情報屋キセレ①

「偽善……だとでも言うのかい?」


 長髪の男はまっすぐ飛鳥の方を見ている。


 飛鳥はその男から感じる懐かしい雰囲気に亡くなった祖父を重ねる。優しさに溢れ誰もがその魅力に引き寄せられる。そんな感覚だった。


 飛鳥は目の前の男の声に引き込まれそうになるが首を横に振り、男の質問に対し逆に聞き返した。


「あなたは、ごく少数だけを救うことが……、偽善ではないと言いたいのですか?」


 目の前の男と同様に飛鳥はじっと見つめ、男と視線が重なった。シェリアは飛鳥の雰囲気が少し変わったのを感じ、少し控えめになる。


「いいや、偽善だよ。少なくとも……、僕はそう思う」


 男性の答えは予想の斜め上のものだった。到底、彼の質問から返ってくる答えではなかった。


「あなたは今、俺に『偽善だと思っていない』からあんな質問をしたのではないのですか?」

「いいや、僕が聞いた意味はその先にある」

「先……?」


 飛鳥は頭が混乱する。この男は何を言っているのかと。偽善だとわかったその先とは一体なんなのか。この男の目には一体何が映っているのか……。


「そんなに難しく考えることはないよ。ただ単純に、偽善だから手を差し伸べないのかい? それが善行であれば助けるのかい? ……まぁ僕が言いたいのはそれだけだ」

「……お父さん」

「……あぁ行こうか。みんなが待ってるね」


 三人の子供のうちの一人が男の袖を軽く引いた。


 飛鳥はその少年に視線を落とし、他の二人にも目を向ける。その時、飛鳥はあることに気付いた。


「その子たち、怪我してるんですか?」


 飛鳥は上腕、二の腕、そして肩など、あちこちに包帯を巻いた子供たちから目を向けながら言った。


 男は一度目を丸くするとすぐに優しい眼に戻り、袖を引いた少年の頭を撫でた。その少年も初めは照れ臭そうにしていたが、すぐに男の手を受け入れる。


「深くは語れないけど……、この先をずっと進んだ所にスラム街があってね。この子たちは元はそこに住んでいたんだ……」


 飛鳥はそれを聞きすぐに察した。この三人の子供たちはそこで傷を負い、この男性が保護をしたのだと。飛鳥は「もう分かりました。すみません」と答えると、男も助かった、と言わんばかりに肩を落とす。


 そして再び袖を引かれた男性は、浅いお辞儀をすると子供達とともに去って行った。飛鳥は彼らが離れて行く中、振り返りこっちをじっと眺めてくる子供姿が、かつて祖父に手を引かれる自分の姿と重なった。そして、飛鳥は彼の言った言葉が今なお頭の中で反響する。偽善だから助けないのか、と。


「アスカ……」

「あぁ、ごめん。行こうか……」

「んーん、違う。いや、違わないけど……」


 シェリアは言いよどみ、言葉を濁しながら言った。


「何か、アスカ……変だった」


 飛鳥は肩を落とし頭を掻いた。


「ん~、言葉にはしにくいんだけどな……。何かあの人、死んだじいちゃんみたいな感じがしたんだよ。すごく、懐かしい感じが……」


 シェリアは首を傾げ飛鳥を見る。


「変だよな、声はもちろんだけど、じいちゃんも歳とってたから体格だって全く違ったのに……。シェリアはあの人のこと、どう思った?」

「んーん、私は何も感じなかったよ。普通の人だと思う」

「そうか……」


 飛鳥はシェリアの言葉に軽く返すと、首を勢いよく振り一度そのことを頭から消す。


 今は、何よりも情報が必要だ。日本から来た飛鳥と森に篭りっぱなしだったシェリア。知らないことが多すぎる二人は、突然訪れたイレギュラーに構っている時間はない。


 飛鳥とシェリアは地図に従い見慣れぬ道を再び進みだした。


「地図だとこの辺なんだよな。シェリア、それっぽいの見えるか?」

「んーん、よく分かんない」

「だよな」


 地図に記された通りに来たつもりだがそれらしい建物を見つけることが出来ず、二人は同じところを行ったり来たりしていた。


それと同時に、飛鳥の脳裏には『キセレ』の名を出した時に受付嬢が一瞬見せた表情が過っていた。飛鳥はあの軽蔑の眼差しに違和感を覚えながらも、他に頼るあてなく地図を受け取ったのだ。飛鳥は過去のトラウマが甦るようだった。人を信じ、人に裏切られた記憶が……。


 と、その時、


 ぐぅ〜


 腹の音が聞こえた。飛鳥は自身のものではないその音の主であるシェリアに目を向けると、彼女は何も言わずただ上目遣いで飛鳥を見つめてくるだけだった。


 飛鳥はこの目にめっぽう弱い。もしこれを素で行なっているのだとしたら、シェリアは近いうちに大勢の男を勘違いスパイラルに引きずり込むことだろう。


「仕方ないか、一度中断して……」

「うちに何か御用でしょうか」

「うおっほぉう⁉︎」


 突然背後から声が聞こえ、飛鳥は何ともマヌケな声が出してしまった。我に返った飛鳥は恥ずかしがりながらもそれを誤魔化すようにクールを気取るが、シェリアにはお見通しなようで「ぷぷっ」と可愛らしく笑う。


 飛鳥は何事もなかったかのように声のした方へ振り向いた。

 そこには黒く長い髪を携えた美しい女性が立っていた。服装はこの街でよく見かけた街衣装で特に何とも思わないが、その黒い髪の奥から覗く黒い瞳、そしてその顔つきはどこか日本人を思わせるような風貌をしていた。


「あの、あなたは……?」

「私は『情報屋キセレ』の元で従業員をやっている者です。うちに何か御用なのでは?」


 ぐぅ〜


「はい、そうです」


 飛鳥はその音を無視し、シェリアの方を横目でチラリと見る。

 シェリアは頬を膨らまし顔を赤くしており、その相貌につい癒されてしまう。


「……少し我慢な」

「豪華なのを所望する」




 —————




 あの女性は一体どこから現れたのか。その答えはすぐにわかった。二人がいた場所の三メートルほど離れた場所の路地。そこに店とを繋ぐ空間転移法術を設置していたとのことだ。


 そしてその陣が設置されていた場所とは、まるでゴミ箱を思わせるような自由に蓋を開封できる箱の中。店に転移する際、その狭い箱の中に二人の女性に挟まれるように入り、両脇から伝わる女性特有の柔らかさについ身動いでしまう。


 この女性は主にこの転移法術を用い、客の入退店時の送迎を行なっているらしい。


 転移先は地面の下なのだろうか。少しひんやりした空気が漂う中、その空間を照らす二本の松明のおかげでほんのり温かさも感じる。


「転移先って暗闇が定番だったりするのか?」

「ん、ここの人とは話が合いそう」

「そんなことで仲良くなられても俺、素直に喜べねーよ……」


 淡々と返すシェリアに呆れつつも飛鳥は送迎の女性を見るとこくりと頷かれた。


 二本の松明の間にある木の扉。女性は無言ながらもそこに入れと訴えかけてくる。


 飛鳥はシェリアと顔を見合わせると、ドアノブに手をかける。立て付けの悪いドアから鈍い音が鳴り暗い空間に響く。


 部屋の奥は薄暗くはあるが全く見えないわけではなくその不気味な雰囲気が飛鳥の歩みを止めさせるのには十分だった。


 その時、そのさらに奥にある暖簾が動いた。


「えっ、なに? 今日人が来るなんて聞いてないんだけど……」


 暖簾がめくられ一人の男が現われた。見た目は薄暗くてはっきりとはしないが三十代半ばといったところか。だるそうな声を発し、短髪の頭をガリガリと掻く。体はそこまで大きくなくシェリアと同じくらい。だが服の上からでも、更にはこの薄暗い中でもその男の引き締まった体が見て取れる。恐らくこの男が『キセレ』で間違い無いのだろうか。


 目の前の男は後ろに控える女性を方を見る。その目は「何してんの?」と、訴えかけるのが飛鳥でも分かった。


「お暇そうにしておられたのでお連れしました」


 この場合の『お暇そうに』は店先で行ったり来たりを繰り返していた飛鳥たちもそうだが、この男にも含まれる。


「勝手に仕事取って来るとか優秀にもほどがあるよね……」


 男は予定には無くとも一応は客人である飛鳥たちの前でさえ億劫な態度を改めることもせず、欠伸をしながら頭をガリガリと掻く。


「まぁ、でも……」


 キセレが首を捻るように振り向く。ねっとりと、飛鳥やシェリアの全身を舐め回すように、そして広角を釣り上げほくそ笑みながら。


「今回だけは良しとしよう。僕は『キセレ』。……ようこそ、賢者の見た目をした魔女よ」


 バタンッ!と扉の閉まる音がその薄暗い空間に響き渡った。

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