相応にしっかりした少女だが、それでも自分と同じ初中生だ。見知らぬ土地でトラブルに巻きこまれる可能性はゼロではない。自分達家族のイベントに付き合い問題が起きたら謝罪のしようもなかった。というか普段散々あねかぜを吹かせている幼なじみを見返してやりたいという思いもある。道に迷い途方に暮れている彼女を助け出す。頼りがいのあるところを見せつける。なかなか悪くない光景だった。


「大丈夫ですよ、探しながらでも演技は見れますし」


 重ねて主張すると宋おじさんはまゆじりを下げた。


「そうかい? じゃあ僕、ここから動かないようにするんで。迷ったら戻ってきて」


「はい」


 しやくを一回、爆音を背にひとみへ分け入る。歩きながら携帯端末を操作、念のため明華の番号を呼び出してみた。


 ……話中音、だめか。


 仕方ないと割り切ってメッセンジャーを起動する。自分達が探しているむねを伝えようと思ったのだが。


(あ)


 昨晩開封したメッセージが残っていた。やたらとかんたんの多い文面、母親からだ。


『来てくれてありがとう! お父さん予定あわないとか言うし、だれも来なかったらマジへこむところだった(涙) お母さん、頑張って飛ぶからね! ちゃんと見ててよ、宋さんにもよろしく!』


 いい年した大人おとなが「マジ」とか「凹む」とか、相変わらず子供っぽい。まぁそういう人だからこそ今でも空を目指していられるのだろうが。苦笑しつつ画面をスクロールしていくと『追伸』の文字が現れた。


『そういえば、こっちの飛行クラブで機材借りられそうだよ。けいが時間あるなら頼んでみるけど、どうする?』


 どくりとどうが高鳴った。しんきようウイグル自治区、中国国境にほどちかいこの辺りは古来西域との交易路として知られている。所謂いわゆるシルクロードだ。その上空を飛ぶ、ぼうばくたる地表を見下ろす。普通に生活していたらまず得られないチャンス、可能性。


(というか……覚えてたのか)


 子供の時のやりとり、自分達が何気なく交わした会話を。


 返信しかけて首を振る。だめだ、今は明華ミンホアを探さないと。メッセージを閉じ受信ボックスに戻る。あてさきに明華のアドレスを設定、本文を入力しかけて、しゆんかん


「咦,怎么好像多了一台飞机?(あれ? なんか一機増えていないか)」


 中国語の会話に耳を引かれる。


 振り向くとデルタ編隊のプロペラ機が見えた。一番機を先頭に二、三番機がれいな三角形を作っている。その後方、やや離れたところにもう一つの機影が確認できた。


(なんだ?)


 母親のチームは三機編成のはずだ。四機での演技など予定されていない。どういうことだろう、ひょっとしてほかの展示飛行がまぎれこんできたのか。


 不明機は奇妙なシルエットだった。つばさがやたらと前方に位置しM字にうねっている。よくはなく機尾がえんすいじようとがっていた。機首が光っているのは陽光のせいか、塗装も空の青を塗りこんだような不思議な色合いだった。いや……違う、塗装ではなく透き通っているのか。あたかもガラス細工のごとく不明機は周囲の景色をぼんやりと透過させていた。


 観客席がざわめいた。不明機が速度を上げている。編隊との距離が徐々に縮まっていた。何をしている、危ない、ぶつかるぞ。方々から聞こえる叫びは、だがとうとつに断ち切られた。


 不明機の機首がストロボライトのごとくまたたいた。光の粒が宙をき三番機に突き刺さる。


 爆発が生じた。ふくれ上がった炎が機体を四散させる。黒い破片が煙を引き飛行場に落ちていった。


 観客の声が悲鳴に転じた。きようこうだれもが我先に走り出し滑走路から離れようとする。だが慧は動けない。肩や腕を人の流れに打ちすえられながら空を見つめている。


 何が起きているのか。


 理解できない。


 母親の機体が回避機動を取っていた。スモークを吐き懸命にブレイクしようとする。プロペラ機の旋回半径は小さい。うまく軸線をずらせば、そうそう砲撃にはつかまらないはずだった。だが不明機は常識外れの機動でついずい、ほとんど直角に近いターンで二番機の後ろにせんする。


「やめろ」


 悲鳴がれる。


 心臓をわしづかみにされたような感覚。いやだ、いやだ、見たくない。次に起こるであろうことを考えたくない。だが身体からだは石のようにこわばり、そうくうの悪夢をぎようさせていた。


 不明機の射撃。間一髪、二番機がよこすべりでせんをかわす。よくたんをかすったのか、激しい火花が飛び散った。大丈夫、飛行には支障がない。まだいける、まだ逃げられると思った直後だった。


 続く砲撃が機体の中央をつらぬいた。見ている前でキャノピーがはじけ飛ぶ。噴き上がる炎が胴体を焼いた。


「あ……」


 ドンと重いしようげきおん。爆煙が広がり空を黒く染めていく。


 ──逃げてください、係員の指示に従って避難、避難を。


 サイレンと待避アナウンスがようやくのことでひびき始める。


 だが動けない。


 目に映るのは黒煙とちていくざんがい。そして空を駆け抜けるぎようの飛行物体。


 なんで、一体どうして。


 携帯端末が手から滑り落ちる。


 悲鳴と爆音が混ざり合う中、けいはただひたすらぼうぜんと立ち尽くしていた。

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