水色の輪っか

「ん……うあ」


 どれだけ眠っていたかは分からないが、目を開けたとき飛鳥は馬車の荷台の屋根を眺めていた。


 荷台の中は『光源ユグライン』と呼ばれる光の法術でほんのりと照らされており、寝起きの飛鳥の目にも特に負担はなかった。


「あ、起きられましたか……」


 それと同時にヘレナが声が聞こえ、ゆっくりと身体を起こした。


「大丈夫ですか? すみません、私も急だったもので……」


 ヘレナが何を言っているのか分からなかった。


「……お、覚えていないのですか?」

「えっと、何をですかね……」


 首を傾げた飛鳥にヘレナは安堵の溜息を洩らし「覚えてないなら別にかまいません!」と、慌てた様子でそう言った。水の入った桶から濡れタオルを出し、飛鳥が起き上がった拍子に落ちてしまったタオルと交換するとそそくさと荷台から出て行ってしまった。


「いっつ……」


 飛鳥がタオルの乗った額に触れると痛みが走る。そして、荷台から出て行ったヘレナの赤く染まった顔と重なりすべて思い出す。


 川の中で輝き、男性の心を揺さぶるヘレナの肢体。その直後に迫りくる水の塊。


 飛鳥の顔が熱くなる。ヘレナには悪いが記憶が飛んだことになっているのなら、その状況に甘んじよう。


「うん、しゃーない。俺忘れてたんだもん」

「何を忘れてたの?」

「おわっふあっ!」


 突然、荷台にかかった幕が捲られるとシェリアが顔を覗かせ飛鳥はひょうきんな声を出してしまった。


 そんな飛鳥にシェリアは可愛らしくクスクスと笑う。


「あ、シェリア……、どうしたんだ?」

「ん。私も水浴びしたから寝ようと思って……。アスカは大丈夫? 川で滑ってこけたってヘレナが……」


 シェリアの発言で飛鳥は自分がそこまで長い間、気を失っていたわけではないことを理解した。そして、ヘレナのおかげで自分が覗きによる制裁で気を失ったことを黙ってもらえたことに安心する。


「ダメだよ。アスカはそんなに動ける方じゃないから……、気を付けないと」


 飛鳥はつい肩を落としてしまった。すでにシェリアには自分の醜態を何度も晒しているのだが、こうも真正面から言われると堪えるものがある。


 シェリアは靴を脱ぎ荷台に上がると、飛鳥の隣にすでに敷かれていた布団に潜り込んだ。


「アスカは寝ないの?」

「ん? あぁ、そうだな。どうせ明日も早いし寝るか……」


 そう言い、再び横になろうとしたのだが飛鳥の目がシェリアの金色の髪にくぎ付けになってしまった。


 横になるも顔にかかる長い髪を邪魔そうに払うシェリアの姿。


 そして、飛鳥はある物を思い出した。


「シェリア、ちょっと待ってろ」

「……ん?」


 突然、布団から抜け出しリュックを漁る飛鳥の背中をシェリアは不思議そうに眺めた。


 そして、飛鳥はその中から一つの紙袋を取り出しシェリアの前に突き出した。


「……ん、何これ」

「開けてみ?」


 飛鳥に言われるがままシェリアは紙袋を受け取るとシェリアは封を開けた。袋の中から出てきた物は水色の布でできた輪っかだった。


「それはシュシュって言ってな、髪を結ぶ道具なんだよ」

「……しゅしゅ」

「そ。ちょっと起きて背中向けて」


 飛鳥はシェリアを起き上がらせると手際よく長い髪を編んでいった。翌日、あまり跡が残らないように髪の毛の中心付近で軽く一結びにすると、右肩から前に流す。


「これでさっきほど邪魔にはならんだろ」

「ありがと。……これ、どうしたの?」


 シェリアは飛鳥に振り返り水色のシュシュに触れながら尋ねた。


「日本に帰った一日目、俺ヘレナさんと外出てただろ? その時買っといたんだよ。ほら、シェリアさ……シートンと闘ってる時、めっちゃ髪邪魔そうだったし……」


 シェリアはまさか飛鳥がそこまで自分を見ていたことに驚いた。そして、自分も何か飛鳥にしてあげたい欲求にかられる。


 だが、そんなシェリアの様子を飛鳥は理解した。いや、都合よく『繋がった』と言った方がいいかもしれない。


 魔女と賢者は時々互いの心が繋がるときがある。何がきっかけなのかは分からないが突然相手の考えていることが何となくわかってしまう。


 そして、シェリアもまた飛鳥の考えが伝わった。


 別にお返しなんていらない。俺がしたくてやったんだ、と。


「雫が来たり、いざ渡そうとしても何か恥ずかしくなって今まで渡せなかったけど……」


 飛鳥は頬を掻きながらそう言った。


 シェリアはそんな飛鳥に頬が緩む。水色のシュシュを眺め、そして飛鳥の目を見た。


「ありがと。ありがとアスカ……」

「いいって、俺が好きでやったんだから。ほら、髪まとめたし今日はもう寝ようぜ」

「ん」


 シェリアの笑顔に飛鳥は顔が熱くなったが、目をそらすようなことは決してしなかった。


 シェリアは再び布団に入った。まとめた髪のおかげで不快にならず、今度こそ快適な眠りにありつけそうだ。


 シェリアは飛鳥の手を握り、ほどなくして安らかな寝息が聞こえてきた。


 寝付いたシェリアからゆっくりと手を抜き取った飛鳥は優しくシェリアの頭を撫でる。くすぐったそうにするシェリアは猫のように甘えた声を出した。


 そんなシェリアに頬を緩ませる飛鳥は唐突に外から視線を感じた。


 素早く目を向けた飛鳥の目に映ったのは幕の隙間から顔半分を覗かせるヘレナだった。


「いちゃつきすぎです。私も眠たいのですよ」

「……すみません」


 そうして、二日目の夜も無事終わりを迎えた。




 ―――――




 それから道中、特に変わったこともなく快適な旅を続けていた。


 そして飛鳥は今、一つの魔術の習得に励んでいた。


「んぬぬ! うあぁぁぁぁ、ダメだぁ」


 両手を合わせその後、手の間に隙間を作る。そこに聖術気マグリアを溜めるまではいいのだが、そこから先がうまくいかない。


 会得しようとしているのは闇の魔術である『無光ユーグレア』。大小関係なく光魔法を問答無用に吸い込み、無効化することが出来るのだ。


 そもそも、なぜ『無光』の会得をすることになったかというと、魔法の属性、魔法媒体の還元度、そして聖気玉マグバラについての説明をヘレナから受けたのが始まりだ。


 時は二日前、つまりカハド村を出て三日目の朝まで遡る。ヘレナは馬車を操りながら両サイドに座る飛鳥とシェリアに最初に属性についての話をした。


「魔法には基本属性があり水、火、風、土の四つからなります。水は火に強く、火は風、風は土、と力関係が成り立っています」

「四つ? 雷とかも入れて五つではなく?」


 飛鳥が日本で耳にしたことがあるのはヘレナの言った四大元素。しかし、飛鳥の頭の中で何故かその四つでは違和感を感じてしまい、五つ目の雷というワードが浮かんだのだ。


 ヘレナも飛鳥の突然の指摘に驚きを隠せなかった。


「そ、そうです。アスカさんの御想像の通り基本属性を抜きにした場合、水と土の間に雷が入ります。土に弱く、水に強いといった具合に……」


 飛鳥の違和感はこの相性から来るものだったのだ。


 ヘレナは一度手綱で馬を叩く。


「ですが、雷魔法の使用は現状において水の上位魔法の位置づけにあります。アスカさんの記憶にもそうあるのでは?」


 そう言われ飛鳥は自分の記憶を漁った。そして、雷の魔術に関する記憶が見つかった。水魔法で雨雲から積乱雲を生成し落雷を落とす記憶が。確かに雷の魔術ではなく水の上位魔法の位置づけであった。


 だが、シェリアはというと、


「私は、そもそも雷なんてない……」


 それに対し、ヘレナは「そうでしょうね」と呟いた。


「魔法というものは、そもそも属性に対する理解を深めなければなりません。店長は得意ではありませんが水の上位魔法ではなく、雷の魔法として術式を独自に構築しておりました。それは日本で学んだからできたことだと言っていましたね……」


 日本、というか地球では雷の観測のために雷検知器の発明や研究の末、発生の原理、種類、その他様々な事を突き止めるに至っている。そして、キセレはその知識を手に入れていたが故に雷の魔法を生み出すことが出来たのだ。


 だが、この世界ではどうだろうか。地球の非力な人間が頭を捻り様々なアイデアから雷の観測に成功したのと比べ、異世界には聖術気マグリア、魔法があった。


 だが、生物が生み出す聖術気マグリアによる魔法が大自然のエネルギーに叶うはずもなく、当たり前だが精巧な観測など不可能だった。異世界の人間にとって雷とは雲から落ちるものだという認識しか持つことができないでいたのだ。


「シェリアさんの賢者の知識に雷の法術が存在しないのは、天から落ちる雷を法術に利用するための知識や理解が全く無いのが原因です」


 もちろん例外はある。この異世界でも、世に公表していないだけで雷について深い理解を得ている者はいる。


 そして、ナウラの街でシェリアが捕まえたエレキラプトルのように、種が遺伝的に雷の魔法を用いることができる生物も確かに存在するのだ。

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