砂漠の菊作戦

あきら るりの

1




──終戦後、その国は『菊花』と呼ばれた。



「こちらも商売です。しかしお話を聞くことと、実際に依頼を受けることは関係のないことです」

「おっしゃる通りです」

 飾り気のないスーツに身を包んだ女性は、長い睫毛を伏せ気味に頷いた。

 会話は穏やかだが、向かい合う応接室という名の掘っ立て小屋には緊張が渦巻いている。

 しばしの沈黙ののち、先に切り出したのは来訪者である女性だった。

「護衛をお願いしたいのです」

「どなたのですか」

「私の上司です」

「……あのさ」

 場にそぐわぬ砕けた口調で言葉を挟んだのは、髪の毛を短く刈り込んだ中国系の青年だ。

「ヤン」

 女性の正面に座る日系の青年──アレックスは、振り返らず続くはずの質問を止めた。

 軽く息を吐き、引き継ぐかのように問いを述べる。

「ルリ・サイトウ中佐」

「はい」

「我々は、民間傭兵組織の一員です」

「ええ」

「人手などいくらでも確保できるでしょう」

 懸念。

 依頼人は軍人だ。それも『中佐』だ。一方こちらは、海外から派遣されている組織の一基地に詰める末端にすぎない。

 本来であれば、身内の警護を外部に依頼する理由がない。

「……護衛対象の名前をここで伝えることはできません。ですが、私が今から言う独り言から対象を推察するのは自由です」

 女性の視線が、正面の青年の顔をじっと射る。

「……私は近衛の隊長を務めております」

 応接の入り口で、コーヒーを啜っていた淡い茶色の髪の青年の動きが止まる。

「こちらの懸念が大きくなるばかりなのですが」

「ごもっともです。しかし、我々はどうしても外部の方の力が必要です」

「──昔、この国って暗殺事件が起きたよねえ?」

 明後日の方向でソファに座っていた男性が煙草を咥え、ライターのカチッと音を鳴らす。

「失敗したらしいけど」

「はい。暗殺対象の安全は確保されましたが、影武者として動いていた者が殺されました」

「影武者は、暗殺対象の弟君だとか」

 一瞬、女性の表情が歪んだ。


 当時の暗殺対象は、この国の最高責任者の長女であり、第一後継者。

 その警護を外部に依頼する──それは、身内であるはずの自軍を信じられぬという、国の中枢の病巣を告白するに他ならなかった。


 その後、女性と傭兵たちは小一時間話し込み、女性は日が暮れる前に帰っていった。

「面倒くさいな」

「全く」

 ……だが。提示された報酬は魅力的すぎた。弾薬や物資を大量に補給した上で、毎日の食事の質も上げられそうだ。

「どうする」

「請けてみては」

「理由は?」

「国の中枢に関わる話でしょう。どっちにしろ巻き込まれます。であれば、もらえるものはもらっておくべきかと」

 乾いた笑いを小さく零し、アレックスは書類を机の一番上の引き出しに放り込んだ。


 この国の名前は『菊花』。

 世界大戦ののち、極東の小国の占領となった、中東に位置する小さな国。

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