22.曰く、生命は宇宙の輝き。

 

 倒れたことは、覚えている。

 というよりも、諒解わかっている、と言うべきだろうか。


 活動許容域を超過オーバーしたので活動を停止します──とでも言うかのように、スイッチを切るかの如く私の意識は暗転したのだ。



 さて、倒れてから一体どれだけ経ったのだろう。

 小さく身動みじろぎすれば、目が覚めましたか、とジークの声が少し遠くから聞こえた。



「大丈夫ですか? 起きられそうですか?」


 痛いところは? 気分は悪くないですか? とジークに甲斐甲斐しく世話を焼かれてしまったシキミは、目を白黒させている最中であった。


 ぼんやりとした記憶は夢に似て、どうも明瞭はっきりしない。

 テオドールと打ち合ったことは覚えているのだが、その動きをもう一度やれと言われたなら即座に無理と答えるだろう。


 起きた私に気がついたのか、いそいそと近づいてきたテオドールに「今度魔物のり方も教えてやるからな」と頭を撫でられ、私の扱いが決定したことを知った。

 どうやら完全に愛玩動物ペットポジションらしいぞと思い至れば、泣けばいいのか笑えばいいのかわからない。

 そんな私を嘲笑うかのように、頭上ではテオドールの手甲がガチャガチャと鳴っていた。



 起き上がって腕や脚を伸ばしたり、指を曲げたり、首を回したりと一通りの確認をしてみたが、身体に変なところはないし、頬に付いていた切り傷はポーションだという液体を一滴垂らせば完璧に消えた。

 少し、薄荷ハッカのような香りがした。


 不調など見当たるわけもなく、当たり前のように好調な身体は手合わせの余韻など少しも残してはいない。


「なんかこれだけで帰るのもな……」


 せっかくここまで来たんだしなと不満顔のテオドールが茶色の瓶を振れば、中に詰まった花が震える。

 目の前に座り込んだ彼は、魔物でも狩ってくか? と首を傾げた。

 私に聞かないで欲しいと切に思う。


「まもの……」

「オウ、魔物。探せばいるぜ、多分」

「あ、あの、ここは何がいるんですかね? ソウゲンアナウサギも魔物ですか?」

「……ほんとに何も知らねェな……」


 呆れたような顔をしたテオドールは、チラと周囲を見渡すと、無造作にその手を草むらに突っ込んだ。


 彼はその場から一歩も動くことなく、引き上げられた右手には、長い耳を容赦なく掴まれたソウゲンアナウサギがぶら下がっていた。

 きうきうと鳴く小さな生き物は、こちらに腹を晒してぷらぷらと揺れていて、抵抗する気配はない。


「コイツは、ココに魔石がねェ。これはただの動物だ」

……があるのが」

「魔物だな」


 普通の動物が、空気中に少なからず含まれる魔素──つまるところシキミの知識で云うMPを、何かのきっかけで大量に摂取することで起こった突然変異。

 あるいは、最初から魔石を持つ生き物として生まれた者。それが魔物なのだと彼は言う。


 どの種族でも一定の確率で起こる突然変異を、人は「魔化まか」と呼ぶらしい。


「で、これが魔物です」


 ジークの朗らかな声と共に背後からどさり、と重いものが落ちる音がした。

 慌ててそちらに目を向ければ、テオドールが掴んでいるものよりもニふたまわりは大きい、兎に似た生き物が横たわり、その白い毛に覆われた腹を晒している。

 死んでいるのか、やはりピクリとも動かない。


「そ、魔化するとデカくなるし強くなる。魔石は……まぁ、大体は腹にある」


 ナイフ貸しな、と差し出された手に、ゴソゴソと漁って掴んだナイフを差し出せば「危機感無いなホントに」と凛々しい眉を下げられてしまった。


「なんかすみません……」

「いや、もうなんとなく嬢ちゃんがそういう子なのはわかったから謝るな。いいか、俺達以外にやるなよ。──殺されるぞ」

「ひ……肝に命じて刻み込みます……」


 ドスの効いた、殺気を乗せた一言に縮みあがったシキミは、涙目で両手を上げる。

 段々降参が癖になってきていた。


 怯えるシキミを他所に、テオドールは慣れた手つきで魔物だという毛玉を捌いてゆく。

 途端、空気に混じる生臭い血の匂いが鼻をつき、切れ込みを入れられた腹からは、でろりと内臓が溢れだした。


 てらてらとぬめり、光る肉塊は日の光に晒されてなお生々しい。


「──ッ……ぅえ」

「目ェ逸らすなよ。ちゃんと出来るようになれ。……冒険者になるンならな」

「は、はい……ッ」


 あまりといえばあまりな光景に、嘔吐えずけば叱咤が返ってくる。死骸えものを置いてからは傍観に徹するジークの表情は相変わらずで読めない。

 止めてくれる人も、味方もいない。いるはずがない。

 だから、ナイフを動かす度に揺れる頭の、虚ろな瞳が怖かった。


「ほら、嬢ちゃん手ェ出しな」


 こちらに向けられた血塗ちまみれの手のひらに、恐る恐る己の手を伸ばす。

 次の瞬間、ぐっと掴まれ、引き寄せられるままにシキミの手は肉の亀裂に差し込まれていた。


「ッひ…………」

「怖くねぇ、怖くねぇから大丈夫だ」


 温かい体温が指から手のひらへ伝わる。油混じりの触り慣れない感触は、シキミに指を動かすことを躊躇わせる。


 さっきまで生きていたであろう生き物の死を、こんなにも感じることが他にあるだろうか。

 恐ろしいほどの恐怖と、罪悪感と、少しの不快感。


 そのまま押し込まれた指先に、硬い何かが触れた。


「こ……これ……?」

「あったか?それが魔石だ。引き抜いてみな」


 逃すまいと縋りつくように、纏わり付く肉から逃げるように引き抜いた手には、宇宙そらを閉じ込めたように輝く石が、赤黒く、まだらに染まって


──どくり、と一つ。蠢いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る