時空の異端者〈5〉

 アーシェの説明は次のようなものだった。


 千年前、大陸にはローエンブルク聖王国を含む三つの大国と、無数の小国があった。

 各大国は神獣と呼ばれる強大な存在を一体ずつ保有しており、互いに覇権を巡って争っていた時代を特に『魔導大戦期』と呼ぶ。


 エリオット達が住むシルジア皇国はこの時代、アレン=ブラムド=シルジア公爵を君主とした国家──シルジア公国を名乗っており、有象無象の弱小国として大国からさくしゆされる側だったという。ラキアの祖国であるオーレリア魔法国連邦などは影も形もない。


 フラミリス=シルジアは、アレン=ブラムド=シルジア公爵の娘であり、シルジア皇国初代皇帝の姉だそうだ。


 エリオットは額に手を当ててため息を吐いた。


「信じがたい話だが……要するにここは千年前の世界って事か?」

「少なくとも千年以上前、ね。この娘がフラミリス=シルジア本人で、襲撃犯がローエンブルク聖王国の人間なら、大戦が始まる前だと思う」

「たまたま似ているだけって可能性もあるんじゃないか?」

「確かにそれは否定できない……。でもそれを正しいと論じるためには、より多くの仮定を必要とするよ。私達が千年前の世界に転移したという仮説と、たまたま外観がそっくりな魔力塔やお城があり、偶然にも初代皇帝の姉と同名の女の子がいて、千年前の記録に似通った別のまったく知らない場所に転移したという仮説。二つを比べれば、前者の方が思考節約の原理に沿ってると思う」

「よくわからん。俺にもわかる言葉で言ってくれ」

「たまたま似てるだけの可能性は低すぎるって言ってるの!」


 ジト目でにらむアーシェ。まるで宿題を忘れた生徒をしかる教師のようである。


「しかしなぁ……。俺はさっきフラミリスって娘やローエンブルクの連中と普通に会話が出来たぞ」

「それがどうしたの?」

「だから、千年もっていたら言葉がかなり変わるんじゃないかって事だ。シルジア皇国でも地域によっては方言があるし、遠方の国じゃ違う言語で話すと聞く。でも今さっき会話したところ、特に違和感なく意思疎通が出来た。言葉のなまりすらなさそうだった」

「この辺りには数百年も生きる獣人がたくさん住んでいたんだよ。地方ならともかく、皇都付近じゃ言葉なんてそうそう変わらないよ」

「……そういや獣人がいたか」


 エリオットは肩を落とした。わずかに期待を寄せていただけに、こうもたやすく否定されてはゲンナリするというものだ。


「ねぇ、神獣って何?」


 横で眺めていたラキアが口を挟んだ。


「ローエンブルク聖王国が保有していたのは暴竜カリブンクルスだね。他の二国の神獣は不明だけど、同格の存在のはず」

「暴竜カリブンクルスならあたしも聞いた事あるかも。何百年か前に暴れて、シルジア皇国を半壊させた事があるとか何とか」

「そうだね。後の世にも何度かび出されては色々と破壊した記録がある有名な魔獣。ローエンブルクの国旗にもなってる」


 アーシェは人差し指を立てながら、


「それぞれの神獣は単体で国家をたやすく滅ぼすほどの力を持っていたみたいで、もし大国間で戦いになったら皆が壊滅的な被害を受ける。そんなギリギリの状況で、魔導大戦が本格化するまではかろうじて平和が保たれていたらしいの」

「相互確証破壊だっけ? 相手を攻撃したら自分も倒れるから、互いに手が出せなくなっちゃうっていう」

「そう。詳しいね、ラキアさん」

「呼び捨てでいいのに」


 わざとらしくねるラキアを少し困った顔で流し、アーシェは続ける。


「話はここからだよ。魔導大戦の時代は大国同士がぶつかり合う中、突如魔神の軍勢が現れ、神獣を持つ列強諸国を滅ぼしてしまった。そのまま周辺諸国もいくつかんで、人類は絶滅する寸前までいったけれど、当時小国だったシルジア公国の勇者が残った小国群をまとめあげ、魔神を討ち倒したとされているの」


 拾った木の枝に魔法を付与し、光の線で空中に図解して説明するアーシェ。


「ずいぶんと歴史に詳しいな。首席魔術師もじゃないって事か」

「これ、普通に授業で習う範囲だよ?」

「歴史の先生は睡眠魔法が得意らしくてな……」

「適当な事言わないの!」


 ペチ、と頭にチョップをかまされる。


「……魔神ってのはなんだ?」

「さぁ。召喚された神話の怪物だの、超古代文明の魔導兵器だのと諸説あるけど、具体的にどういう存在なのかはわからないよ」

「何かヒントはないのか?」

「ヒントと言われても……。魔導大戦期は人類史の中でも有名な暗黒時代の一つで、魔法技術を始めとするあらゆる文化が大きく衰退した時期だから、そもそも資料が少ないの。魔神の正体についてしんぴよう性の薄い仮説まで含めていいなら、人気があるのは異界の神説かな。主にオカルト分野でね」

「列強の三国をまとめて滅ぼすような魔神とやらを、周辺国を味方に付けたとはいえ魔力塔くらいしか持たない弱小国が倒せるのか?」

「私に言わないでよ。歴史の先生がそう言ってたんだもん」


 エリオットは眉を寄せてあごをさすりながら、


「まぁいい……。それよりもだ。空間転移の魔法なら実用化も近いらしいが、時間転移、特に過去への転移は理論的に否定されてなかったか?」

「あくまで既存の理論が否定されただけで、過去転移が不可能と決まったわけじゃないよ。学会ではおそらく出来ないだろうって意見が大多数を占めてるけど……」


 アーシェの声が先細りになってゆく。実際に過去へ来てしまったとしか思えない今の状況下では、自分の発言に自信が持てないのだろう。


「仮に、だ。ここが千年前の世界だとしよう。俺達が元の時代へ戻る方法はあるのか?」

「……」


 場に沈黙が訪れる。アーシェもラキアもエリオットも、互いに顔を見合わせるだけだ。


(当然と言えば当然か……)


 エリオット達は最先端魔法を研究しているとはいえ学生の身分なのだ。千年もの時を超えるほどの時間転移魔法など、どうやればいいのか想像も出来ない。


「そういえばラキアはソブルムの書を持っていたな。ちょっと見せてくれないか?」

「やーよ。取り返すつもりでしょ?」


 ソブルムの書を抱いてそっぽを向くラキア。


「違う。そこにはソブルム魔導学院で研究されてきた魔法が全て記されてるんだ。もしかすると帰る方法が見つかるかもしれない」

「書いてあったとしてもどうせ読めないわよ。厳重に封印されてて開く事も出来ないし」

「なら封印を解除する方法を見つければ──」


 ふと、エリオットは強烈な違和感を覚えた。


(……待てよ? もし時間転移魔法が使えたとしても、そもそも俺達は帰れるのか?)


 アーシェもその可能性に気付いているのか、木陰で眠るフラミリスを困惑のまなしで見つめている。


「なぁ、アーシェ。俺達は初代皇帝の姉とやらを助けたが、本来の歴史だとどうなってる?」

「……」


 無言。力なく尻尾と耳を垂らす様子からして、その答えは察しが付く。


「つまり、フラミリス=シルジアはここで死ぬはずだったという事か?」

「うん……」


 アーシェは小さくうなずき、魔導端末グリモアの画面を見せてくる。


「フラミリス=シルジア姫。皇歴三〇四年三月一六日生まれ。シルジア皇国初代皇帝であり魔神を討ち倒した勇者ディラン=フェリクス=シルジアの姉として生を受けたが、皇歴三一八年四月一二日、ローエンブルク聖王国との魔力塔を巡る戦いの中、十四歳の若さでその生涯を終えた……か」

「どうしよう……?」

「どうすると言われてもな……」


 今ここでフラミリスを殺せば歴史は元通りかもしれないが、さすがに自ら手を下す気にはなれない。


「……まぁ、せっかくお姫様を助けたんだ。彼女を手土産にシルジア公国へ行ってみよう。未来へ帰る方法さえ見つかれば、歴史を修正する事も可能かもしれないしな」


 エリオットはそう自分を納得させる。

 帰る方法さえあれば、フラミリスを未来へ連れて行くという選択肢だってあるのだ。今一番やってはならないのは、何も行動しない事である。


 記録が正しければ、今はフラミリス姫の命日、つまり皇歴三一八年の四月一二日となるはずだ。これは魔導大戦が勃発する十年ほど前であり、アーシェの知識や魔導端末グリモアに保存された書籍があれば、今後何が起こるかもある程度わかるだろう。


「……ねぇ二人とも。その事なんだけど、ちょっとこれ見てくれない?」


 ラキアが自分の魔導端末グリモアを向けてくる。上空で待機中の軽銀の蜂ワスプの視界だ。

 そこには、今まさにブラムド古城の周りを包囲する無数の兵士達が映し出されていた。


 数千の歩兵が銀色の列を成し、騎兵隊がそれに続く。その中央には、兵に守られるようにして立派な鎧を着た一人の指揮官と、魔術師と思しきローブを着た者が十名。そして炎をまとう四足りゆうりんの魔獣達の姿があった。


「これは……火竜を引き連れた部隊か?」

「ブラムド古城の方角に向かってるみたいだけど……」


 竜の旗を掲げている事から、あれはローエンブルク聖王国所属の部隊だろう。

 シルジア公国の城門は固く閉ざされ、城を囲うように別働隊も動いている。辺りには不穏な気配が漂っていた。


「友好を訴える平和の使者には見えないわよねぇ」


 ラキアの言う通り、兵士達は手に手に武器を取り、雄叫びを上げている。今にも城へ攻め込まんとしている事ははたにも明らかだ。


「アーシェ、この時代のシルジア公国はどれくらい強いんだ? これだけの兵力で攻められても大丈夫なのか?」

「……どうだろ。でも、もし今ここで攻め滅ぼされるようなら、私達の時代にシルジア皇国は存在しないんじゃないかな?」

「いや、本来の歴史でも同じ条件で戦ったとは限らない。既に俺達は歴史に手を加えてる」


 エリオットは晴れ上がった天を仰ぐ。

 先ほどまでこの辺り一帯は大嵐だった。叩き付けるような雨に打たれながらでは兵の進軍もままならないし、何より水に弱い火竜をかす事も出来なかっただろう。


(だが、嵐はアーシェの魔法で吹き飛ばされてしまった。この行動がもたらす未来は……)


「まさか……私のせいで……?」


 震えながらあおめるアーシェ。自分の行動により、母国が滅びてしまう可能性に思い至ったようだ。


 エリオットは彼女の肩に手を乗せる。


「お前のせいじゃない。俺だって間違えた。こんな事を予測出来る奴はいないんだ」

「だけど……歴史はもう変わってしまった可能性があるんだよ? この世界では、将来私達が生まれるかどうかもわからない……」

「師匠殺しのパラドックス、だったか?」


 時間こうをテーマとした議論でよく聞く話だ。


 師匠から時間こうの魔法を習った弟子が、過去に戻って師匠を殺したとする。そうすると師匠は弟子に魔法を教える事が出来ず、弟子は時間こうして師匠を殺せなくなり、師匠は弟子に時間こうの魔法を教える……という論理矛盾が生じる。


 その矛盾を回避するため、神が因果律を監視しているという説や、そもそも時間こうが不可能とする説、過去へ戻った時点から似て非なる別の世界が新たに生まれるとする説など、様々な考察がなされている。


 だがいずれも検証など出来ないため、仮説の域を出ないものばかりだ。確かな事は一つしかない。


 今、自分達がここにいる事。


「だったら、今俺達がやるべき事をしよう」

「やるべき事って……?」


「俺達の帰るべき未来を守るんだ」

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