挑論文
ノーバディ
年功序列と実力主義
時代が昭和から平成に変わり、年功序列が崩壊し実力主義の時代へと移っていった。
これは日本という国にとって良かったのだろうか?
日本は神話の時代より農耕民族であった。農耕民族は村社会である。農作業は狩猟や牧畜と違い家族単位では賄いきれない。村として水を分け合い、土地を分け合い、作業を分け合う事で生活をしてきた。人々にとって世界とはその村の事であり、村こそが世界であった。人々はその村から放り出されることを何より恐れた。
村八分、村で相手にされなくなる事は世界の終わりを意味していた。
そして昭和。会社は年功序列の時代を迎えていた。一度会社という村に入った者は年功序列という流れに守られ、ある程度の年齢になれば相応の給料を貰え生活が出来るという安心感の中で生活していた。
会社という村を守り支えていく為に表に立って外で戦う者、中で守る者、それを陰で支える者、様々な形で会社を守っていた。
数字として目に見える成果は出さなくとも、存在する事を許されていた。
しかし平成の世。時代は年功序列から実力主義へと移り変わっていった。
実力のない者、成果を残せない者は存在を許されない時代へと変わって行ったのだ。
元々狩猟民族や牧畜民族の者は家族単位で生きており、その小さな社会では方向の変換は容易であった。つまり一つの会社から放り出されたとしてもすぐ次の会社を探せば良かったし、会社もすぐに受け入れる事が出来た。
しかし農耕民族であった日本はそうはいかない。
先に述べたように村社会である会社でのドロップアウトは世界の終わりに等しいのである。
一つの村に適応出来なかった者が次の村に適応出来るような仕組みがこの社会にはまだ出来上がっていないのである。
結果、実力のない者は振り落とされないよう会社にしがみつく。振り落とされない為に周りを蹴落としていこうとする。
今の社会の閉塞感は年功序列から実力主義への転換期における体質改善の過渡期による物なのである。
この息詰まるような閉塞感を脱却する為にはドロップアウトした者への救済措置、すぐにリベンジが出来る体制を早急に整える必要があると私は考える。
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