プロローグ〈2〉

 ソブルム魔導学院の研究所が揺れたのは、ある寒い早朝の事だった。


「……地震か?」


 エリオット=ハンクスは今しがた書いていた魔導工学のレポートを放り出し、書棚から離れた。揺れはかなり大きく、分厚い書物や機材が次々と崩れてゆく。

 窓の外をのぞくと、白装束を着た人影が複数見えた。まだ日が昇り切っていないので見づらいが、精霊を従えていたり、れんきん銃や魔法剣で武装しているようだ。


「何だあいつら……?」


 ソブルム魔導学院は、エリオットの住むシルジア皇国の都心部にあり、様々な分野の最先端魔法技術を教える最高学府である。

 人類の英知を集結させたと言っても過言ではないこの学院は、魔力塔から供給される膨大な魔力により、災害や外部からの攻撃に対する魔法壁マジツクシールドが無数に張り巡らされているのだ。

 その一画たる研究所に異変があれば、いくら人の少ない早朝であっても大騒ぎになるだろう。


 ソブルム魔導学院の学生は、有事に国家を守る軍人として駆り出される事もある。不測の事態において取るべき行動は、エリオットも訓練で何度も学んでいた。


 急いで身支度を整え、廊下を出て隣の研究室へ向かう。


「アーシェ! 無事か!」


 ドアをぶち破る勢いで開け放つと、そこには銀毛の猫を肩に乗せる半裸の少女がいた。


 れたブロンドの髪から水を滴らせ、猫耳と尻尾をピコピコと動かす。下着一枚の上に、ソブルム魔導学院の制服である金のわしの紋章がしゆうされたガウンを羽織っている。本来腰に付けるはずの短剣は手に持っていた。


 エリオットの幼なじみの獣人であり、同輩の学生であり、ソブルム魔導学院の首席魔術師でもあるアーシェ=ミスティ=アークライトだ。

 徹夜で研究室に泊まり、さっきまでシャワーを浴びていたらしい。


「し、閉めて! ドア閉めて!」

「そんな事言ってる場合か! 逃げるぞ!」

「ひゃっ!?」


 着替えや肩掛け鞄を引っつかみ、彼女の手を引いて非常口へ向かう。

 アーシェは困惑したように頬を染めて眉根を寄せた。


「あの……エリオ? 何かあったの?」

「白装束を着た武装集団がこの研究所を取り囲んでいた。何が起きてるかは知らないが、安全な場所まで逃げた方がいい」

「白装束……?」


 その時、不意に視界が暗転した。暗闇の中、ぶつからないよう足を止める。


「な、何? 何も見えないんだけど……」

「落ち着け、照明が消えただけだ。出口はすぐそこだから心配は──」


 エリオットは言葉を切った。困惑のままに、ぼうぜんと立ち尽くす。


「これは……」

「これって?」


 暗がりの中、アーシェはガウンで体を隠しながら顔をのぞんで来る。


「いや……どこへ避難したものかと思って」

「避難先なら演習場だよ。訓練で何度もやったじゃない」

「演習場と言われてもな……見ろよ」


 エリオットは出口とおぼしき光へ顔を向けた。


 黒雲に覆われた空、広大な草原と森。まるで昔からそこに生えていたと言わんばかりに草木が生え、たたけるような雨が大地をらす。


 冷たい湿気と土の匂いの中、洞穴の中から外を見つめる。


「学院が……街が……ない?」


 さっきまであったはずの本校舎や研究所、街の風景などはどこにもなく。


 しかし遠目にっすらと見える魔力塔だけが、エリオットの知る形でそびえていた。

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