キセレの実力②

 キセレは屋根を伝い街の外へ出る。そこにはダントが諦めたかのように遠くの空を眺めていた。他の兵も同じようにぼぉーっとするものや、身を縮こまらせガタガタと震える者もいた。


「……すごい顔してる。確かダントくんだっけ?」

「あ、あー。キセレさん、こんにちは……」

「うん、こんにちは」


 ダントはキセレの顔をちらりと見ると一言挨拶を交わすだけで、また遠くの空を眺めた。それは、この街、ナウラに二〇〇〇年級の魔族が近づいていることを耳にしたからだ。シートンが病床に伏せ、カインも魔物に喰われた今、この街は破滅の道を辿っていることをダントはよく理解していた。


「……キセレさん知ってます? ここに二〇〇〇年級の魔族が近づいてるって……」


 ダントは空を眺めながら言った。


「うん、知ってるよ。二〇〇〇年級とか滅多に見ないよね」

「さすが情報屋。……勝てるはずもないのに上からはここで市民が非難するまでの時間稼ぎってさ。この街の兵士のほとんどがここに集まるって」


 上司の命令だからとダントは言ったが、それしか方法がないのは自分が一番わかっていた。上司が好き好んで部下を死地に送るようなことをする人ではないことも知っている。だからこそ、ダントも他の兵士も逃げるようなことは一切しない。


「……まぁ他の兵士は、多分来ないよ」


 キセレは黄昏るダントに言った。


「……は? 何言ってるんです? 来ないって、どういうこと……。まさか、俺たち……」

「そのまんまの意味だよ。ここに増援は来ない。もっと言うなら君達もすぐに自宅待機が言い渡されるはずだよ」

「…………は?」


 ダントは目が点になり、口が開いたままキセレの言ったことを頭の中で反復する。


「……まじっすか」

「うんうん、おおまじ」

「……で、でもそれなら避難時間はどうするんですか⁉︎ 流石に魔族が到着するまでに避難を終わらせるなんて無理ですよ!」

「何か、ジザルが言うには秘密兵器があるみたいだよ」

「秘密兵器……?」


 当然だが、そんなものがあるわけがない。もしそれを無理矢理にでも用意するとしたらその結果がキセレである。


 そして、住民の避難時間などそもそも必要ない。キセレは出来ることなら戦わずに相手に引き返すことを望み、もし戦っても被害など出すつもりは毛頭なかったからだ。


「まぁとりあえずダントくんはここにいる全員を連れて撤退しな。魔族が来てからじゃ遅いかもよ?」

「お、おす!」


 ダントは力強く敬礼をすると、「撤収ー!」と叫びながら門の内側へと消えて行った。


「ふぅ、……出来ることなら戦いたくはないんだけどね」


 キセレはそう言うと、その場に腰を下ろした。風が吹きキセレの髪がなびく。そこは嵐の前の静けさのように、ただ草木や風の音が聞こえるだけだった。


 のんびりと、鼻歌を歌いながら魔族の到着を待つキセレはこれが終わったら飛鳥たちの旅の用意に、必要事項の確認、他の場所の調査に魔女と賢者にしか解読できない石板などやりたいことが沢山ある。すでに三千年生きたキセレでも、やりたい事を思い浮かべる時だけは時間が有限だと実感する。


「さっさと終わらせたいねぇ」


 そんな事を思っていると、遠くの空に黒い影が見えた。カラスの様な巨大な鳥である。


 キセレはそこに魔族がいる事を察知する。キセレは立ち上がるとその魔族を待ち受ける。


 街から少し離れた所にその巨大な鳥が降りると、その側に二人の人影が見えた。


 先頭を歩くのはガタイのいい灰色の髪を短く切った男性。その身にはノースリーブの羽織と丈夫そうなズボンだけしか身につけておらず、見せつけるような肉体は並のものなら震えることは間違いないだろう。

 そして、その後ろには女性。紺色の髪を一つにまとめ左肩から垂らしたまま、背筋をピンと伸ばし歩く様はモデルのように見える。


 男性が二〇〇〇年級の魔族であることは間違いないのだが、その後ろの女性も一五〇〇年級の魔族であることにキセレは気付いた。


(確かに普通ならこの街はひとたまりもなかっただろうな……)


 そんな事を思っていると男性の魔族から声を掛けられた。


「よお、一つ聞きたいんだが、ここに魔女っているか?」

「いや、いないよ」

「ほんとか? 最近この辺で魔女の聖術気マグリアを感じたのよ。そのさらに数日前はナウデラードの森でも感じた。この辺にいるのは間違いないんだわ」

「あぁ、それは魔女本人で間違いないね。でも言った通り、ここに魔女はいないよ。もう次の場所に向かっちゃった」


 ナウデラード大樹林では『火葬一陣エクラノア・ペラ・アントラ』、そしてつい先日覚醒した『魔女化』をこの魔族は察知してやって来たのだ。


 まさか中途半端な神杖で『魔女化』や『賢者化』に至るとは、流石のキセレも思ってはいなかった。それだけ、飛鳥とシェリアの二人に才能があったのか、それともまた別の要因なのかは分からない。だが、キセレの目的である魔女と賢者の聖術気を流すことで解放される石板を読むというキセレの目的に大きく近づいたのだ。


「はっ、口ではなんとでも言えるさ。俺はまた魔女に会うために二〇〇年待ったんだ。ここで、はいそうですか、なんて言えるわけないだろ。居ないと言い張るならそれでいい。勝手に探し出すだけだ」


 そう言うと、魔族の男性は歩き出す。キセレはとっさにその魔族の腕を掴んだ。


「いやいや、本当にいないんだって分かってくれよ」

「あぁ? 離せよ、もうテメーにようはねえ。いい加減にしねえと、同じ魔族とは言え殺すぞ」

「物騒だね。同じ魔族のよしみとして引いてくれよ」


 キセレはその傍若無人な男性の行動や言動に溜息をついた。自分の目的の為には他を全く意にも介さない有様はどこからどう見ても魔族そのものである。


(これだから低脳筋魔族は嫌なんだよ……)


 キセレは助け舟をと思い女性の魔族に目を向ける。だが、女性は首を横に振るだけでその場を動こうとしない。


「はぁ、もういいわ」


 そう男性の魔族が言うと歩みを止め、街を背にしながらキセレに向かい合う。キセレと魔族は三十センチほどの身長差があり向かい合うとその差は顕著に現れる。


「……消えろ」


 魔族がそう言いながら右手を開き、キセレに向ける。その刹那、魔族の手が光ったかと思うとその手から真っ白な聖術気の塊が飛び出した。


「年上は敬う。人間社会では常識なんだろ?」


 魔族が放ったそれは属性などは帯びていない、純粋なただの聖術気の塊。膨大な聖術気を所有する魔族だからできる『光閃《ベイン》』と言う技だ。


 キセレは済んでのところで躱すが服が破け、上半身があらわになる。そして、ガチャッという音と共にキセレの左胸に着けていた拘束具が地面に落ちる。魔族の『光閃べイン』がキセレの拘束具のベルトを焼き切ったのだ。


「ほぉ、よく避けたな。だが次はな、い……」


 余裕に溢れていた魔族の顔がみるみる青くなるのが分かる。


「あーあ、取れちゃったよ。……こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」


 そう言いながらキセレは魔族を睨んだ。それは誰にも見せることのできない表情。冷酷で全てのものを見下すかのような、そんな目をしていた。

 だが、魔族が最も驚いたのはそこではない。拘束具が取れた途端、キセレの体から聖術気が溢れ出したのだ。その大量の聖術気はキセレの体に変化を及ぼした。

 肌は若返り、目尻に力が込められる。身長の増加に合わせ筋肉も膨張し、中年の親父の姿から二十代前半の容姿へと変わった。


 キセレが備えている自身の聖術気マグリアは人間社会で生きていくのにはあまりにも膨大すぎた。常人であれば誰もがその場に立ち尽くし死を覚悟するだろう。


 故にキセレはジザルに頼み自身の聖術気マグリアを押さえつけるための拘束具を作らせたのだ。その結果、本来老いなどとは無縁な魔族の体に変化が起きた。それが普段人間社会で暮らすキセレの姿だ。


「お、おま、え……いっ、たい……」


 その時、後ずさる男の魔族の前に女の魔族が割って入る。キセレは二人にゆっくりと詰め寄った。


「たかだか、二〇〇〇年しか生きてないような若造が図にのるなよ」


 なおも歩みを止めずキセレは二人に近づいた。


言った。魔女はいない、帰れと。……これが最後だ。選べ。このまま街に入るか。それとも素直に引き返すか」


 キセレはドスの効いた声で静かに問いかけた。そして、それに答えたのは女性の魔族だった。


「わ、分かりました! 引き返します。ですから、どうか怒りをお沈めください!」


 必死に許しを乞う女性に比べ、男性は言葉にならない様子だった。


 キセレは女性の魔族から求めていた回答を聞くと、外れた拘束具のベルトを無理やり体に結びつけた。すると、キセレから発せられる聖術気はあっという間に収まりその体も元の低身長のおじさんの姿へと戻ってしまった。


 キセレは顎で帰るよう促すと男性は腰が抜けたのか女性に肩を借りながら乗ってきた鳥へと向かった。


 キセレはその様子を後ろから眺めていると、男性の魔族が女性を払いのけ振り返る。


「お、お前。いったい何をしたら、そうなれるんだ……」


 側から見たら何を言っているか分からないかも知らないが魔族であるその男はキセレの異様さに気がついた。


 男は最初、キセレから発する弱弱しい聖術気マグリアからせいぜい一〇〇年程度の魔族だと思っていた。


 だが、あり得ないのだ。キセレから感じたのはあまりにも巨大な聖術気マグリア。一〇〇〇年単位では足りない、一〇〇〇〇年を超えたような、そんな次元の違う存在に感じた。


「さあね。でも……、日本で長く暮らしていれば、君もなれるよ……」


 キセレは懐かしい記憶を思い浮かべながら答えた。その顔は先ほどの冷たい表情などではなく、とても優しい笑顔だった。そして、再び男に向き直る。


「君たちが魔女を追うことは止めはしない。だけど、僕の目が届く範囲で、一方的に人間に恐怖を与えるのなら、その時は容赦はしないよ」

「……最後に教えてくれ。お前はいったい、どれだけの人間を食べてきたんだ?」


 キセレはばつが悪そうに頭を掻きながら下を向くと、


「……沢山だよ、生きる為に人間も他の動物も食って食って食いまくった」


 キセレの言葉を聞き、男は「そうか」と答えると二人の魔族はどこかへ飛び去ってしまった。


 キセレはようやく去った危機に溜息をつき街の中へ入る。その際、街の人間に万が一にも見られるようなことがあってはならない。キセレは辺りを見渡しながら慎重に街の中を進んだ。

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