第一章

時空の異端者〈1〉

「誰もいないな……」


 水のしたたる洞窟を歩きながら、エリオットはつぶやいた。


 人の手が加わっているのか、見たところそれなりに奥行きがあるらしく、道が分岐して入り組んでいる。

 さっきまで研究所にいたはずだが、どういうわけか今は山の斜面にできた穴の中にいるようだった。


 ソブルム魔導学院の研究所は、二階建てで地下に魔力炉を配置した円筒形の建造物だ。間違ってもこのような洞窟ではない。


「エリオ、どうだった?」


 岩場でたたずんでいると、着替え終えたらしいアーシェが小走りでやって来た。使い魔の猫が振り落とされないよう肩にしがみついている。


「ダメだな。人っ子一人見当たらない」


 ソブルム魔導学院では、通常四年間魔法について勉強し、卒業して学位授与された後は一般魔術師として社会に巣立っていく。しかし中には卒業後も学院に残って、更に三年間高度な魔法を研究する事を希望する学生達もいた。


 そういった学生達を集めたのがソブルム魔導学院の研究所であり、将来の教授や博士、士官候補生を育成する高等教育機関である。

 そんな研究所には、学生や教員を合わせて百名ほどが配属されていた。エリオット達はその二年生である。


 上級生や下級生とはあまり交流がないし、同級生でも全員が知り合いというわけではないが、高度な専門知識を持つ人間ばかりだから、他に誰かいれば心強い味方になっただろう。

 だがこの洞窟には、エリオットとアーシェ以外の人影は見当たらなかった。異変が起きた当時は早朝で、泊まり込みの学生くらいしかいなかったのが関係しているのだろうか。


「他に誰もいないって事? 白装束の人達は?」

「わからん。ここには俺達二人しかいないみたいだ」

「ココちゃんもいるよ」


 アーシェが銀毛の背をでると、猫の首元にぶら下がる青い鉱石が揺れた。猫らしく鳴いたり、毛づくろいをしたりはしない。ただ目を丸く見開き、無感情に暗闇を観察している。


「使い魔を頭数に入れても状況は変わらないだろ」

「ココちゃんは使い魔じゃないもん。私の友達だもん」

「……わかった、訂正しよう。どうやら俺達二人とお友達一匹しかいないみたいだ」

「心が込められてない気がする」

「そう言われてもな……。今は俺達の身に何が起こってるのかもわからないんだぞ」

「そうだけど──うっ」


 アーシェが急に胸を押さえてうずくまった。急激に息が荒くなり、顔は紅潮、額にも脂汗が浮かんでいる。


「発作か? ちょっと待ってろ」

 持って来たアーシェの鞄をあさり、小瓶を取り出す。


 中身は錠剤タイプの魔法薬だ。およそ四十錠入っており、それを一錠飲むと、ほどなく発作は治まってゆく。


 アーシェは生まれつき心臓が弱く、一日一錠月霊草ムーンリーフという薬草から作られた魔法薬を飲んで発作を抑えなければ命が危うくなる。そのため、こうしてエリオットがそばで介助する事がよくあった。


 とっさの状況であまり多くの物は持って来られなかったが、アーシェの魔法薬が入った鞄を確保出来たのは、普段から気を付けていたおかげと言える。


「あ、ありがと……」

「気にするな。お前の事はおばさんに頼まれてるからな」


 その言葉に、アーシェの表情が暗くなる。ココを胸に抱き締め、顔をうつむかせた。


「これってさ……テロとかなのかな?」

「わからん。テロかもしれないし、ただのケンカかもしれない。あるいはどこかの国が戦争を仕掛けてきたという事も考えられる」


 そう言いつつも、エリオットは自分の言葉に疑問を抱いていた。


 洞穴の外をのぞき、激しい雨と薄い霧に包まれた魔力塔を眺める。

 いっそ、周辺一帯が草木一本ないほどの更地になっていれば、まだ理解できただろう。だが魔力塔は残っていて、他は草原と森である。学院や街が破壊された形跡はない。


「戦争って……この平和なご時世にどこの国が仕掛けてくるの?」

「知らん。まぁ戦争は言い過ぎだがな。世界最先端を誇るソブルム魔導学院の魔法技術を盗もうとする奴らは多いし、怪しげなカルト組織が活動している噂も聞く。何よりこの異常事態が魔法によるものだって事は間違いない」


 アーシェは半眼で見上げてくる。


「……何か知ってる風に言うね?」

「こいつが魔力を感知したんだ」


 エリオットは左手首にはめた腕輪を見せる。青い鉱石がはめ込まれた金属の輪に、細かな幾何学模様が浮かんでいる。


感知の腕輪センス・リングだっけ? 人の気配を察知する魔道具の。学内の売店で見た気がする」

「外装を流用したから似てるが、少し違う。俺が独自に開発した超感覚の腕輪パラフ・リングだ。装着者以外の魔法を感知すると模様がわずかに光って、距離と方角を知らせてくれる」

「へぇ、便利そう」

「何の魔法が使われたかまではわからないけどな」

「ビミョーな魔道具だね」

「それを言うならアーシェの短剣だってそうだろ。野菜も切れないなまくら刀じゃないか」


 彼女の腰の短剣を指差す。赤い鉱石を磨いて刀身にした、いわゆる装飾剣だ。何の魔力も込められておらず、刃物としての実用性もない。


「スピちゃんは剣じゃなくて魔法の杖みたいなものだからいいの」

「……スピちゃん?」

「スピネルの鉱石で作ったからスピちゃん」

「変な名前」

「私の道具にケチを付けないでよ」

「お前もな」


 互いに苦笑し、それから深いため息を吐いた。


「空間転移魔法って事はないかな? あの魔力塔は外観が似ているだけで、実は別物とか」

「……あるかもしれない。というか、いまいましい事にそっちの可能性の方が高そうだ」


 エリオットは腕組みしながら、

「少なくとも、ここはシルジア皇国じゃないな。もしそうなら魔力塔や魔導衛星を介して学院なり何なりと連絡が取れるはずだ」


 遠距離の人間と意思疎通をする方法として、念話魔法や念書魔法がある。ソブルム魔導学院で一年以上学んだ魔術師なら誰もが習得しているもので、距離はそれほど届かないが、魔道具による中継があれば世界の果てほど離れていても会話や文字のやり取りが出来ると言われている。


 しかし先ほど念話魔法を使ったところ、どこともつながらなかった。念書魔法も同様で、ソブルム魔導学院や学生仲間、隣国のオーレリア魔法国連邦に住む友人などとも連絡が取れない。魔力塔が見える場所にあるのに中継が出来ないとなれば、全ての中継機能が一度に壊れたか、エリオット達以外の全人類が死滅したか、はたまた似た別の遠い場所へ転移したか。


「でも空間転移魔法ってまだ研究中のはずなんだよね。研究室仲間の子が言ってたけど、転移先の座標指定で誤差が大きいらしくて、地面に埋まったり空中に投げ出されたりするから安全運用が出来ないとか何とか」

「だが、周囲の景色が変わっている事を考えると一番あり得そうだろう」

「じゃあ仮にそうだとして、これからどうするの……?」


 不安気なアーシェにガウンを引っ張られる。


「帰る方法を探すしかないだろ。いつまでもこんな洞窟にいるわけには──」


 不意にエリオットは言葉を切った。


「どうしたの?」

「……誰かいる」

「え? でもココちゃんは何も──」

「シッ」


 アーシェに目配せをして、ポーチに入れていた親指大の青い鉱石を複数取り出す。

 それらを投げた瞬間、鉱石は輝きを放った。


創換魔法アセンブル岩石の狼グラナイトウルフ〉!」


 鉱石が宙に浮遊したまま、無数の魔法陣が展開される。洞窟を構成する岩が分解され、それぞれの鉱石にまとわりつく。数秒を待たずして、五体のどうもうおおかみの彫像が生成された。


「ちょ、ちょっと! 洞窟が崩れたらどうするの!?」

「後で補強する! 捕らえろ!」


 指示を飛ばした直後、グラナイトウルフがくうに向けて飛びかかる。


「っ!?」


 ──否。そこはくうではなかった。


 かげろうのごとく空間が揺らぎ、逃げるように何かが動く。


 それを見てか、今まで大人しかった使い魔のココが毛を逆立てた。主人に位置を教えるように揺らぎへ向けてうなり声を上げる。


「逃がさないよ! 付与魔法エンチヤント電離加熱アークプラズマ〉」


 アーシェの短剣が白く放電し、猛烈な熱気を放つ。短い刀身を一振りすると、刃が届かないはずの岩壁が赤熱して崩れた。


「お前も崩してるじゃないか」

「後で補強しておいて!」


 叫びながらアーシェはグラナイトウルフ達と連携し、何者かを挟み撃ちにする。


「止まりなさい! それ以上進んだら黒焦げになりますよ!」


 追い詰めたのは透明化していた人間だった。


「おやおや、見つかってしまいましたか」


 緊迫感のない笑い声と共に空気が揺れ、長身そうの姿が徐々に浮かび上がる。

 白いサーコートを羽織り、書物を手にした細目の男だ。胸元にはソブルム魔導学院の教授を示すおおわしの紋章がしゆうされている。


「サイラス先生……?」


 アーシェが目を見開く。


 そこにいたのはソブルム魔導学院研究所の所長であり、エリオット達の師でもある壮年の魔術師サイラス=オルブライトだった。

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