男の正体

「おいディノ、どういうことだ!? あいつはお前が殺したんじゃないのか!?」

「俺は初めからとどめを刺したなどと一言も言ってない。それに、何度か言おうとしたぞ、あの者は生きている、とな……」


 ディノランテのまさかの発言に飛鳥はあんぐりと口を開く。こんなことならディノランテの言う通り、早々にこの場を離れるべきだった。だが、今更そんなことを考えていても仕方がない。


 その不安が飛鳥の腕の中にいるシェリアに伝わったのか、飛鳥の袖をギュッと握る。


「はぁ、まったく……。結構やるじゃないか……」


 流暢な口調で話す棘まみれの男。


「しかも『封石ふうせき』まで持ってるとはなぁ……。いやぁ、舐めてた。反省反省」

「……」


 そして、その男は飛鳥たちに背を向けたまま、そんなことを口にしたのだ。


 そんな姿に飛鳥は呆れ返った。先ほどの鬼気迫る雰囲気を醸し出し、全力で自分たちを殺しに来た者と同一人物とはとても思えない。


「おい、ディノ。なんか知らんけど、今なら逃げられるんじゃないか?」


 飛鳥たちが通ってきた階段に繋がる扉は不幸にも、今いる場所から離れた位置にある。しかも、男の方が扉に近いときた。男が生きていると気づいた時、飛鳥たちが真っ先に逃げる選択肢が思いつかなかったのはこれが原因だ。


 だが、今のあの男はもしかしたらディノランテの攻撃により目が見えていないのではないか。もし、そうであれば隙をつき逃げることも可能かもしれない。そんな考えが飛鳥の頭に浮かぶ。


「待て……、まだ状況が分からん」


 しかし、ディノランテは首を縦に振ろうとはしない。そんな煮え切らない態度に飛鳥は歯噛みする。


「あれ、こっちか?」


 飛鳥たちの会話が聞こえたのか、背を向けた男は言いながら振り返る。


 その男のあまりにも異形な顔に飛鳥は血の気が引いた。いや、想像はできたはずだった。ディノランテの石の針を全身に喰らったのだ。顔にも当然、針が刺さっていることは分かっていたはずだ。


 だが、あまりにも、あまりにもあっけらかんとした男の表情はとても同じ生物とは思えなかった。


 額に、頬に、顎に、鼻に、そして眼球に深々と刺さっているはずなのに、この落ち着きようは何なのだろうか……。


「うーん、やっぱ見えん」


 唐突に男がそう言うと、両目に刺さった針に手を伸ばし、何の躊躇もなく引き抜いた。そして、抜いた針を適当に放ると、できた穴を塞ぐように親指で眼球を撫でる。


「いよし、見える見える!」


 男は眼球から指を離し視力が回復したことを確認すると、その目で飛鳥たちを視界にとらえた。身体に刺さった他に針には一切触れず、ニッと口角を吊り上げる。


 飛鳥は思わず固唾を飲んだ。


「ディノ……、あいつ、何なんだ?」


 ごく自然に落ち着いた口調で飛鳥は尋ねる。だが、飛鳥の内心は全くの逆だった。動揺し、恐怖に満ち溢れ、今も目の前の異様な光景をそのまま受け入れることができないでいた。


 そしてまた、ディノランテも少なからず動揺をしていた。男が死んでいないと分かってはいたが、ああも容易に傷を塞ぐとは思ってもいなかった。


 左眼で飛鳥の内心を見抜いていたディノランテは、飛鳥と同様に平静を装いながら、


「分からぬか? ならあの者の右手を見てみろ」


 と、飛鳥の視線を誘導する。


 飛鳥はディノランテから視線を外し、男の右手を凝視する。シェリアに掛けてもらった『視力強化ゼフト』がまだ解けていないため、離れた距離にいた男の手も難なく確認することが出来た。


「右手……、穴がある。お前が開けたやつだよな?」

「あぁ、そうだ」


 飛鳥が剣を突き立てられ身動きが取れ鳴った時、剣に手を伸ばそうとした男の右手にディノランテが杭を突き立て開けたものだ。


 確かに穴は開いている。だが、それが何だというのだろうか。


「ん……、そうゆうこと……」


 未だ飛鳥にもたれかかるシェリアが声を発した。


「シェリア、何か分かったのか?」

「ん、分かった……」


 シェリアはそう言うと飛鳥の顔に目を向けた後、再び男に戻す。


「魔族だよ……」


 ぽつりと呟くように言ったシェリアの言葉が腹の底に沈みこむような気がした。そして、男が向けてきた殺気の訳を理解するのであった。




 ―――――




 気付かなかった自分が馬鹿で間抜けだった。男の手に杭が、全身に石の針が突き刺さった時、何故気づかなかったのだろうか。自分の腕からは止めどなく血が流れているのに、男から血が一滴も流れなかったことに……。


『腕ぶった切って血が出なかったら確定だよ』


 初めてキセレの店を訪れた時、魔族のことを聞いたではないか。魔族はこの異世界に存在する生物で唯一の無機生物だと。身体中に血が巡っていなければ、痛みを感じることもない。


 何故気づかなかったのだろうか……。


「そうだな……、そうだよな。確かに言われてみれば魔族、だよな……」


 言いながら、今まで気づかなかった自分の馬鹿さ加減に呆れ果て、髪を掻き上げるように額に手を当てる。しかし、飛鳥が魔族と気付かなかった理由はちゃんと存在した。それは、


「けど……、なら、何であいつからは何も感じないんだ……?」


 飛鳥は横目でディノランテに問いかける。


 飛鳥とシェリアがキセレ以外で初めて魔族に遭遇したのは、ナウラという町から少し離れた森の中であった。生まれたてで他の魔族と比べればずっと弱いはずなのに、その魔族から発するどす黒い聖術気マグリアを前に飛鳥は逃げることしか頭になかったのだ。


 だが、目の前の男はどうだろうか。飛鳥は聖術気マグリアの感知に関してはディノランテの回復法術並に疎い自覚はあるが、魔族を前にしてここまで何も感じないことなどあるのだろうか。


 魔族は生きた年数に応じてどんどん力を増していく。目の前の魔族がどれだけの時を生きてきたかは分からない。


 だが、人と遜色ないその気配が飛鳥、そしてシェリアの頭の中から『あの男が魔族である』と言う可能性を消し去っていたのだ。


 そして、男が見境なしに飛鳥たちを襲った理由。それもキセレが話していた。


 ——魔族の八割は本能的に人間を殺す。


 そこに人間がいたから、視界に入ったから、息をするように人間を殺す。ただ、それだけだったのだ。


「知らん。知らんが、あの者の向ける殺気は人間には到底出せん。それに……」


 ディノランテは右目を瞑る。


「……あの者の身体に宿る聖術気マグリアは人間のとは明らかに違う」


 人間などのすべての生物は血液のように聖術気マグリアが全身を巡っている。だが、無機生物である魔族は違う。魔石に聖術気マグリアが蓄積するように、その身体に聖術気マグリアを宿す。


 聖術気マグリアの性質を、流れを読むことのできるディノランテの左目には、その男がただの聖術気マグリアの塊にしか見えなかった。あまりにも膨大で日常では決して目にすることのない程の聖術気マグリアの塊に……。


「ははっ、ふはははははははっ!」


 おもむろに目の前の目を魔族が目を見開き笑い出す。ドーム状の遺跡がその声を反射し、飛鳥は全身でそれを浴びる。


「はははは、はぁ……。安心しろ。今はお前たちを殺さない」


 男は針まみれの腕をゆっくりと上げ、飛鳥たちを指さしながら言った。


 しかし、それを易々と信じる飛鳥ではない。先ほどは飛鳥を見るや否や襲ってきたのだ。男の言葉は不自然そのものだ。


「ははっ、そんな目で見ないでくれよぉ。……殺したくなるだろ?」


 その言葉に飛鳥の身体が強張った。軽やかに告げられた言葉とは逆に男の目はひどく冷たいものだった。


「大丈夫」


 その時、胸元から聞こえた言葉に飛鳥は我に返る。目を下すと、そこにはシェリアが優しく手を握り静かに目を閉じていた。落ち着いたその態度が速くなった飛鳥の鼓動を正常なものへと変えていく。


 そして、魔族の指先がディノランテ個人に向かう。


「大事にしろよ、その剣。いいもんだからな……」


 男は身を見る返し、外へと繋がる廊下へ向かう。そして、


「じゃあな、ディノランテ。お前とはまた会えそうだ……」


 そう言い残すと、男は暗闇の奥へと消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る