焦るとポンコツ

 光が水に反射して光る、ということはよくあることだが、水そのものが光るのを飛鳥は今まで見たことはもちろん、聞いたことすらなかった。


 この水を何かに例えるなら、そう、オーロラだ。角度により色が変わり揺れる波が幻想的な天のカーテンを大きな湖に写していた。


「凄いだろ」


 呆然とする二人の背後からディノランテが声をかける。


 ディノランテは飛鳥を追い抜き振り返る。


「ここはどういうわけか聖術気マグリアが特別濃くてな。その聖術気を溜め込んだ湖の水はこのように光るらしい。姉上もお気に入りの場所だ」


 飛鳥はそれを聞き、異世界の不思議を垣間見た気がした。


 聖術気の存在しない地球ではどうやっても見ることの叶わない風景。


 飛鳥は無意識のうちにスマホを取り出しムービー録画を撮り始めていた。


 それを日本に帰り誰かに見せることはないだろう。だが、飛鳥はその光景を形として残したくなったのだ。


「何ですか? それは」

「わっ!」


 突然、飛鳥の背後から声が聞こえ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 飛鳥に声をかけた主の正体はミーシャだった。


 ミーシャは飛鳥の背後から興味深そうにスマホの画面を覗き込んでいた。


 ふと我に帰った飛鳥は自分の不注意さを恨めしく思った。ディノランテとミーシャは飛鳥が日本から来ているということを知らず、そして、スマホなどと言う道具の存在も知るはずがなかった。


 チョコレートの名産地を聞かれた時、せっかくヘレナが誤魔化してくれたのにも関わらず、これでは全くの無意味になってしまう。


 飛鳥は隣にいたシェリアに助け舟を出すが、シェリアは目を逸らし知らぬ存ぜぬを決め込み、思わず雄叫びを上げる。心の中で。


 だが、これは自分の招いた事態だ。自分でこの苦難を乗り越えるのが筋である。


「こ、これは俺の故郷の道具でして……、この風景を残すことが出来るんです……」


 あろうことか何の誤魔化しもなく話してしまった。こう答えてしまえば飛鳥の故郷が何処なのか疑問に思うのは当然である。飛鳥の心情はとても穏やかとは言い難い。


「アスカって焦るとポンコツだよね」


 いつの間にか背後で夕食の支度をするヘレナの元に避難していたシェリアが、慌てふためく飛鳥を見てそう言った。


「はぁ、何をやっているんでしょうね。彼は……」


 ヘレナは溜息をつきながらスープの味を確かめる。


 ここ数日の特に代わり映えのない日常も決して悪いものではなかったが、新たな仲間が加わり新鮮味のある賑やかな今の旅もたまにはいいのかもしれない。


 シェリアとヘレナの顔には薄っすらと笑みが浮かんでいた。




 —————




 日が次第に落ち辺りが闇に覆われる。そのおかげで湖の光がより一層際立ち、神秘的な空間を作り上げていた。


「へー、なんだか映像結晶みたいな道具ですね」

「そ、そうなんですよ!」


 飛鳥は今なおスマホの画面を覗き込むミーシャにそう答えた。はっきり言って『映像結晶』なんてものを飛鳥は聞いたことがなかった。


 だが、ミーシャがスマホをそれと似た道具と思ったのなら、それを利用しない手はない。


「その映像結晶を板状にしたのがこれなんですよ!」

「ほう、お前の故郷では面白いものを作っているのだな」


 今度はディノランテがスマホの画面を覗き込む。


(だ、だめだー! 二人は無理だぁ! もう誤魔化せねー!)


 ディノランテとミーシャに囲まれ、もはや誤魔化すことが限界にきたその時、


「夕食の準備が出来ましたよー」


 と、背後からヘレナの声が聞こえた。飛鳥が振り返るとヘレナは一度頷いた。


 飛鳥はそこでヘレナが助け舟を出してくれたことを理解する。


 背後から漂う料理の匂いにつられ、ディノランテとミーシャの興味がスマホから離れ、配膳をするシェリアの周りに移動する。


 助かった、とほっと息を吐く飛鳥も二人に続く。




 —————




「ぷふぅ。お腹いっぱい」

「シェリア、お前ほんとよく食うよな……」

「ん、ヘレナのご飯美味しいから」


 膨れたお腹をさするシェリアに飛鳥はそう言いながら、緑茶の入ったコップに手を伸ばし口に含む。


 ディノランテやミーシャも料理に満足した様子だった。


 飛鳥はコップを地面に置くと、腹が膨れたためか急激に眠気に襲われた。


(結構寝たはずなんだけど……)


 飛鳥は眉間に手を当てながら立ち上がる。


「すみません。水浴びをしたいのですが、どこかできる場所はありますか?」

「あぁ、なら向こうに浅瀬がある。茂みにも覆われているから水を浴びるならそこだろう」


 ディノランテが今いる場所から少し逸れた方向を指差した。


 飛鳥もその指の先に目を向けると複数の木が生えており、その更に先に茂みのような影も見えた。


「分かりました、先に頂いてもいいですか?」

「いいよ」


 シェリアが間髪入れずにそう言った。


 飛鳥もまさかシェリアが真っ先に答えるとは思っておらず、つい目を丸くする。


 いつものトロンとした眠たそうな目ではなく、しっかりとした目つきでシェリアはじっと飛鳥を見つめた。


「ありがとう。殿下も構いませんか?」


 飛鳥はそう尋ねるとディノランテは「あぁ」と言い頷いた。


 飛鳥はそのまま馬車に着替えを取りに行き、湖の浅瀬へと向かっていった。


 そんな飛鳥の背中をシェリアが悲しそうな目で眺め、そっと口を開いた。


「今日、私に戦わせないようにしてた……」


 ディノランテの乗る馬車を襲う盗賊と出くわした時、飛鳥は盗賊を一瞬のうちに皆殺しにした。シェリアが手を出す暇もなく……。


 ——俺がやる……!


 飛鳥の心の叫びがシェリアにひしひしと伝わった。決してシェリアに人を殺させはしないと……。


 シェリアは固く拳を握る。


「アスカだって……、人を殺すの初めてのはずなのに……」


 どうして一人で背負おうとするのだろう。どうして一緒に背負ってくれないのだろう。守られるだけなんて、嫌だ。


 そんな思いがシェリアの胸の内に募っていく。


「シェリアさん……」


 ヘレナが思わず声をかける。だが、何と言ったらいいのか分からず口を噤んでしまう。


 ヘレナは飛鳥とシェリアのこれまでをある程度聞いている。家族に捨てられ偶然出会い、そして共にナウデラード大樹林を脱出し旅を続けてきた。


 共に苦難に立ち向かったはずなのに、一人守られる立場にあるシェリアはきっと置いていかれる不安に駆られているはずだ。


 だが、飛鳥の気持ちも分かってしまった。出来ることなら『殺し』なんて経験をすることなく人生を歩んでほしい。大切な人なら尚更だ。


 だからこそ、ヘレナは言葉が出てこなかった。どちらも決して間違ってはいないのだから……。


 泣きそうな、そして悲しそうな表情を見せるシェリアを横目にヘレナは飛鳥が消えた茂みの方を眺めていた。




 —————




 湖の周りには色とりどりに光る花々が咲き誇っていた。


「つっめた!」


 飛鳥は腰に布を巻き湖に片足をつけるが、あまりの冷たさに声を上げる。


 波打つ光により勝手に温かいと勘違いしていたが、光ることを除けば他とはなんら変わらぬただの水である。冷たいに決まっている。


「にしても、ちょっと冷たすぎじゃね?」


 飛鳥は手で水を掬い顔、腕、肩と順に掛けていくが、その都度、水の冷たさに身体を震わせる。


 一通り水浴びを終えると飛鳥は湖の遠くを眺める。暗くて向こう岸は見えないが、対岸にも光る花が咲いているのか揺れる波の奥に点々と光の粒が浮かんでいた。


 飛鳥にはその光る一粒一粒が今を生きる儚い命のように感じられる。


「何を見ているんだ?」


 波の音に被せられたせいか少し霞んでいたが、確かに少ししゃがれた声でそう聞こえ、飛鳥は振り返る。


「なぁぁぁぁぁ!!」


 そして、怒号混じりの叫び声を発し、飛鳥は勢いよく反転しながら水面に頭から飛び込んだ。


「何をやっているんだ、お前は……」


 声の主の正体はディノランテ。ディノランテは水面に浮かぶ飛鳥を見下ろしながら呟いた。


 飛鳥が旅を共にする三人の女性を押しのけ、男でありながら最も美しい容姿を備えた彼の裸体を前に飛鳥は、反射的に目を逸らさなければならないような気がしてしまったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る