役立たずヘルパー

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

「おい!何ぼーっとしてるんだァ?」


 現代社会、この日本と言う国は様々な問題を抱えている。色々あるが、今僕が直面しているのもひとつの問題だろうか。企業内でのパワハラだ。


「ファイル五冊分のデータ、一時間で打ち込めって言ったよなぁ?」


「・・・はい」


「お前が出来たのは?」


「一冊の、半分くらい・・・」


 目の前の上司の顔が、だんだん険しくなってきた。ただでさえ彫りの深い顔なのに、それがもっと深くなる。


 どうせ、また言われるんだ。


「こ の 役 立 た ず !!」


 ほら。





 役立たず、役立たず。

 最初の頃は、そう言われて嫌だった。大学を卒業して、会社に入って、普通にいい人生を送ろうというところへ、そんな言葉を何回も何回も投げられた。夜になったらヤケ酒の毎日、酒に弱い僕はビールを一缶でダメになって、もう飲めないのに鬱憤は晴れなくて泣くしかない日々を過ごしていた。


 懐かしい。


 そう感じる。懐かしい、というのは昔の事を思い出して使う言葉だ。つまり今はそうではない。

 不思議なもので、半年でこの環境に慣れてしまった。毎朝何も考えずに出社、仕事、帰宅、睡眠。定期的に「役立たず」と罵られる。楽しみなんてない毎日だ、趣味のひとつもない。

 昔は人の役に立つことをするのが好きだった。今思うと、それは役に立っていると僕一人で錯覚していただけかもしれない。


 だって、僕は役立たずだから。


 上司の期待には応えられない、企業に対して大きな貢献をしているわけでもない。酸素と食料と水を消費し、金は生活費に最低限だけ費やしその他には使わない。日本国民として経済を回す気はゼロ。

 上司に怒鳴られる言葉の通り、僕は役立たずなのだ。そのことを、入社してからの半年間で気が付かされた。


「パパー、いま雲の上だよー!」


 遠くの席から元気な女の子の声が聞こえてきた。初めての飛行機に興奮している、というところだろうか。

 そう、今は飛行機の中である。社員研修に、海を渡って本社まで行くのだ。そのために役立たずが飛行機の席をひとつ埋めている。こんな人間がいていいものだろうか。疑問である。


 そんなことを考えても面白くないので、僕は飛行機での空の旅を寝て過ごすことにした。飛行機が地面に着くまで何も考えずにいるつもりだ。



 つもりだった。



 様々な叫び声や泣き声で目を覚ました。電気の落とされて薄暗い機内、膝の上にはライフジャケット。この状況を見て、冷静に悟った。


 ああ、この飛行機は墜落するのか。


 死ぬのは怖かった。でも嫌ではなかった。こんな役立たず、死んでも困る人はいないだろう。恐怖しないよう、僕はまた眠りにつこうと目を閉じた。

 眠れたのか、恐怖でか、それとも気圧云々などの理由かは知らないが、僕の意識は痛みを感じる前に飛んだ。




















 さて、ここはどこだろう。

 死後の世界か、生き残って流れ着いたか・・・


 僕は海岸にいた。


 白い砂浜、静かな波の音、照りつける太陽。

 日の高さの感じから見ると、飛行機が墜落して数時間か数時間+24時間か・・・ここが現実であればだが。海の向こうに、陸が見える。

 スマホの位置情報で確認・・・はできないようだ、海水でダメになっている。


「うーん・・・これからどうするか」


 ここには大陸か?島か?人は近くに人はいるか?いないか?それによって行動は変わってくるが、知りようがない。死んでもいいとは思っていたが、生き残った上でわざわざ死のうとは考えなかった。


「とにかく、内陸の方まで行こうかな」


 誰に言うでもなく、そう呟いて海に背を向ける。見えるのは森だ、まずは喉の乾きを潤そうと思ってそちらに足を踏み入れた。





「川かなんかないかな・・・当たってもいいからなにか飲みたい」


 森の中を歩くこと、一時間。正確にはどうか分からない、体感一時間くらい。わかったことは特にない。せいぜい、今さまよっているのはただの森ではなくジャングルということくらいだ。


「せいぜい、ってなんだよ・・・すごく大事なことだよ・・・」


 自分の脳内思考にツッコミを入れながら、木の根やぬかるみなどのせいで安定しない地面を歩き続ける。ちなみに今革靴である。脱いでしまおうかと思ったが、地面に毒虫なんかがいたらと思うとその勇気は湧かなかった。家を出た時にはピカピカだった革靴も泥だらけだ。むしろ泥しか見えない、これでは泥靴だ。革靴で察した方もいるかもしれないが、服はパリッとしたスーツである。濡れて砂に汚れて、パリッとというかシナっとしているが。


 そうやって歩くうちに、サラサラという音がどこからが聞こえてきた。間違いない、水の流れる音だ。

 歩くペースを早め、音の方に急ぐ。


 だんだん音が大きくなってくる。それと同時に、音の細かな部分も聞き取れるようになってきた。自分の耳が正しいなら、このザーザー言うような水の音は、相当大きな川だろう。だとしたら喜ばしい、ジャングルの中の大きな川。人がいるならその周辺に住んでいる可能性は高い。古来から人間は、大きな川の近くで文明を築いたらしい、歴史の授業で習った。


 やがて、木々の間から漏れる光が強くなってきた。開けた場所がすぐそこにある証拠だ。


 もう我慢できない。僕は走り出した。





 どうしてこうなった?なぜ僕は川に流されてる?


 なぜ?ではなく理由は分かっている、川沿いで足を滑らせたのだ、そのまま大きな川にドボン。


 流れが強すぎる、これでは泳いで戻るのは難しいだろう。また海に出てしまうかもしれないが、このまま流された方が安全かもしれない。などと考えていると、肩に力強い何者かに掴まれたような感触。


 そのまま引っ張られていく、川の端の方まで移動し、やがて地面まで引き上げられる。


「あの・・・ありがとうございます」


 まずはお礼。日本語が通じるかは分からないが。そこから振り向いて、相手の顔を見て頭を下げる・・・つもりだったのだが、相手を見て絶句する。


 そこに立っていたのはグレーの水着の少女、髪も同じにグレー。少女と言うだけで驚きだが、もっと驚きなのはその頭と腰付近。


 動物の耳と尻尾が着いている。


「えと・・・あなたは?」


「わたしはコツメカワウソ!今日はいい泳ぎ日和だね!」


 それが彼女との、フレンズとの邂逅だった。





「ふーん、なるほどねー?ホントにパークの外にヒトがいるんだー」


 岩に腰掛けた彼女に事情を説明すると、真面目そうな顔でウンウンと頷いてくれた。

 逆に、彼女についての話も聞いた。しかし、彼女の説明は子供っぽいというか、抽象的である。本来動詞がおかれるべき場所が擬音で済まされていたりする。

 しかし、なんとなく理解することは出来た。どうやら、ここは「ジャパリパーク」という島で彼女のように動物の特徴を持った少女が生活している場所らしい。この説明を聞いて、僕の中の〈死後の世界説〉が濃厚になった。


「で、どうしたいの?ヒマなの?」


「うーん、ヒマってわけでもなくてね?とにかく、ご飯が食べたいかな」


「じゃあ、ボスからジャパリまんもらってこよう!ついてきて!」


 ボス?ジャパリまん?聞きたいことはたくさんだが、とにかく着いていく。お腹が減っていたのだ。





「これがボス?」


 カワウソちゃんが指したのは水色の奇妙な生物(?)

 ピコピコ音を立てながら歩き、胴と頭がひとつになったような体の上には籠を乗っけている。その籠に、丸いものがたくさん。


「ボス、三つもらうねー」


 躊躇いもなくそれを取るカワウソちゃん。三つ取ったうち二つをこちらに差し出してくる。


「ありがとう・・・」


「ふぉふひたひまひて」(どういたしまして)


 そう返事をする彼女は既に丸いものにかじりついていた。中華まんのようなものだろうか?とにかく、腹が減っていた僕はそれをいただくことにした。


 結論からいえば美味、ごちそうさまでした。


「で、このあとどうするの?」


「うーん、どうしようね」


 話を聞く限り船もなさそうだし、あっても帰る方向が分からない。そもそもここは帰れる場所なのか?天国と地獄の狭間辺りの場所なんじゃないか?


 というか、帰っていいことはあるか?

 こんな役立たず、帰っても意味はないんじゃないか?


「やめだやめ、帰るなんてあほらしい」


「なになに?どうしたの?」


「なんでもないよ、こっちの話」


 問題があるとすれば、こんな僕がここで認められるかという話だろう。しかし、目の前の少女の対応を見ているとその心配は要らないように思えてきた。


(ま・・・だからといって役立たずには変わりないんだけど)


「ねぇ!ヒマ!?ヒマなの!?」


「あ、うんヒマ・・・ではあるけど、なんで?」


「ちょっとついてきて!ヒトならできるかも!」


 ヒトなら?その言葉に引っかかる。彼女も身体の基本はヒトのそれなはず。彼女たちフレンズにできず自分にならできそうなこととはなんだろうか。とりあえずついて行ってみることにした。





「これは・・・」


 橋だろうか?木の板に丸太の手すりがついたものが、植物のツルを束ねたロープで川に浮かせてある。しかし、一つ一つの板の間が開きすぎている。一番手前の部分に関しては、丸々二つ分抜け落ちている。これでは、橋だとしても歩いては渡れない。助走をつけてジャンプしても渡れるか渡れないかくらいだろう。


「ほら、ここ。橋が無くなってるでしょ?」


「元々あったの?」


「壊れちゃったんだよねー」


 事情を聞くと、本当はこの手前の部分にも板があったらしい。しかし、縄が外れてしまったためにその部分が抜けてしまったようだ。板と縄は保存してあるが、どう直せばいいのかがわからないとのこと。


「僕にもわかるかどうか・・・」


 橋の作り方なんて知らない。しかし、見る限り簡単そうな作りだ。色々試してみる価値はあるだろう。



 一時間(体感)ほどして・・・



「結構簡単に出来たな」


 僕とカワウソちゃんは、無事に直った橋の前に立っていた。時間こそかかったが、作業は単純だった。


「ありがとー!これでジャガーも楽になるよ!」


「ありがとうなんて言われることしてないよ」


「これからどうするの?」


「うーん、とりあえずパークをフラフラするかな。カワウソちゃんはここに住んでるんでしょ?」


「そうだよー!また遊びに来てね!」


「そうするかな。じゃあね?」


「じゃーねー?」


 そうして、僕はあっさりとこの島で旅をすることを決意した。





 まず訪れたのは高山のカフェ。ジャングルの橋からすぐの所に足漕ぎロープウェイを見つけたので、登ってみたところ建物があったのだ。

 店主のアルパカさんが紅茶を振舞ってくれた。どうやら通貨の概念はないらしい。お困りの様子なので事情を聞いたら、ジャパリまんが不足しているとのこと。旅を急いでいる訳でもないので、僕はロープウェイで降りてジャパリまんを持ってきてあげた。


「いやぁ、助かったゆぉ!ありがとう!」


「いやいや、ただ往復しただけだよ。ちょっと疲れたけどね?」


 そんなやり取りをアルパカさんとしたのだが、それを見ているフレンズが三人いた。


「あなた、ヒト?不思議な格好だけど」「ですけど!」


 形は瓜二つ、なのに髪や目の色服は色違い。そんな彼女たちはトキちゃんにショウジョウトキちゃん。日本では絶滅したと有名な朱鷺をこんな形でお目にかかれるとは。


 そして、壁のところからひょっこり顔を出していたツチノコ。個人的には「ちゃん」のイメージだったのだが、怒られてしまったので呼び捨てになった。どうも呼び捨て以外が嫌らしい。それより、ツチノコって現実にいたのかと驚きである。


「おおおおお前、ヒトだよな!」


「そうだけど・・・なんで?」


「ちょ、ちょっと着いてこい!」


 ツチノコがそういうので、言われるがまま着いていくことに。どうやら、図書館に行くらしい。彼女らは文字が読めないようだったのでそんなものがあるとは意外だった。読めるフレンズもいるのかもしれない。


 その行き方がびっくり、トキちゃん達に抱えて飛んでもらうのだ。綱で固定し手はいるものの、恐ろしかった。ちなみに僕がショウジョウトキちゃんに抱えられ、ツチノコがトキちゃんだ。理由は特にない。





 そんなこんなで図書館についた。


「ありがとうショウジョウトキちゃん」


「ふふん、どういたしましてですけど!」


「ツチノコからのお礼はないのかしら?」


「・・・フン、世話んなったな」


 そういう話をしてから、カフェに戻る彼女たちを見送って図書館に入った。

 長を名乗るフレンズ達に挨拶してから、ツチノコからの頼まれ事をこなす。内容は調べ事を手伝うこと。やはり彼女は字が読めないらしく、彼女が知りたいことを一通り調べてあげた。


「その・・・わ、悪いな手伝わせて」


「大丈夫、むしろ僕調べるの遅くてごめんね?」


「俺一人で調べようと思ったらどれだけ時間があっても無理だったんだぞ?自信持てよ」


「はは、どうも」


 なんてやり取りをするうちに、博士と助手に目をつけられた。挨拶をした時に自己紹介を貰ったのだ、アフリカオオコノハズクの博士にワシミミズクの助手。


「料理するのです」「するのです」


 グルメなこの二人は、料理を要求してきた。食材はあるそうなので、一人暮らしで身につけたスキルを存分に発揮して手料理を振る舞った。

 さらに、彼女たちの調べ事も手伝う。二人は「「賢いので」」と自分らで言う通り他のフレンズより賢いらしい。そのため文字が読めるのだが、英語がわからないそうだ。英和辞典とにらめっこしていたので、和英辞典を見つけてあげて使い方を説明してあげた。


「感謝するのですよ」「満足です」


「料理も気に入ってもらえてよかったよ。ところで、これ漫画だよね?文字がないけど・・・」


 ツチノコの手伝い中に見つけた漫画本を二人に見せる。どうやら、タイリクオオカミさんが描いた漫画らしい。本来は読み聞かせされて楽しむものだそうだ。


「へぇ、会いに行ってみようかな」


「丁度今から、鉛筆を届けようとしていたところなのです。一緒に行くですか?」

「飛んで連れてってやるのです」


 空の旅はもうお断りしたかったが、話を聞くと彼女がいるロッジは遠いらしい。仕方ないので連れて行ってもらうことにした。





 ロッジに着いた頃には辺りは真っ暗になっていた。元々、図書館にいた時には日が傾いていたが。


「我々は鉛筆を届けるだけなので、お前に託すのです」


「オオカミに渡すのですよ」


「僕が?はあ、別にいいけど」


 そうやって鉛筆を受け取る。


「また料理を作りに来るですよ」

「ヒグマと合わせて料理人ダブル体制なのです、じゅるり・・・」


 そんなことを言いながら二人は飛び立って行った。また図書館にも行こう。


 入口から中に入ると、受付のところにいたアリツカゲラさんが案内してくれた。漫画家 タイリクオオカミ先生に鉛筆を渡してミッションコンプリート。


「ありがとう、助かったよ」


「僕なんて入口から持ってきただけだよ、お礼は長の二人に言ってあげて」


「いいや、君でよかったよ。あの二人が来ると新作の催促がうるさいからね」


 笑いながら言うオオカミ先生に同情する。漫画を読み聞かせてもらった後、アリツカゲラさんに承諾を得て今夜はロッジで寝留まることに決定した。





 翌朝、朝食をいただいてからロッジを出た。


 その日から僕の旅は本格始動し、泊まれそうな所で泊まりなければ野宿と、ふらふらパーク歩き回った。


 行く先々でフレンズの困ってることを解決してあげて、その度に「ありがとう」を言われる。自分としてはそんなに難しいことをしていたつもりはなかった、なぜそんな簡単なことで心の底から出したようなお礼をしてくれるのか不思議だった。


 しかし、その事を理解出来た日は唐突に訪れた。


 島を一通り回って、ジャングルにもう一度訪れた時だ。例の橋に行くと、カワウソちゃんがその横で遊んでいた。それと、もう一人見たことない黄色い子。


「やっほー、ヒト!」


「こんにちはカワウソちゃん。そっちの子は?」


「ジャガーちゃんだよ!ジャガー、あの子が例のヒト!」


 ジャガー?どこかで聞いたことがあると思ったら、最初の時にカワウソちゃんが話していたことだった。


『ありがとー!これでジャガーも楽になるよ!』


 そう言っていたのだ。話を聞くと、彼女は泳げないフレンズのために橋渡しをしているそうだ。なるほど、この橋があればその仕事も減るというので、「楽になる」ということか。


「橋、ありがとうね?使えなくなって、みんな困ってたんだ」


 ジャガーちゃんのお礼に僕はこう返す。



「はは、お役に立てて嬉しいよ」



 うん?


 言ってから気がつく。自然とその言葉が自分から出たのにびっくりした。


「いろんなフレンズが噂してるよ!あのヒト、優しくて困ってる子を助けてくれるって!」


 その言葉で気が付かされる。


 今まで自分は役立たずなんだと思って、いつの間にかそれを信じて疑わなかった。

 しかし、この島で間違いなくいろんなフレンズの役に立ってきた。その度に礼を言われた。


 なんて嬉しいことか?なんて幸せなことか?


 役立たずなんて自分を下げていた自分が馬鹿みたいだ。


「あれ?なんで泣いてるの?」


「いやぁ?昨日は夜更かしだったからかな?」


 いつの間にか自分の目から流れ落ちていたそれを拭いながら、返事をする。自分を落ち着かせてから、ニッコリと笑って僕は口を開く。


「さぁ!僕が役に立てることはあるかい?なんでも手伝うよ!」

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