情報屋キセレ②
完全に密閉された空間で身の毛のよだつキセレの視線に、飛鳥は一歩後ずさってしまう。背中を伝う冷や汗がその空間の冷たい空気に触れ、さらに冷たく感じる。
シェリアもその男の不気味さを感じ取ったのか、縮こまる飛鳥の前に庇うように立つ。
「はぁ……、そんなに警戒しないでくれよ」
キセレは奥から簡易的な椅子を三つと折りたたみ式の机を運び込み、瞬く間に組む立てると、飛鳥とシェリアに座るように促した。
それを拒否しても何も物事は好転する気配もなく、二人はおとなしく席に着いた。
「これ、茶菓子ね。昨日までいたカウリア帝国って所の名産品。先に食べてくれていいよ」
飛鳥とシェリアの目の前に二つずつ置かれた菓子は、その包みなど意を介さぬほどの果物の甘い香りが鼻奥を刺激した。
飛鳥はその菓子に目線だけを下げつつも、警戒心を解くことは決してしない。
「ははは、もう一度言うけどそんな警戒しないでよ。毒なんて入ってないし。……何より君たちのために買ってきたんだよ?」
君たちのため、キセレはそう言った。検問の兵士の話ではこの男が戻ってきたのは昨日だと言っていた。その一方で昨日の飛鳥たちは日が暮れた頃にようやく、この街から少し離れた場所にある遺跡に到着したのだ。目の前の男はどういうわけか、昨日、いやそれ以前に飛鳥たちがこの街に来ることを知っていたというわけだ。
飛鳥の疑問は深まるばかり。そして何より……、
「俺たちのためってどういうことだ? 何で俺が魔女だと分かった? 何でここに来ると分かった⁉︎」
普段、初対面の人間、そしてそれが年上であるならば、飛鳥はほぼ全て敬語で話してきた。ナウデラード大樹林の白竜、この街の検問や受付、そして背後に控える従業員の女性も含め、この異世界に来てから敬語で話さなかったのはシェリア以外いなかった。
それは相手を敬い、相手に嫌われず、相手に取り繕う時、最も飛鳥が気をつけることなのである。そうすることが、生きていく上で飛鳥の身に沁みこんだ処世術の一つであった。
だがこの男は違う。隙あらば、直ぐ様喉元に食らいつく飢えた獣のように感じられる。飛鳥はその獲物を見つめる様なキセレの眼光に無意識に敬語が崩れてしまった。そこに気をかける余裕がなかった。
「まぁ落ち着けって。そうだな一つずつ答えよう」
キセレは机の上に置かれている湯呑みを手に取り一啜りする。
「『君たちのために』ってのは君たちに僕からちょっとした『お願い』があるから」
「お願い?」
飛鳥は思わず口が出てしまう。それをキセレは手で飛鳥を静止させる。
「何で魔女か分かったかは僕は以前魔女と賢者にあったことがある。ほとんどの人は魔女が持っていた杖なんて物、一度見たら忘れないと思うよ……」
キセレは飛鳥が机に立てかけた魔女の
「何でここに来るか分かったかは……、あんな派手な魔女の魔術ぶっ放したらそりゃ気付くよ。出力的に本来の威力ではないのは明らかだったけど、それでもナウデラードの結界をぶち破ったのはほんと驚き。それに、古の竜の転移先の予想は大体ついてるからね。そこから一番近いのがこの街だったからね」
そこにキセレは「それなりの実力者は魔女の存在を感知したはずだ」と付け加える。それを聞き飛鳥はつい眉をひそめた。
「まぁ、ナウデラードの森はそう簡単に手出し出来ないし、気づいても尻込みしてると思うよ。まぁ直ぐに何かあるってことはないでしょ」
飛鳥はその事実に頭が痛くなる。
魔女や賢者はこの世界において『原初の魔法使い』から唯一力を受け継いだ大いなる存在である。飛鳥やシェリアがその魔女や賢者である以上、平穏に世界を回りたい願望を持つ飛鳥にとって、キセレの情報は胸に鑢を掛ける思いであった。そして、飛鳥のその願望は、ナウデラード大樹林にて放たれた飛鳥本人の魔術によって儚く散ってしまったのだ。
随分勝手な話だが、今だけは
まぁ、普通に生きているわけだが、あの傷で生きているわけが無いと飛鳥は勝手にそう思っていた。
「とりあえず、そんなしょーもない話は置いといて」
キセレはそう言うと飛鳥の目の前、つまり菓子を指差した。飛鳥は警戒して一つも手に付かなかったが、二つあったはずの包みは今、目の前に一つしかない。
そんな飛鳥の視線に気付いていないのか横からそろ〜っと手が伸びて来る。
「何やってんの、シェリアさん」
よっぽど菓子に集中していたのか、人の視線に敏感なシェリアが飛鳥に声をかけられるまでそれに気付かなかったのか、ピクッと体を揺らした。
シェリアは恐る恐る顔を上げると、
「お腹空いた」
と一言呟いた。
「お前……、『豪華なの所望する』とか顔膨らませながら言ってただろ!」
「よくよく考えたら私たちお金持ってない」
飛鳥はついにバレたかと思うがもちろん顔に出すようなマヌケはしない。そして豪華な食事もあながち嘘ではない。少ないながらも調味料は持参しているので久々に料理を振る舞うつもりでいた。それが豪華かどうかは置いておいて、少なくともシェリアならきっと喜んでくれるはずだ!と、何の根拠もなく飛鳥は思っていたのだ。
「はははっ! 普段はこんなことしないんだけど食事にしようか。ヘレナ」
「かしこまりました」
『ヘレナ』と呼ばれた背後に控える送迎役の女性は一礼し、奥の部屋へと消えて行った。
「もちろん、毒なんて入ってないからね」
キセレは片側のみ口角を上げ不敵な笑みを飛鳥に向けた。
(こいつ、わざとやってんじゃねーの……)
飛鳥の信用度がこの笑みでどんどん下がっていることを、この男はついぞ知ることはなかった。
—————
出てきた料理自体はあまり見覚えのないものばかりであったが、使用した食材自体は日本でもよく見かけるものが多かった。地球も異世界も食材というのはあまり変化がなく、見た目から食欲が失せる、ということはない。ただ、この男の指示で出されたということを除けば。
シェリアは菓子もそうだが出された食事も何の抵抗もなく口に運ぶ。
「美味しいよ」
「お前、何の警戒もなくよく食べれるな……」
「ん。毒入ってても解毒できる」
「はははっ、さすが賢者様だねぇ」
「解毒できても毒が入ってるのなんかわざわざ食いたくねーよ!」
「心配性だなぁ。本当に入ってないってば」
今、テーブルには四人分の食事が並べられている。キセレの横には椅子がもう一つ並べられ、そこにヘレナが座って黙々と手を動かしていた。
飛鳥も意を決して料理に手をつけ口へ運んだ。そこで飛鳥は何か違和感を覚える。それが毒などではないことは明白なのだが、それが何なのか飛鳥はいまいちパッとしない。
次々に口に放り込まれる料理を噛み締め、味を見極める。そこで飛鳥はあることに気づいた。しかし、飛鳥は断固としてそれを認めることができなかった。
(なんだ、これ。これは、この味は……)
「アスカの料理みたいだね」
シェリアの発言で飛鳥の手は完全に凍りつき目線を男に向ける。そして今なお人を小馬鹿にしたようなキセレの視線と重なり飛鳥の頭はこれまでにないほどこんがらがってしまった。
シェリアの発した「アスカの料理」とは、日本にある飛鳥の部屋でシェリアに振る舞った日本食の事である。
ヘレナの出した料理は見た目こそ日本食からかけ離れているものの、その味付けは飛鳥が良く知る日本の料理そのものだった。
「どうだった? 僕のお気に入り、日本食のお味は……」
そう、これは紛れもなく日本食だ。そして『日本』と、この異世界では知られるはずのない単語を発したキセレ。その男の横に座る日本人を思わせる黒髪黒目の女性、ヘレナ。
「お前、本当に何者なんだ……」
楽しいお食事会は一転し険悪なムードに包まれる。
そしてその横でそれに気付きながらも食べる手を止めないシェリアのおかげで保たれるほんわかした雰囲気がその険悪さと混ざり合い、何とも気まずい空気を作り出すのであった。
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