81.曰く、災厄の音を聞け。

 

 滅びた大地、暗黒大陸へと続く大扉。

 そびえ、見上げるほどに高い、門とも扉ともつかぬそれを、彼はっと見つめていた。


 十秒、二〇秒……三〇秒。

 ──来るわけがない。馬鹿みたいだ。

 何を待っているんだ、幼子のように。来るわけが──ないのに。


 諦めるようにきびすを返し、微動だにしない、黒々とした壁に背を向けた。



 城らしく、一部屋一部屋の規模は大きい。

 ここでたむろう人数なんてたかが知れている癖に、何もかもが広々としていて、がらんどうだ。

 高い天井は寒々しく、遠い壁は余所余所しい。


 一体何に使ったものか、扉を開けば豪奢ごうしゃで広いだけの箱の中。

 人の気配に足を向ければ、一人の少女が暢気のんき欠伸あくびをしていた。


「あーあ。また死んじゃった」


 中央にぽつんと置かれたソファーの上、寝そべった少女の、どこか遠くを見る赤い目が、つまらなさそうに閉じられた。

 無造作に広げられた白髪の、黒い部分が闇にうごめく。


「何人目?」

「知らないよ。数えてないもん、そんなもの」


 少女はそう言うと、手にした果実にかぶり付いた。

 ぐちゅり、という粘着質な音と、腐りかけの甘ったるい匂いが広がる。


 伸ばしていた脚を曲げ、少女は空いたスペースを指差す。


「座んなよ。一日中歩き回ったって、大したものは見つかんないでしょ」

「別に……捜し物をしているわけじゃない」

「あっそ、どうでもいいけど。……ほら、座れってば」


 あくまでも座らせようというのか、ひたすらに空いた空間を指し示す指先に、少年は渋々従った。


 近づく程に、甘い匂いが強くなる。

 まとわり付くような重いその香りに、彼はわずかに顔をしかめた。


「なーんか、嗅ぎ回られてる気がするんだよね」

「好きなだけ嗅ぎ回らせておきなよ」

も一個潰されちゃったし?」

「大した損失じゃないでしょ」

「……はさ、本当にこんなことで魔王が復活すると思ってるのかな」

「知らないよ。でも、もう何をしたって手遅れだ。今更だよ。──もう始まった」


 そう、もう手遅れなのだ。

 一度動き出したモノゴトは、手を離れ、進み始めたモノゴトは、もう決して "無かった事" にはならない。


 ──だが、知ったことか。

 目的のために動くことの、何がいけない?

 望みのために動くのは悪か? 否! 断じて否!


 所詮、善も悪も本質は変わらない。

 たった一つ。"誰にとって" という物差しだけが、あらゆる善悪を決めるのだ。

 容易たやすく移り変わる物差しで、一体何が測れるというのか?


 だからこれは、紛うことなき善なのだ。

 己にとっての善なのだ。


「……あ、また死んじゃった。……脆いなぁ〜。そーそー簡単には見つかりっこ無いってことか〜!」

「馬鹿だな、ソレはだろ。……手駒を増やすためにいっぱい殺してるんじゃないか」


 ──ぐちゅり。

 湿っぽい、淫靡いんびな音と咀嚼音そしゃくおん

 それは、命を刈り取る音によく似ている。


「アハハ、うらまれちゃいそ〜」

「僕達だってうらんでる」


 悪意は連鎖し、悲劇は繋がり、闘争は永遠に終わらない。

 どんな綺麗事を並べたって、それだけは決して変わらない。


 清く、正しく、美しく。

 そうやって生きたって食いものにされるだけだ。


 搾取され、しいたげられ。それでもなお、純真無垢に生きた者が救われるなら、今頃こんな事にはなっていなかったのだ。


 こんな僕達は生まれていなかったのだ。


 嗚呼! 僕から兄さんすべてを奪った、おぞましい世界に呪いあれ!



 ──今度は、僕達の番だ。


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