第9話 「魔王様、魔女と会う」

「ウェルカーム! 歓迎しましょう!!」



 扉を開けると、パーン! とクラッカーが鳴らされ、色鮮やかな紙吹雪が宙を舞い……ゆっくりと落ちていく。



「「…………」」



 私は無言。

 アテナも眠たそうに半眼となっており。

 唯一、聴覚が鋭いウルだけは、驚きで硬直していた。



「……あ、あれ? あれれ? 私なりに歓迎の意を示したつもりだったんですけど……」



 フードを目深にかぶっているために顔が見えないものの、その声から女性であることだけはわかった。

 フードの女性は私たちの反応が予想外だったようで、役目を終えたクラッカーを片手に、所在なさげにオロオロとするばかり。



「……歓迎、してくれたのか?」



 どうにか声を出すと、フードの女性は見えている口元を笑みに形どった。



「はい。こんな場所までの人間が来ることはないので、私なりに精一杯の歓迎をしたつもりだったんですけど……」

「とりあえず。招かれざる客でないのでしたら、お茶の御もてなし等を要求したいのですが?」



 淡々と厚かましい要求をするアテナにフードの女性は気を悪くした様子もなく、むしろ「そうですね!」と手を叩いて、私たちを茶の間へと案内してくれた。


 きちんと整理整頓されており、埃ひとつない茶の間。


 それぞれテーブルについた私たちの前に、お茶と簡単なお茶菓子が出される。

 緑茶とようかんという組み合わせなのが、なかなか通といえるだろうか。

 それとも急な来訪だったので、それしか用意できなかったのか。

 状況的には、後者の可能性が高い。



「……ふむ。少し熱いですが、まあ許容範囲ですね。茶葉もほどよい感じのようですし……合格です」



 何様のつもりなのか。

 お茶を一口飲んだアテナが、さも偉そうに評価する。



「ほんとですか!? それは嬉しいですね!」



 純粋に喜びを表現するフードの女性は、私とウルに視線を向けてきた。



「ささ、どうぞどうぞ! 遠慮しないで、召し上がって下さいな!」

「……じゃあ、遠慮なく」

「い、頂きまーす!」



 勧められたので、とりあえずは相伴に預かる私たち。

 そして私は、お茶を飲みながらちらりとフードの女性を確認する。



(特にかしこまった様子はないな……)



 落ちぶれたとはいえ、私はかつては国を統べていた王なのだ。

 そのことについて何かしらの反応があるかとも思ったのだが……



(森に引きこもっているようだし、世事に疎いのか……?)



 それならそれで構わないし、いくら王とはいっても、国民全員に顔が知れ渡ることもないだろう。



(冒険者ギルドでも、これといった反応がなかったようだしな)



 私は一息ついてから、切り出すことにした。



「それで。君が森の魔女、ということでいいのかな?」

「ええ。私が近隣ではそう呼ばれている魔女、アルペンです」



 私たちも簡単な自己紹介。



「それで、アルペンさんは呪術師なのですよね?」

「あらら……あっさり見破られちゃいましたか」



 アテナの指摘に、魔女──アルペンは隠すつもりもないのか、あっさりと認めた。



「近隣の街や村に、時々自作の呪術関連の魔道具を卸してるので、いつの間にかそういう評価になっちゃってたんですよねー」

「呪術の魔道具を卸してるって……物騒だな」

「お金は必要ですしねー」



 呑気な口調で答えた魔女は、しかし慌てたようにすぐに弁明を。



「あ! でもでも! 危ないのは卸してないですよ? せいぜいが、恋の成就率アップとか、学力増進、食欲不振の解消とか、ごくごく簡単なおまじないの道具とかなんです」

「いや、別に責めてるわけじゃない。先立つものは必要だからな」

「ですよね? ですよねっ? お金がないと、何もできないですもんね? 私は悪い事なんてなーんにもしてないですからねっ? ね?」

「いや……だから責めてないと……」

「クレア様はドがつくほどのサディストですから、きっとアルペンさんはクレア様が内包する闇を感じ取られたのでしょう。仕方がないことです」

「アテナ……お前は何しれっと当たり前のような口調で言うのか。ウルもウルで、そんな怯えた目を私に向けてくるな」



 疲れたように私が言うと、悪戯めいた笑みを見せてくるウルの頭を、アテナが撫でる。



「ウルさんも、ようになってきましたね。教え甲斐があります」

「えへへ」

「おいおい……ウルに変なことを教えるんじゃない」



「あのー……、こういう状況で仲間外れにされるのは、けっこう寂しいんですけどー……」



 豊満な胸元に両手を当てて弱々しく主張してくる魔女に、私は意識を戻した。



「すまないな。さっそく本題に入りたいんだが、いいか?」

「ええ、どうぞどうぞ、喜んで」

「呪術師というくらいだから、呪いには詳しいと思うんだが?」

「そうですねぇ、私はけっこう優秀な部類に入る術者ですから、たいていの呪いは網羅していますよ」

「それは心強いな」



 自分で自分のことを優秀と評価するぐらいなのだから、よほど自信があるのだろう。

 私は表情を引き締めて、改めて魔女を見据えた。



「私にかけられている”呪い”を解くことは可能か?」

「え……呪いがかけられてるんですか……?」

「? 呪術師なのに、わからないのか……?」

「あ、いえそうじゃなくて。呪術師といっても、ちゃんと調べないと呪いがかかってるかなんてわからないもんなんですよ? 万能ってわけじゃないんですから」

「そういうもんなのか……早合点してすまなかった」

「いえいえ。貴女以外の他のひとたちも、呪術師はすぐに呪いを見破れる! みたいなイメージを持たれてるみたいですからね。いまさらそれくらいのことは、気にしませんよ」



 確認するのでついてきてくださいと言われ、彼女の先導で私たちは外へと出る。

 杖で地面に魔法陣を描いた後、魔女が私を手招きしてきた。



「それでは、クレアナードさん。この陣の中に入って下さい」

「わかった」

「クレア様、骨は拾うので安心して行ってきてください」

「えぇ!? いやいや! 安全な陣ですから……!」

「あー……真に受けないでくれ。ってか、ウルもメモしなくていいから」

「私の言動をメモするとは、勉強熱心ですね」

「えへへ」



 いつの間にかアテナに懐柔されていたウルに溜め息を吐いてから、私は魔法陣の中へと移動する。



「これから、私はどうすればいい?」

「これから魔法陣の模様が輝くので、その時に目を閉じていてください」

「わかった」



 すると間もなくして陣が輝き出したので、私は言われた通り、両目を閉じた。



「……ふむふむ……なるほどなるほど……」



 目を閉じているために暗闇の中、魔女の声が聞こえてくる。

 それと同じくして、手持無沙汰となったことで何やらアテナがウルに吹き込んでいるようで、ウルからはしきりに「アテナさんすごいや!」といった感動の声が。



(アテナの奴、ウルに変なことを教えなきゃいいが……)



 すると、魔女から問いかけられてきた。



「クレアナードさん、”呪い”をかけられるような原因に心当たりはありますか?」

「……それは……」



 さすがに、最強勇者との死闘の果てにかけられた、と言うわけにはいかず。

 そうなれば、私が元魔王であることも露見してしまう。

 ……まあ、別にバレてもいいのだが、なんというか……恥ずかしさが前面に立ってくる。

 失脚して城を追い出されたなんて……逃げてきたなんて……進んで言いたい内容ではないのだ。



「ああ、別に言いたくないのでしたら構いませんよ。ただ、心当たりがあるのかないのか、それだけを知りたかったので」

「……心当たりは、ある」

「なるほど……のですね」



 口調の裏に何か含みを感じたが、いまはいちいち指摘しない。

 まったく関係ないかもしれないからだ。



「クレアナードさん、もう目を開けても大丈夫です」



 目を開けると、すでに魔法陣の輝きは収まっていた。




 ※ ※ ※




 場所は再び茶の間へと戻り。


 テーブル越しで私の対面に座る魔女が、神妙な表情で口を開いた。



「クレアナードさんには”呪い”がかかっていますね」

「……そうか。で、解呪は可能か?」

「んー……できなくはないです。けど……タダでというわけには。私も慈善家というわけじゃないので」

「わかっている、当然だ。相応の対価は払う。……いくらだ?」



 足元を見られて法外な値段をふっかけられると、さすがに支払えるかわからなかったが、それで解呪されれば魔王に返り咲けるのだから、そうなれば払えない額ではないはずである。



「あー……いえ、お金には困ってないので、金銭は要求しないです」

「……? 先程、金を稼ぐために魔道具を卸していると言ってなかったか?」

「はい。ですから、それでお金には困っていないんです」

「じゃあ……何を対価に支払えばいいんだ?」



 困惑する私に助け船(?)を出してきたのは、淡々としているアテナ。



「では、クレア様の身体を好きにしてもいいという権利ではどうでしょう?」

「な……っ」

「男を簡単に魅了するこの美貌です。呪術の実験にいろいろと使えるのではありませんか?」

「いやいやいや。アテナ、お前何を言っているのかわかってるのか? 主を売るとか、ないだろうが」

「安心してください。万一の時は、責任を持ってクレア様の骨は拾うので」

「さっきから……私の骨を拾うのが好きだな」



 私とアテナの話に入れないウルは暇そうに再び出されたお茶を啜っており、そんな私たちを前に、魔女は口元をきゅっと引き締めてから。



「クレアナードさん、取り引きしませんか?」

「……取り引き?」

「はい。この森から一日ほど行ったところにあるハルス村を、してほしいんです」

「解放……どういうことだ?」



 なにやら不穏な気配に、私は少しだけ緊張感をみなぎらせる。

 問われた魔女は、答えるのに一拍の間を空けた。



「ハルス村とはちょっと縁がありまして。それでその村が先日、性質の悪い魔獣使いに襲撃されて、支配されてしまったのです」

「魔獣使い、か」



 その名の通り魔獣を操る者であり、腕がいい者ともなると、たったひとりで一軍に匹敵するほどの戦力を有することさえある。

 そのため、ただの村では抗う術などないだろう。



「全て下級魔獣だけなんですけど、一体だけ特別な魔獣がいたようで……村の自警団は全滅したと……」

「特別な魔獣……?」

「オーク・ロードです」

「……なるほど、な」



 下級はレッサー、中級が名前のみ、上級がハイ、といった具合に魔獣にはランクがあり、ロードはその上位に当たり、下位の魔獣を支配することができるのが特徴である。

 大概の場合、ロードクラスの魔獣はそれなりの人語を介せるほどの知能があったりする。

 言うまでもなくロードクラスともなると戦闘力も高く、Aランク冒険者でも苦戦を強いられるほど。



(しかし……下級魔獣の群れの中に一体だけロード、か……)



 なんともアンバランスといえた。

 ロードの力をもってすれば、上級や中級も居ておかしい話ではなく、むしろ自然といえるからだ。

 まあ、まだそのロードが未熟なのか、ロードに成りたてだから、という可能性もあるが。


 ロードクラスと聞いてウルが息を呑む一方では、アテナはいつも通り淡々とした様子。



「相手がロードクラスであれば、村の自警団程度では敵うはずがありませんね」

「……はい。その魔獣使いは村を支配後、いまのところ食料だけを要求しているようですけど、いつを要求してくるかわかりません。もし要求されたらと思うと……」

近隣の街バーブルには兵が配置されているはずだ。救援要請はしなかったのか?」

「しました。……でも、相手が魔獣使いの上に、オーク・ロードがいることを踏まえて、無駄に被害を出すわけにはいかないと……」

「見捨てたのですね」

「酷い……っ」



 魔女の言葉を引き継いだアテナの指摘を受けて、ウルが怒りをにじませる。



「こんな時こそ冒険者だよ! 冒険者ギルドには依頼を出してなかったの?」

「……ハルス村は決して裕福とは言えません。そして私も、そんなにお金は持っていないのです……」

「あう……」



 依頼を出したとしても討伐相手が魔獣使いともなると、その難易度が跳ね上がるのは言うまでもなく。

 破格の値段を提示すれば多くの冒険者も食いつくだろうが、報酬金が少ないのならば高難易度のクエストに挑戦する意味はなく、慈善家でもない限りはスルーされるだろう。



「それで、私に白羽の矢を立てたというわけか」

「私はただの呪術師であり、魔獣を倒す力はありません。でもなら、たとえ苦難があったとしても必ずや村を救ってくれると、私は確信しています」

「……まさか君は……」



 私はあえて言葉を続けない。

 いまこの段階で指摘しても意味がないからだ。



「君の取り引きに応じると、成功報酬として私の呪いを解呪してくれるんだな?」

「……はい」



 震える声。

 しかしフードの奥にちらりと見えたには、”決意”の意思を宿していた。



「私はあの村を救いたいんです。返せないほどの恩があるんです。だからクレアナードさん、お願いします、ハルス村を救ってください……!」

「……わかった。どのみち、そんな話を聞かされてしまっては、私には見捨てるという選択肢はないからな」

「クレアナードさん……っ、ありがとうございます! ありがとうございます……!」



 嬉しそうに何度も頭を下げてくる魔女とは対照的に、アテナはひとつ溜め息。



「やれやれ。またクレア様の悪い癖が出ましたか」

「でもさ、人助けになるんだし、いいんじゃない? あたしは賛成だよ!」



 ウルも乗り気の様子。

 アテナに毒されてきているが、根は本当にいい子なのだ。



 こうして私たちは、取り引きの材料として、魔獣使いに支配されているハルス村へと赴くことに──




 ※ ※ ※


 ※ ※ ※




「まじで使えねーな、お前」



 魔獣退治をどうにか終えて、入り口が大きい洞窟から出たところで、冴えない風貌の男──魔獣使いは、冒険者仲間からドンっと背中を蹴られてしまった。



「うぐ……っ、な、何をするんだ!」


「『何をするんだ!』だってさ。ウケるんだけど、こいつ」



 別の冒険者仲間からは心配されるどころか、嘲笑を浴びせられてくる。



「な、なんなんだいったい……」



 そこで初めて、魔獣使いは違和感に気付いた。

 仲間だと思っていた冒険者パーティの面々が、侮蔑の目を向けてきていたのだ。



「俺が何かしたっていうのか……っ?」


「逆だよ逆」



 先程背中を蹴り飛ばした冒険者が、苛立ちまぎれに言ってくる。



「何もしてないのが問題なんだよ」

「何も……? 何を言って……」

「魔獣使いを俺らのパーティに加えられた時は嬉しかったぜ……魔獣使いがいるといないじゃ、クエストの難易度ががらっと変わるからよ。けどなぁ……」

「下級の雑魚しか使役できないとか、マジで役立たずなんだけど」

「そ、それは……」

「アタイが知ってる他の魔獣使いはさ、中級くらいはヨユーで使役してたんだよね。ねえなんで? なんでアンタは下級の雑魚までしか使役できないわけ? ねえ? 教えてよ」

「…………」

「黙ってんじゃねーよ! 聞いてんだろ! この無能!」



 ドンっと蹴りつけられ、魔獣使いは無様に尻もちをつく。



(俺は……無能じゃない……っ)



 とはいえ、他の魔獣使いよりは能力的に劣っていることは自覚していた。

 それゆえに、期待されてパーティに加わっては失望されて追放されるといった日々を過ごしてきており、いま彼が在籍しているパーティも、彼の低い能力を見限ったという話だったのだ。



「雑魚しか使役できねー雑魚お前はいらねーわ。今日限りでお前、追放な」

「ま、待ってくれ……っ、チャンス! もう一度チャンスを──」

「うぜぇ」



 顔面に蹴りが飛んできたかと思うと、魔獣使いはそこで意識を失っていた。


 やがて目を覚ますと、その場にはもはや誰もいなかった。

 魔獣の巣窟である洞窟前の広場でずっと放置されていたようだが……



(運が、良かったのか……)



 最悪の場合、通りかかった魔獣の餌になっていたことだろう。

 安堵するものの、ハッとして懐をまさぐる……サイフが抜き取られていた。



「くそったれが……」



 今回のパーティこそはと思っていたのに、この結末……

 悲しさよりも、怒りが湧き上がってくる。



「ふざけやがって……馬鹿にしやがって……許さん……絶対に許さんぞあいつら……」



 暗い暗い憎しみが、どこまでも深い憎悪が心を染めていく。

 散々いろんなパーティからお払い箱にされてきたことで、蓄積されてきた”負”の感情が、ついにその発露を求めて吹き上がってきたのだ。


 握りしめた拳からは、つうっと血の糸が。

 怒りと憎しみで脳がマヒしているせいか、痛みはまったく感じない。



「くそくそくそくそくそ……っ! なんで俺ばっかりが! ふざけるなよ……! 俺だって──」 



 怨嗟の連鎖が止まらずに、魔獣使いは地団駄を踏み続ける。


 あいつらを呪う。

 世界を呪う。

 もう何もかもを呪う。

 この世に神がいるのなら、神すら呪ってやろう。



「俺が悪いんじゃない……この世の全てが悪いんだ……」



 半狂乱の魔獣使いは、ヤケクソ気味でありとあらゆるものに呪いを吐いていく──




 ふいに、”闇”が落ちた。




 いったい、いつの間にその場にいたのだろう。

 瞬きする直前までは誰もいなかったというのに、瞼を開いた瞬間、その闇は静かに佇んでいた。


 宣教師風の出で立ちの、漆黒を纏うひとりの男。

 髪と同じ色の金の瞳にはまるで生気が宿っておらず、異様に不気味さを醸し出している。


 あまりの異質さに、怒りで我を忘れていた魔獣使いも、思わず気圧されて後退っていた。



「な……なんだいきなりお前は……」



 黒の宣教師は、狼狽える魔獣使いをじろりと睥睨。



「ギリギリ基準は満たしたといったところか」



 底冷えのするような声。

 聞く者の心の奥底までもが凍り付くような感覚に襲われる。

 現に、まるで金縛りにあったかのように、魔獣使いは身動きがとれなくなっていた。



「なっ……あ……が……」



 なんでこんな目に。

 なんで自分ばっかりが。

 死ぬ。

 これは間違いなく死ぬ。

 抵抗すら出来ずに、まるで虫けらを踏みつぶすように、あっさりと自分は死ぬ。



「し……死に、たくな、い……」



 気づけば魔獣使いは涙を流していた。


 あまりにも理不尽すぎる死だった。

 認めたくなかった。

 まだ死にたくなかった。

 やりたいことが山のようにまだまだ残っているのだから。


 これは罰なのだろうか。

 だったら、今までの仲間と思っていた連中からの暴言や暴行は許そう。

 なんなら怒りや憎しみも忘れよう。

 さっきこの世の全てを呪ったが、それも撤回しよう。


 だから……自分も、許してほしかった。



「た、たすけ……助、けて……」



 だからこそ無様でも何でも、一縷の望みにかけて、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をそのままで、失禁すらしてしまっていたが気にする余裕もなく、迫りくる”絶対的な死”に命乞いをしていた。 

 そんな彼に対するは──



「勘違いするな、下等生物」


 

 感情が一切込められていない、ただただ事実だけを告げてくる冷たい声。

 冷酷な眼差しを突き刺す黒の宣教師が、硬直している魔獣使いへと悠然と近づいていく。



「喜べ。そして感謝しろ。貴様如き劣等種に、我が”神”の力の一端を授けてやろう」



 冷淡に告げた黒の宣教師がポケットから取り出したのは、禍々しい光を放つ小さな石。

 その小石を、恐怖で震えている魔術師の額に押し付ける。

 すると何の抵抗もなく、あっさりと小石の半分が額に埋没。



「え……あ、な……何が……?」



 訳が分からないといった様子で、怯えながらも魔獣使いが思わず問いかける。



「無能でなければ、すぐにその”石”の使い方は理解するだろう」



 冷たく言い捨てた黒の宣教師は踵を返すと、あっさりと立ち去っていた。

 ようやく恐怖から解放されたことで、魔獣使いはヘナヘナとその場に座り込む。



「あ、あはは……な、なんなんだよいったい……意味がわからない……」



 乾いた笑いとかすれた声で気づく。

 喉がカラカラになっており、口の中の水分が一気になくなっていたようだ。


 よくわからない状況だったが……助かったのだ。


 思い出して、おもむろに額に触れると、指に硬い感触が。

 額には、禍々しい光を放つ小石の半分がそのまま残されていたのだ。



「なんなんだこれは……」



 わからない事尽くし。

 しかし、どういうことだろうか……



「やけに……腹が減ってきたな」



 猛烈な飢餓感。 

 生涯で感じたことのない異様な空腹感。

 一刻も早く、この空腹を満たしたかった。


 ふらふらとした足取りで、魔獣使いは歩き出したのだった。


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