ナウラの裏側

「すみません。身分証の発行をお願いしたいのですが……」

「はい身分証ですね。では……こちらの用紙に必要事項を記入してください」


 飛鳥はすこし呆気にとられた。それは受付のお姉さんがすこぶる美人だったから……ではなく、必要事項の記入というなんとも甘々なシステムだったからだ。


「えっ、書くだけですか?」

「……? はい、そうですが……」

「あの、自分で言うのも何なのですが、どこの誰だかわからない人間に、必要事項の記入だけで身分証を与えられるのはどうなのかと思いまして……」

「あぁ、なるほど!」


 受付の女性は手をポンと叩き笑顔で答えてくれた。


「この街『ナウラ』の検問、ものすごく厳しかったことないですか?」


 何気にこの街の名称を始めて聞いた。そして飛鳥は、ほとんど顔パスで街に入ったため厳しかったかと言われると否定せざるを得ない。だが、この自信満々な受付嬢の顔を立てるために「はい」と肯定の意を示す。


「ですよね! この街の検問はこの国、『クライラット国』において……」

「ぐぇっ!」

「えぇっ⁉︎」


 受付嬢の説明中、突如襲った締め付けにより飛鳥は素っ頓狂な声を上げてしまう。そして、受付嬢もまた飛鳥の突然の声に動転してしまった。その締め付けはもちろんシェリアによるものだ。


「ど、どうされました⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎」


 受付嬢はおどおどしながら飛鳥に問いかける。


「……は、はい。大丈夫です。おいシェリア、いきなりなんだよ……」

「…………」


 飛鳥の呼び掛けには全く答えずシェリアは未だに飛鳥の腰に手を回し、背中に顔を埋める。


「はぁ……」


 そんな様子に飛鳥はつい大きめの溜息が出る。


「中断させてしまってすみません。こちらは大丈夫なので続きをお願いしてもいいですか?」


 飛鳥は突然のシェリアの締め付けに関して問い質したいところだが、後ろにずらっと並ぶ列を見ると、それをするのは今ではないと受付嬢に説明の続きを要求する。


「あぁ、はい。そうですね!」


 と、飛鳥に言われ我を取り戻した受付嬢が答えた。


「コホン。では続きを……。この街の検問はこの国で一番厳しいと言われ、この街に身分証なく入れるということは、その時点でその人の危険度は皆無と証明されたようなものなのです。まぁもちろん例外はございますが!」


 最初は平静を保ちながら落ち着いた雰囲気を出していたが、次第に調子を取り戻して着たのか受付嬢は鼻からふんすと空気を出しドヤ顔をする。


(すみません。偽装してしまいました……)


 そして、飛鳥は自信に溢れる受付嬢に申し訳ない気持ちになった。


「だから私たちはこのギルドで身分証発行依頼が来た場合、笑顔で対応しております!」

「は、はい。ご苦労様です……」


 身を乗り出すように熱く語る女性に飛鳥は少したじろいだが、その説明に納得したのか飛鳥はペンを手に取った。


「……なあシェリア」

「………」


 返事はない。


「なあってば」

「………」


 ただの屍のようだ。


 飛鳥はこの国の文字を知らない。シェリアが掛けてくれた『言語共有リズリーク』により会話は可能になったが、読み書きに関してはこの法術は関与していなかったことに、この時初めて気づいた。故に飛鳥は自身の代わりにシェリアに書いてもらおうと思ったのだ。だが、それも全くの無駄に終わる。


 飛鳥はしがみ付き、無視を決め込むシェリアに再び深い溜息をつき、


「すみません。代筆をお願いしてもいいですか?」


 と、代わりに受付嬢に依頼することにした。


「はい! 承ります!」


 後ろは完全なる沈黙。片や、元気一杯な二人に挟まれて飛鳥は頭が痛くなってきた。


 名前は飛鳥とシェリア。シェリアの歳はよく分からなかったのでとりあえず飛鳥と同じ十八歳。出身もまた不明なので共に『日本』とお願いした。


 元気百倍受付嬢はその『ニホン』という聞きなれぬ名称に首を傾げたが、この世界では他に見ることのないであろう服をアピールしながら「遠い所」と説明するとすぐに納得してくれた。どれだけ検問を信用しているのだろうか。


「はい。これで完了ですね。登録料は……今お持ちでないのなら五日間、事前に連絡を下されば十日間までお待ちします。登録料は共通銀貨十五枚となります」


 飛鳥は『共通銀貨』と言う単語を聞き焦った。登録料が掛かるのは想像していた。だが、それは何とかして稼げばいいとあまり気にしてはいなかった。しかし共通銀貨と言われれば話は別である。

 飛鳥は「この国のお金を持っていない、相場がわからない」などの言い訳で通貨の説明を要求するつもりでいた。しかし『共通』と言われればその名の通り、全てとは言わないがある程度の国で使われていると予想できる。


 流石にそれを知らないと答えることは出来ないので飛鳥は「はい、わかりました」と答えるしかなかった。


「ご一緒に冒険者登録はなさいますか?」


 とりあえずは金。通貨は使いながら覚えることにして、とりあえず金。世の中金である。


 聞くと、この異世界で金銭を手っ取り早く稼ぐなら冒険者になるのが最もいいらしい。飛鳥は受付嬢の説明を聞き二つ返事で「はい、お願いします」と答えた。


「それでは登録内容は先程と同じで。……ではこちらの針で冒険者ライセンスと保管用の二箇所に血判をお願いします。消毒はすでに済ませております。傷口をこちらに添えていただければ回復法術が発動しすぐに傷は塞がります」


 と言いながら、受付嬢は二本の針を布の上に置き、台の下から固定台を、そしてその上に厚さ三センチ程の白の輪っかを乗せた。


 すると回復法術の道具と聞き、ずっとだんまりを決め込んでいたシェリアがついにモーションを起こす。


「これ、法術が使えるの?」

「えっ? えぇ、はい。法術の術式が内部に綴られており法術師以外の方でも使用できるようになっております」

「ふむ、便利」


 急に動き出したシェリアに受付嬢はたじろぎつつもはっきりと受け答えをする。


「シェリア、この道具を使うなら針で血判を押してからな」

「ん」


 引っ付いて離れないシェリアをようやく剥がすことに成功し、飛鳥は思わず受付嬢にサムズアップする。

 受付嬢は突然の飛鳥の行動に疑問を覚えるも、飛鳥に同じく親指を返した。


 お互い無事に登録が完了し飛鳥は思い出すように聞く。


「すみません、ついでに『キセレ』と言う情報屋がどこにいるか教えてもらえませ……」


 飛鳥が言い切る前に突然、ギルド内がどよめき始めた。


「キセレってあのキセレか?」

「昨日帰ってきたって聞いたしそうなんじゃねぇの?」

「それにしてもキセレか……」


 口々にキセレの名を出すもの、よく見ると頭を抱えている者もいた。


「あ、あのキセレってあのキセレですか?」

「はい、検問で紹介してくれました」


 受付嬢は驚嘆の表情を見せながら飛鳥に尋ね、飛鳥は検問の兵士に『キセレ』の名を聞いたことを話すと、


(ん? なんだ、今……)


 受付嬢は一瞬、軽蔑するような眼差しを向けてきたことを飛鳥は見逃さなかった。


「はい、キセレですね。地図をお書きします」

「……すみません。ありがとうございます」


 すぐに受付嬢はいつものニコニコ顔に戻り簡単な地図を描き始めた。だが、飛鳥は受付嬢のあの顔が頭から離れなかった。そして、出来上がった地図を受け取った。


「ありがとうございます。それでは」

「はい、気をつけて」


 その「気をつけて」の正しい意味を飛鳥はこの時、知る由もなかった。




 —————




 回復法術の道具により晴れて飛鳥の背中から卒業し、袖を掴むまでに修まったシェリアは眼に映るものすべてを存分に堪能していた。


 その美しい姿から放たれる幼げな雰囲気は通行人の視線を我が物にし、シェリアは自分の好奇心でそれらをないものとして扱う。


 地図の通り進むと通行人もその数を減らし、何か雰囲気のある場所へと続いていた。シェリアのテンションもその空気と同調するように落ち着き、袖からまた背中へと戻ってしまった。


「アスカ、あれ……」

「あぁ、あれは……俺たちと同じだな」


 シェリアの指差す先。ややせ細った体、砂にまみれたか頬や髪、虚ろなその瞳。まだ十にも満たない様な子供が何かを訴えかけるようにこちらを見てくる。


「同じって、あの子たちは……」

「親を亡くしたのか、それとも捨てられたのかは分からないけど……」


 飛鳥はそういうとシェリアがその子供に近付こうとする。だが飛鳥はそんなシェリアの手を反射的に掴んだ。


「シェリア、俺たちじゃ……何も出来ない、してやれない」


 飛鳥はシェリアの顔を自分の方に向ける。


「きっとあんな子供達は大勢いる。一人を助けたら今度は僕も、僕もと他の子供達が駆け寄ってくる。それに手を差し伸べたのなら最後まで責任を持たなきゃいけなくなる」


 飛鳥は子供たちの方を向きながらシェリアに諭すように話す。


「でも、アスカは……私を助けてくれたよ」


 目の淵に薄っすらと涙を浮かべるシェリアに飛鳥は言葉が出なくなってしまった。シェリアを助けたのは悪く言ってしまえば運が良かったから。飛鳥の部屋に紛れ込み、その場に飛鳥がいた。その似た、そしてもっと酷い環境で生きてきたシェリアに同情した。最初はただそれだけだったはずだ。


 親に捨てられたという同じ境遇の子供たち。出来ることなら飛鳥も救ってあげたい。飛鳥はシェリアの肩に両手を乗せる。


「シェリア、今の俺たちには何もできない。いくら魔術や法術が使えたって、それは子供を助けることとは全く別だ。一人救うと言うことはその全てを助けなくちゃいけなくなる。一度手を差し伸べたら最後まで面倒を見なきゃいけない。ほんのひと時だけ、ほんの数人だけを救うなんて、そんなのは……」


「偽善……だとでも言うのかい?」


 突然背後から声が聞こえた。どこか懐かしい、そう……まるで祖父を思い出させるようなそんな優しい声だった。そして声が聞こえると同時に桃の様な香りが飛鳥の鼻に届いた。


 飛鳥が振り向くと、そこには茶色の長い髪を一つにまとめ右肩から垂らした男性が三人の子供を連れて立っていた。

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