ナウラの教会
「ここだな」
飛鳥は資料にあった地図に従い教会の訪れていた。流石は国が運営する教会だ。見た目はそこいらの建築物とは比べ物にならないほどしっかりした作りで、ちょっとやそっとじゃビクともしないだろう。
飛鳥は眼の前の立派な建物に驚きつつも遠くの空を眺めた。日はまだ高いがすでに落ち始めており、このままいけば気づかぬうちにあたりは闇に包まれることになるだろう。
「今日はとりあえず、暗くなる前にお暇するか」
「……ん」
どこかぎこちなく返事を返したシェリアに若干違和感を覚えたものの、飛鳥は正面に取り付けられた扉を三回叩く。
だが、その扉の向こうからは全く人の気配を感じなかった。飛鳥は首をひねりもう一度叩く。すると今度は扉の奥からパタパタと足音が近づいてきた。
「うがっ……⁉︎」
勢いよく開けられた扉は飛鳥の鼻の頭に直撃し、あまりの激痛についしゃがみこんでしまう。
「大丈夫? 回復法術いる?」
「い、いや……。そこまでじゃない、ありがと」
うずくまる飛鳥をシェリアは手を膝に当て見下ろした。
シェリアは串焼きの件以降、時々飛鳥の袖を掴む時が在るものの、完全に飛鳥の背から自立した。嬉しい反面、少し寂しく思う飛鳥は完全に親の立場である。
「もう、いけませんよ! いつも言っているでしょ。ドアはゆっくり開けましょうって」
「ごめんなさい、マザー」
「謝るのは私にではありませんよ」
扉の奥から聞こえた声はおそらく扉を開けたであろう六、七歳ほどの少年を叱りつけた。
「お兄さん、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。お兄さんは丈夫だからね」
もちろんやせ我慢なのだが、子供の手前見栄を張るのも大切だ。飛鳥はこの子供と同じくらいの弟妹がいる。故にその扱いにも長けているのだ。
「すみません。お怪我は本当に大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫です。お気になさらず」
マザーと呼ばれた女性。黒を主とした修道服を身に纏い、その被ったベールの奥から見える明るい灰色の髪は修道服の黒とコントラストを描く。長いまつ毛と黄緑色の瞳がその美しい姿をさらに魅力の渦へと落とし、見る者すべてを魅了することだろう。
「すみません。突然なのですが少し見学させてもらってもいいですか?」
「……構いませんが、どうしてまた急に」
修道女は少し口ごもりながら尋ねた。街の人々は親を亡くし、または親に捨てられ孤立無援となった子供たちに同情はするものの、自分たちではどうすることも出来ないと割り切り教会と過度な接触を取る者はほとんどいなかった。なので、突然見学させてほしいと現われた飛鳥の事が怪しくて仕方がなかったのだ。
当の飛鳥はそんなナウラの事情など知る由もないが、目の前の修道女が自分に対し、あまり良い印象を抱いていないことに気付いた。飛鳥は仕方ないと、溜息をついた。
「俺たちは今日、初めてこの街に来ました。ずっと引きこもり、初めて訪れたのがこの街です。……そこで見た表の顔は誰もが笑い合い、手を取り合う素晴らしい街だと思います」
ですが……、
「裏の顔、そこにまさか俺たちと同じような子供がいるとは思いませんでした……」
その言葉に修道女は口を噤んだ。
飛鳥は知っている。相手の警戒を解く最も効率的なこと、それは相手の同情を誘うことだと。しかも今回の場合『同じように』と、修道女が預かる子供達と同じ境遇を演出することでそれを加速させる。
この修道女がまともな感性を持っているならば……多少の話は聞いてもらえるはずだ。だが、修道女は俯いたきりなんの反応もない。
そのあまりにも微動だにしない彼女を見て飛鳥は、
(しくじったか……?)
と、思うほどである。出来るだけしんみりとした雰囲気を出したつもりが逆に怪しまれてしまったのか飛鳥には分からないが、この状況がよくない方向へ向かっている気がしてならない。
「ふ、……ぅっ、つ、つ」
「ん? えっ……?」
修道女から細かな嗚咽が漏れた。やっと発した声に心の中で喚起しつつも、飛鳥は冷静に修道女が何を口にしたのか耳を澄ませた。そして……、
「つ、つ、づづ辛がっだでずねぇ!」
修道女は大声を上げながら泣き出してしまった。予想外の反応に飛鳥も、そしてシェリアもたじろいでしまう。
「親どばなればなれになっでじまっで本当に辛がっでじょうぅぅ! 今まで大変だっだど、思いまずが! ごれがらいいごどだぐざん、ありまず! 私がほじょうじまずぅ!」
飛鳥の言葉は修道女の心に深く突き刺さる。飛鳥とシェリアに感情移入し、修道女の感情を爆発させてしまったようだ。
修道女の反応は予想外であったが最初の掴みは充分であり、そのまま強引に教会内に案内されるのであった。
—————
「わぁ、お兄ちゃんだれ~?」
「マザー、この人はー?」
「これ、魔法の杖だろ? 俺にも触らせて!」
「髪金色~、長~い!」
飛鳥とシェリアは教会内に通され多くの子供達の注目の的になっていた。
子供相手には人見知りが発動しないのか、それともすでにそれなりに克服したのか不明だが、このてんやわんやな状況でうまく対処できているあたり心配はいらないだろう。
「あ、あの、これ……えーと、あの! なんとお呼びすればいいでしょうか⁉︎」
飛鳥は元気あふれる子供たちに右へ、そして左、前、後ろへと引かれ足元がおぼつかない。
「こ、こら! あなた達、お客様に失礼ですよ。あ、私、ハーマイネと申します。あ、こら! 引っ張らないで!」
「いえいえ、これは別に構わないので、いててて! 髪はダメだ! ハゲる!」
「はげーはげー!」
「こら! ダメですよ!」
飛鳥は子供達と戯れながら教会内を見渡す。どこもおかしな様子は見受けられない。子供達は笑顔に溢れ、修道女のハーマイネはとても温厚で慕われる要素しか備えていない。
確かに子供達は普通より痩せ細っているが百パーセント不幸かと聞かれればそれはノーであると断言できる。
(これだけじゃわからない、か)
飛鳥は今日は話を聞きに来たわけではなく、教会内の雰囲気や子供達の顔を見に来ただけだ。
この教会が薬物製造に加担しているか分かるわけもない。ジザルの話では教会が国への報告時に保護していた孤児のための金銭は充分に払われているという。この痩せ細った身体を見る限り、何に使われているか分からないが少なくとも何か別のものに流れていることは分かった。それが薬物へなのか、それともただ単に教会内の誰かが個人的に横領しているのか。
飛鳥はいろいろと考えたが今すぐには答えが出ない。
そして、子供たちの無尽蔵に溢れるスタミナを前に飛鳥は翻弄され続け、気づけば外は闇に包まれていた。いつまでも長居するわけにはいかず子供達とハーマイネに挨拶をする。
「えーっ? もう帰っちゃうの⁉︎」
「まだ遊ぶー!」
「金髪~!」
シェリアも子供達と仲良くなったようで何よりだ。
「こらこら、お客様がお帰りですよ。ほら道を開けて。……本当に帰ってしまわれるのですか? 泊まっていってもよろしいのですよ?」
「いえ、そこまでお世話になるわけにはいきません。また来ますのでその時はよろしくお願いします」
ハーマイネは「お待ちしております」と優しげに言う。
大勢の子供に見送られ飛鳥とシェリアは教会を後にした。
「どうだった?」
「ん。楽しかった。子供は可愛い」
「だよな……、うちにも今年七歳になる双子のちびっ子がいてな。これがまた可愛いんだよ」
「アスカの家……?」
「あぁ、シェリアが迷い込んだところじゃなくて実家だな」
シェリアは一瞬悩むような表情をするがすぐにいつものぼけっとした顔に戻る。
「私も行ってみたい。アスカの家族に会ってみたい」
「あぁ、そうだな。時間があれば行こうか」
日が完全に落ち、あたりには建物の隙間から漏れるわずかな光しか無い。日本の歩道のように街灯に照らされることもなく場所によってはほとんど真っ暗な空間も存在する。
数メートル先でさえ見えないが飛鳥はそれを苦とは思わない。肌を撫でる風が心地いい。家の中から漏れる家族の話し声になぜか自分が心が満たされる。
シェリアも同様なのか、顔は見えないがシェリアの安心しきった感情が見えるような気がする。
「さぁ、せっかく金があるんだ。どこか泊まれるところを探そう。宿場町もそんなに遠くなさそうだし」
「ご飯が美味しいところ……」
「はいはい。シェリアはそればっかりだな」
「ん! ご飯は大事!」
そう何気ない会話に飛鳥、そしてシェリアも幸福に感じる。
あたりは暗闇。数歩進むだけで二人の姿は見えなくなってしまった。
—————
「うーむ」
キセレは今、『情報屋キセレ』本店のあるカウリア帝国を訪れていた。部屋の四隅と机の上に置かれたロウソクだけが光源で、その部屋は薄暗さに包まれている。
その部屋の中心に設置されたテーブルの上には賢者についての情報が二百ほど置かれていた。二百という膨大な書類の量だがこれはほんの一部にすぎない。キセレはひとまず無造作に選んだ紙の束に目を通していた。
「珍しいですね。店長が自分から進んで依頼に取り組むなんて……」
「ん? まぁね。……形はどうあれ飛鳥くんと賢者ちゃんには僕の仕事押し付けちゃったからね。せめて彼の依頼が終わるまでには一つは確定させたいよね」
キセレはヘレナに背を向けたままそう答える。ヘレナは普段の生活からは想像もできないキセレの熱心さに「いつもそうやって働いてくれ」と、言わんばかりの溜息をついた。
「半分貸してください。細かく選別はできませんが、店長一人で行うよりマシでしょう」
「なに、どったの? 今日は乱暴だと思ったら妙に優しいね。なんかいいことでも会った?」
「な、なななっ、何でもっありません!」
少々取り乱したがその声は次第に落ち着いていった。
だが、キセレの背後で資料を見続けるヘレナの顔は、その薄暗さからでもはっきりわかるほど赤く染め上がっていた。だが、背を向けるキセレはそんなヘレナの心境を察することなどあるはずがなかった。
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