92.曰く、足腰の重点労働。


 翌朝。

 眠い目を擦りながら、シキミ達はダラムと別れを告げた。


 人間、疲労に負ければどんなシチュエーションでも眠れるのだ。一つ賢くなった。



 ミンタカの背に跨り、ジークに抱えられるようにして再開した空の旅は、やはり何とも言えないむず痒さを伴っている。


 自身の背後から漂う、昨晩を思い出させるジークの香り。──その字面の凄まじさたるや、尋常では無い。


 それは、男だ女だというアレよりも、プライベートに踏み込んだ気恥ずかしさに似ていた。

 不可避かつ必要だった事とはいえ、他人の布団聖域に潜り込むというシチュエーションが、なんだか妙に恥ずかしかったのである。──嘘じゃない。


「昨晩は、よく眠れましたか?」

「は??? あ、いえ、眠れました。うふふ」

「隈が……回復薬でも飲みますか?」

「回復薬を栄養ドリンクと勘違いしてたりしませんか? それとも、回復薬って本当は栄養ドリンクだったりします?」

「似てます」

「にてる」

「……主人よ。嘘を教えるな、嘘を」


 ミンタカの声に、シキミはガクリと肩を落とした。


 穏やかな風に晒されて、寝起きでしょぼつく目が冴える。

 爽やかな朝の香りとやらは、この空の匂いをいうものだろうか。


 楽しく美しい空の旅。しかし、それももうすぐ終わりを迎えようとしていた。


 やがて降り立ったのは、開けた丘の上。

 石造りの建造物が、大きくそびえたっていた


 それは、古代マヤ文明のピラミッドによく似ているようで。

 段々になった外壁と、四辺それぞれの中央から伸びる階段。天辺に乗った、一際高い箱のような建造物には、黒々とした入り口が、ぽっかりと口を開けていた。


 あそこから入るんだろうか、或いは、あそこから出ていくのだろうか。


「うーん。三年か四年ぶりだな」

「懐かしいわねぇ。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」

「さ、登りましょうか」

「え…………」


 さも当然、とばかりに頷き、既に一段目へと足をかけているジーク達に、シキミは慌てて待ったをかける。

 冗談じゃない、何段上がると思っているんだ。


「この石段。飛んでショートカットという手は」

「あぁ……たしかに、ちょっと大変に見えますよね。でも……」


 困ったように笑ったジークは、ミンタカ達に「呼ぶまで自由にしていてください」と言って、その毛並みを撫でると、空へと放してしまった。


「これがこの迷宮ダンジョンの不思議なところで……。階段を自力で登らないと、陣が現れないんです」

「じん、ですか?」

「はい。何も迷宮ダンジョンの入り口が、ぽっかり口を開けて待っているわけではないんです。置かれている魔法陣に乗って、魔力を流すことで初めて内部に入ることができるんですよ」

「ミンタカたちに乗って上ると?」

「陣は出ません。つまり、入れません」


 ──詰んだ。


 遥か彼方、高みへ続く階段を前に肩を落とす。

 さながら山奥の神社へ参拝しに行くが如く。こんなものを登りきった暁には 、足腰が悲鳴を上げ、生まれたての子鹿のような風体になることは間違いがない。


 入り口まで辿り着き、さらに魔物がうじゃうじゃといるであろう迷宮内へ踏み込んでゆくことを考えただけで、シキミはげんなりとした。


 その時──である。


『マスターッ! 頑張れー! 僕がついてるからね!』

『言ったそばからこの駄犬は……!』


 どこからともなく、随分と聞き覚えのある声が響いて、シキミは足を踏み外しかけた。とんでもないトラップである。


「っは?……えっ? なんで?」

「……? どうかしましたか?」

「な、なんでもないです! 元気です!」

「見ればわかるけどな」

「ここで体力使い切っちゃ駄目よ〜?」


 もう既に何段も先にある三人の背を必死で追いかけながら、シキミは酷く混乱していた。

 昨晩、ゲージ半分になるまで出ないと言ったばかりではなかったのか。……と、その割には魔力の消費を感じなかったことに首を傾げる。


「な……なんで? ウィスターとエヴァ? どこから? 見えないだけ? 出てきたの?」

『質問が多いですよ。……あと、失礼ですね。約束は守ります』


 声だけ出せるようになりましたから、よろしく。──という、酷く一方的なウィスタリアからの「ご報告」に、シキミは思わず天を仰いだ。


 ──誰がそこまでしろと言った。


 綺羅綺羅きらきらしい太陽は、巨大遺跡で這いつくばる矮小わいしょうな人間に向けて、今日も最大の微笑みを向けている。


『まぁ、俺達もそこまで過干渉になりたいわけじゃあないから。……でもね、ほら。何かあったときには、ができたほうがいいでしょう?』

『勝手に出てきちゃいけねェなら』

『喚ばれればいい。そうでしょ? マスター!』


 次から次へと、出処不明な音声は脳髄を揺らす。

 なんだかこれは、勝手に出てこられるよりも、ある意味面倒なことになったかもしれない。


「法の穴をすり抜ける姑息な犯罪者みたいなマネを……!」

『観念しやれ。妾達はマスターと共に在りたいのヨ』


 くつくつと、それはそれは楽しそうな神器たちの笑い声が、通り過ぎる春風のように朗らかに響く。


 嗚呼、さらば。私の平穏な日常生活。


 遠ざかる三人の背は、さながら懐かしい日常の如し。


『ほら、早く登らないと置いて行かれてしまいますよ』

「うぅうぅぅぅ…………」


 ウィスタリアの声にせっつかれ、シキミは己の足腰を叱咤する。

 一段登ればまた一段。何のこれしき、単純運動の繰り返し。


「シキミ、手を貸しましょうか」

「いえ! が、頑張ります……! ジークさんの手は最終手段で!」

「あっ、完全拒否ではないのな」

したたかねぇ~いいと思うわ。大事よ」

「じゃあねえさん最強の身体強化を」

「甘えてんじゃないわよ筋肉馬鹿」

「辛辣!」


 どうやら、シキミの到着を待ってくれているらしい。

 一歩、一段、少し重くなる足を動かせば、彼らの姿は近づいて。


「まだまだ、行けますっ!」


 ジークとエレノアのその間。人一人分のスペースに、シキミは漸く足をかけた。

 

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