検問
「元気出して」
シェリアの優しい慰めは今だけは惨めに感じられる。
二人は真っ赤に燃える焚き火を囲み夕食を終えたところだった。
「くそぉ〜、こんなにしょっぱい夕食は初めてだ。なんでだぁ〜。ばかやろぉ〜」
シェリアはこれはどうしようもない、と諦めた。
光源は焚き火しかなくあたりを完全に把握できるわけではないがシェリアは今見える物を存分に楽しんでいた。
生まれてからずっと家の中に押し込められ、気づくと森の中。
確かに滅んではいたがこれがシェリアにとっての初めての外の世界である。
そんなシェリアを感じ取り飛鳥は楽しんでいる彼女の側でいつまでも泣いているわけにもいかず、無理やり涙を引っ込めた。
(無人だったけどシェリアが楽しんでるならそれはそれで良いか……)
涙を拭い飛鳥は寝そべると夜空に浮かぶ星空を眺める。飛鳥はこの星空が嫌いではない。森を出てから夜になるとよくこうして空を眺める。
日本の星は光害、つまり夜になっても街灯や街を照らす人工光によってその大半を見ることができない。星を眺めることは飛鳥にとって新鮮なことなのだ。
今見える星は飛鳥の知識にない星々ではあるが、夜空一面に散りばめられたそれは飛鳥の荒んだ心を癒すのには充分だった。
どれだけ眺めていたかわからないがふと横を向くと、シェリアが飛鳥の側で静かな寝息をたてていた。
「いつの間に近くに来てたんだよ」
気配を全く感じさせないシェリアに少し驚きを見せたが、飛鳥は音を立てぬようリュックから一枚のタオルケットを取り出すと、自分、そしてシェリアにかける。
そしてすぐに飛鳥も深い眠りに入るのだった。
—————
「……て、…………スカ、……きて」
声が聞こえる。自分を呼ぶ声が聞こえるような気がする。
「アスカ、起きて!」
「んあ、シェリア? こんな朝はやくからなんだよ」
石畳の上で寝ていたせいか腰が痛い。だが、そんなことは御構い無しにシェリアは飛鳥の体を揺すった。
「いいから」
シェリアは寝起きでまだ頭がはっきりしない飛鳥の腕を無理矢理引く。シェリアの力にどうあがいても勝てない飛鳥は、成すすべもなく引こずられるようについて行った。
「あれ見て」
昨日、今いる遺跡を最初に見つけた時と状況が被った。飛鳥は嫌なことを思い出したような顔をしたままシェリアの指差す先を見る。
丘の上に位置する遺跡から少し離れた位置を見下ろすと、そこには飛鳥が求め続けた人の手が加えられた建物があった。
それも滅ぶこともなく今なお人の存在が感じられる雰囲気がある。連なる建物、広場、そしてその奥には川も流れている。そして、かなり高い壁でその大きめの街をぐるっと囲っていた。
「お、おいあれって。今度こそ、か……?」
「ん。人の気配がする。間違いない」
「でかした!」
「ん」
飛鳥とシェリアはハイタッチをし、すぐに朝食を取ると移動の準備に取り掛かる。だが、飛鳥の心中は高鳴りつつも何処か平静さを保っていた。
(人がいるのは確定したけど、服とか他にも色々大丈夫かな……)
シェリアが初めて日本の飛鳥の部屋にきた時、彼女の身分を証明することができないと判断した飛鳥だったが、今この異世界において飛鳥本人がその状況に陥っていることに気づく。
黙々と片付けを進めるシェリアも飛鳥と同様に、身分を証明する物は持っていないだろう。おそらく町に入るのにも検問が必要で、出来ることなら何の諍いもなく済ませたい。
(だからっておおっぴらに魔女や賢者アピールする訳にもいかないだろうし……)
この世界の最強の一角である魔女と賢者。その二人が揃ったとなれば国一つ容易に動かすことができる。飛鳥はその事実に気づいてはいないが、魔女や賢者であることをひけらかすことは得策ではないことは薄々感じていた。
「でも、試す価値はありそうだ」
「ん? どうしたの」
飛鳥の突然の発言にシェリアが顔を上げる。
「いや、少し試してみたいことがあってさ」
「魔術?」
シェリアの問いに飛鳥は横に首を振る。
「そんな難しいことじゃないさ。とりあえずシェリアはいつも通りでお願いね」
そう言うと、飛鳥はリュックからパーカーを取り出し、それに腕を通した。
—————
飛鳥とシェリアは遺跡のある丘を下り街の検問のための列に並んでいる。昨夜から並んでいたのかその列はそれなりに長く、また、すぐに飛鳥たちの後ろにも新たに人が並んだ。
飛鳥は予めシェリアに「俺の後ろで一歩下がって大人しくしてて」と伝えていた。
(異世界物のアニメだと森暮らしが長いって理由が多いけど、普通に考えたらそれだけで通れるとか無いよな。検問ガバガバすぎる)
飛鳥も検問の抜け方を考えた時『森に引き篭もっていた』を使おうかと思ったがそれだけで突破できるとは到底思えず、そこに一工夫を加えた。そう、引き篭もりでもいい理由を。
「次」
検問に呼ばれ飛鳥は前に出る。そしてその後ろにシェリアが予め伝えていたように、従者さながらの佇まいで控えている……はずだったのだが、ここで誤算が生まれる。
かつて慕っていた兄に裏切られた人間不信に陥っていたシェリアが、前にも後ろにも人がいるこの状況で、緊張が最高潮に登ってしまったのだ。シェリアは飛鳥の袖を掴み背中に顔を埋める。
そして、その飛鳥は完全に顔を隠すようにフードを深く被っている。
「身分証は?」
「すみません、持ってないんです……」
「何?」
検問は身分証もなく、顔を隠すその少年をじっと見た。見たことのない格好をし、顔を隠す目の前の少年の顔を拝もうと、フードの中を覗き込む。だがそれは少年が顔を背けることで叶わなかった。検問の兵士は気を取り直し問う。
「無いってどう言うこと?」
「それがずっと森に篭っていたもので、紛失してしまって。……この子も」
『この子』と自分に焦点を当てられシェリアが強張るのを飛鳥は背中越しに感じた。
「森に篭って身分証もなく、顔すら見せれない……ねぇ。その後ろにも顔、というか姿すらまともに見せれない女の子。君、今自分がどれだけ怪しい存在かってわかってる?」
「はい、自分でも相当なもんだと思ってます……」
飛鳥は冷や汗が止まらない。そこまで涼しいわけでも無いのに長袖を着用し、顔まで隠す。背中には今もなおシェリアが張り付き、さらにこの異常事態。汗が吹き出して止まらないのだ。
(しゃーない。想定とは違うけどこのまま押し切るか……)
飛鳥は先程まで顔を見せないように振舞っていたが、今度はあえて検問の兵士にのみ顔が見えるよう体制を変えた。
本来はシェリアを従者のように控えさせ、自分がそれなりの立場の者だと相手に植え付けるところから始めたかった。だが、それは失敗に終わる。シェリアの人見知りを計算に入れてなかった飛鳥の落ち度であった。
飛鳥は検問だけに見えるようにフードをあげ黒い髪とその青い瞳を見せつける。
一瞬、兵士は顎に手を当て考えるような動きをとるが、その顔が見る見る青くなるのがはっきりと分かった。そして、その変化を飛鳥は見逃さなかった。
「察してくれると助かります」
飛鳥はそう答えた。
黒い髪、そして青い瞳はこの世界では賢者の象徴である。
最強の称号を欲しいがままにした法術師。その人物が、シェリアがずっと『賢者の神杖』を持っていたことから考えると少なくとも十八年ぶりに現れたことになるのだ。
そして、『察してくれ』という深く語らない、語れないその姿勢は、さらに何らかの事態が起こった、もしくは起こりうることを兵士に訴えかける。
これこそ、飛鳥が検問を突破するための一工夫である。
「あ、あの、あなたは……?」
検問は恐る恐る口を開いた。
「皆さんにご迷惑をおかけするつもりはありません。もし身分証等を発行する場所があるのなら、すぐにそちらに参ります」
飛鳥はゆっくり首を振り答える。
「でしたらどこでもいいのでギルドの方へ。そこで身分証発行が可能です。……滞在費は、無いですよね?」
「すみません。手に入り次第すぐにお支払い致します。……あっ! あとどこか情報屋か何かあれば教えていただけませんか?」
検問の男は少し考えると一人の人物の名を教えてくれた。
「でしたら『キセレ』という者をお尋ねください。昨日この街に戻ってきた指折りの情報屋です」
飛鳥はお辞儀をし町に入ることに成功した。
その飛鳥とその背中から離れないシェリアを検問が見送った。
「隊長も人が悪いですね。まさかあの『キセレ』を紹介するなんて。初めてこの目で『無言の粛清』送りにされる人を見ましたよ」
隊長と呼ばれた検問の後ろに控えていた兵士が声をかける。
「そ、そうか。お前はあいつの顔を見ていなかったのか。……いや、あれでいいんだ。そこらの胡散臭い情報屋よりずっとマシだ。……情報は、な」
「ん? その言い分からすると、さっきの二人を不審者認定してないってことですか?」
「普通ならそう思うかもしれないがな。……『キセレ』も彼にはそうそう下手な真似はできんだろう」
「げっ⁉︎ そんなにっすか。人は見た目じゃ判断できないっすね〜」
「あぁ、本当にな」
隊長と呼ばれた男は振り向き門の中を見るがそこにはもうあの少年少女の姿はなく、普段よく見る景色だけが目に入るのであった。
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