幕間 妹、襲来

修羅場①

「ぷふぅ~」


 シェリアは久々の飛鳥の家ということで気が緩んだのか、力のない声で息を吐くと冷たいフローリングに突っ伏すように倒れこんだ。


「シェリア、客人の前だぞ。それに横になるなら着替えてからにしろ」

「……ん」


 飛鳥はそんなだらしないシェリアに小言を言いながら背負っていたリュックを床に降ろす。シェリアに『空間箱エスプ』でキューブ化してもらおうかと思ったのだが、未だに気だるげな彼女を見ると諦めて正解だったと思う。


「すみません、ヘレナさん。とりあえず、靴を玄関に持っていきますね。適当に座っててください」

「あ、ありがとうございます」


 そういうと、飛鳥は底を向い合せて並べられていた三人分の靴を手に取り、さっきまで異世界と繋がっていた廊下の奥へと消えていった。


 ヘレナは普段お世話をする立場が故にもてなされるこの状況に若干戸惑ってしまう。今は落ち着いて腰を下ろしているが、初めての異世界である日本の自分の予想の範疇をはるかに超えたその風景に、一時は自分らしからぬ態度を取ってしまった。落ち着いたといってもその関心が薄れたわけではなく、客人という立場とせめぎ合っているのだ。


 そんな折、飛鳥が何枚か服を持って戻ってきた。


「ヘレナさん。着いてそうそう悪いんですけど案内がてら日用品を揃えに行きませんか? 使い物にならないとはいえキセレからは金を預かりましたしね」

「い、いえ! お気遣いなく……」

「そうはいきませんよ。それにせっかく日本に来てくれたんですから楽しんでもらわないと」


 そう言われると、さすがのヘレナも引き下がるしかない。どうしても使える側にいたヘレナは何かしたい欲求にかられてしまう。


「とりあえず、これに着替えてもらっていいですか? 多分着れると思いますので」


 飛鳥は薄色デニムのスキニーパンツと白のティーシャツ、そして黒のタンクトップを手渡した。シェリアの時はジャージであったが、今思うとその足の長さからメンズ物でも着れてしまうのではないかと思っていた。


 ヘレナもシェリアと負けず劣らずの腰の高さなので見た目的に多少違和感があるかもしれないが裾を折れば問題なく着ることが出来るだろう。だが、足が長いということは座高が低いということだ。なのでティーシャツは確実に違和感を生むことになるのだがそこは諦めてもらおう。


 飛鳥から服を受け取ったヘレナは隣の部屋に案内され着替え始める。


 飛鳥は財布の中身を確認し、一度お金を下ろすことを頭に入れる。そして、シェリアに目を向けた。


「シェリアはどうする? 一緒に行くか?」

「……別にいい。まだ少しだるい」

「分かったよ。でも寝るなら着替えてから。あとベッドで寝ろ。床で寝てたら余計だるくなるぞ」

「……ん」


 そんなやり取りをしているとヘレナの着替えが終わり隣の部屋から戻ってきた。そして、飛鳥は目を見開いた。


 美人とは何て素晴らしいのだろうか。正直、メンズの服で無難なものを選んだつもりではあったが、それを到底着こせるとは思ってもいなかった。いや、実際着こなせてはいないのかもしれないが、恥ずかしがり若干染まる頬や美しく艶やかな黒い髪、その女性らしい肉体とは似つかぬ童顔のすべてがマッチしている。


「あ、あの……。どこか変でしょうか?」

「えっ? えっ、あー、大丈夫です。とてもよく似合ってます」


 惚けていた飛鳥はヘレナの声で我に返る。飛鳥は首を横に振るとショルダーバッグに財布を入れスマホを手に取った。


 電源を入れようとするが流石に充電が完全に切れており、うんともすんともいわない。


 仕方ない、と飛鳥は寝室にある充電コードに刺すとベッドのサイドテーブルに置いた。


「じゃあ行きましょうか」

「は、はい!」


 ヘレナは外出に期待を寄せている反面、どこか不安がっている様子だ。それを感じ取った飛鳥は自分がエスコートをしなければ、と気合いを入れる。


「シェリア。俺たち行ってくるから。一応無いと思うけどインターフォン鳴っても外に出るなよ」

「……ん」

「後、これこそ無いと思うけど人前で法術を絶対使うなよ」

「……ん」

「後、ベッドで寝ること……」

「わかったから。いってらっしゃい」


 床に突っ伏したままのシェリアが、こちらを見ることもなく右手をひらひらと振ってくるのを見て、飛鳥は思わず溜息が出る。


 飛鳥は玄関のドアを開きヘレナと外を出る。


 シェリアの耳にドアが閉まる音が聞こえると「やっと静かに寝れる」と思う反面、「飛鳥の言うことをちゃんと聞かなければ」と葛藤が起こる。


 結果として後者を選んだシェリアはゆっくりと起き上がると寝室のベッドに向かった。


 予め飛鳥が電源を入れて置いたのか扇風機の心地いい風がシェリアの肌を撫でる。


 シェリアの意識はだんだんと遠退いていったが、それは一つの音によって妨げられた。何事かと体を起こしたシェリアは辺りを見回すと飛鳥が置いていったスマホが目に入った。


 少し充電ができたことで自動的に電源が入ったのだ。だが、問題はそこでは無い。この約十日間、飛鳥はスマホを使用することができない異世界へと持ち込んでいた。


 それが久々に日本は帰って着たことで溜まりに溜まりまくった受信が一斉に届き出したのだ。


 シェリアは疑問に思い画面を覗き込むが日本語を読むことはできず何が書かれているかは分からない。


 やがて通知音が完全に鳴り止むと、スマホの画面も消えてしまった。


 首を傾げるシェリアだが勝手に触って後で飛鳥に怒られるのも嫌なので、何事も無かったかのように再びベッドに横たわる。


 その時刻は午前十一時を指そうという時であった。




 ―――――




「どうぞ、ヘレナさん。熱いのでお気をつけて」

「ありがとうございます」


 飛鳥とヘレナは一通り必要なものを買い揃え、小休止を挟んでいた。飛鳥はたこ焼きを買うとヘレナに手渡した。


「熱っ!」


 ヘレナは爪楊枝でたこ焼きを突き刺すと有ろう事か一口でそれを食べた。あまりの熱さにヘレナは反射的に吐き出そうとするが、何とか手を口に当てそれを防ぐ。


 やがて熱さに慣れたのか目を閉じ味わうように噛みしめそれを飲み込むと、


「おいしいですぅ」


 と、とろけた顔でそう言った。普段クールなヘレナの意外な一面を目の当たりにし驚きつつも、その顔から楽しんでもらえているのは明白で飛鳥も嬉しくなってしまう。


 ヘレナはそんな飛鳥の視線にハッと我に返ると頬を赤く染め、再び何事も無かったかのようにたこ焼きを口に運ぶ。その度に頬が緩み、だらしない顔つきになる。そして、その度に飛鳥を睨みつけるのであった。


 ヘレナは以前、二十歳だと言っていた。日本であれば働いている者もいれば学生の者もいる。だが、総じて休日などは羽を伸ばし遊びたくなるのもこの年代だ。


 普段、キセレの後ろをついて回るヘレナもこの時だけはそれを忘れ、年相応の一人の女性として楽しむことが出来た。


 食べ終わったヘレナの口の周りにソースがついていることに気付いた飛鳥はポケットティッシュを取り出す、と一枚ヘレナに手渡し口元を指差した。


 飛鳥はまた赤くなるか? と期待していたのだがヘレナは一言お礼を言うと動じることなく口周りを拭いた。


 そして、飛鳥の方を向きフッとほくそ笑んだ。そこに飛鳥の思い通りにはならないという強い意志を感じ、飛鳥は呆気にとられてしまった。


「ご馳走様でした。とても美味でした」

「は、はぁ。どういたしまして。あ、ゴミは預かりますね」


 ベンチに座っていたヘレナは立ち上がり、飛鳥にたこ焼きの入れ物を渡した。飛鳥はすぐさま近くのゴミ箱に捨てる。現在の時刻を確認すると、家を出てからすでに三時間が経過していた。


「この後はどうするのですか?」

「そうですね。これ以上となると電車とか乗ることになるけど……」


 そう言い飛鳥は数時間前のヘレナを思い出す。


 目に入るものすべてが新鮮で興味の対象であったヘレナ。外を歩けばアスファルトで均された地面、自転車や車に。服を見ればその種類や精巧さに。電気屋に入ればテレビや冷蔵庫、スピーカーに目を輝かせるヘレナの姿は子供そのものだった。


 ただでさえ驚きを隠せなかったヘレナが電車やバスなどの公共機関に乗り込むと、いったいどういう事態に陥るか飛鳥には予想が出来なかった。


「まぁ、初日ですし今日はこれくらいにしましょうか。シェリアも気になりますし。……あっ! そうだ。一つだけ寄り道しても良いですか?」


 ヘレナは「いいですよ」と答えると飛鳥の背を追った。




 —————




 飛鳥とヘレナは今、マンションのエレベーターを降り飛鳥の部屋へ向かっていた。


「どうでしたか? 数時間でしたが外を歩いてみて」

「すごいです。店長から聞いていたよりもはるかに発展し、あちらの世界とはまた違った文化にとても感心しました!」

「それはよかったです。正直なところ、普段クールなヘレナさんにどうやったら楽しんでもらえるか悩んでたんですよ」


 ヘレナは今日見たものを思い出すだけで興奮が蘇ってくる。


「それに最後、寄り道にも付き合わせてしまってすみませんでした」

「大丈夫ですよ。ですが、何でまた急に?」

「いや〜。シートンと戦ってる時、すごく邪魔そうだったので……。こういうの一つぐらいは持っててもいいかなと」

「あー、なるほど。確かにその通りですね……」


 そんなやりとりをしている間に二人は部屋の前に着いた。飛鳥は手に持っていた荷物を一度下ろし、ショルダーバッグから鍵を取り出すとそのまま鍵穴に突き刺した。


 だが、飛鳥はドアを開け足を踏みいれようと一歩を踏み出すと、そのまま動かなくなってしまった。


 嫌な気配がしたのだ。


 飛鳥はあの日、そう、シェリアが初めて飛鳥の部屋に来たあの日も同じように固まったのを思い出す。


 正面に見えるリビングから陽の光を全く感じることもなく、冷たい空気が暑い空気と混ざり合う。シェリアと出会ったのはそんな嫌な空気だった。


 しかし、今回は別に目の前のスリガラスから陽の光は感じるし、異世界に繋がったような気配もない。


「アスカさん? どうなさいました?」


 ヘレナは一向に動こうとしない飛鳥に疑問を感じ、首をひねる。先ほどの飛鳥と一八〇度変わった様子からヘレナの眉間にシワがよる。


「……あ、いや。別に大したこと、いやかなりまずいというか……、えーっと……」


 ヘレナは明らかに挙動不審な飛鳥を見ると勢いよく玄関を開く。そして、目の当たりにするのだ。


「……靴? ……ですか?」


 数時間前、飛鳥とヘレナがその部屋を出る時、飛鳥が片付け忘れていた靴も合わせ二足、そしてシェリアとヘレナの物が一足づつの計四足があった。そして、飛鳥とヘレナが外出していたので本当なら、そこには二足しかないはずなのだ。


 だが、飛鳥とヘレナの目の前には三足の靴が並べられていた。


 いつもと変わらぬはずの飛鳥の部屋。にも関わらず、そこからは嫌な気配、嫌な予感しか感じることができず、高い気温と相まって飛鳥は額に大量の汗を浮かべるのであった。

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