第7話 文机
中空を見やりながら首をかしげる源五郎の問いかけに、源次郎は、
「私は
同じ向きに同じ深さで首をかしげている。
「ああ、俺もそう聞いている」
「徳次兄上のご夫婦も、なかなか子宝に恵まれませぬ故、
「うむ、耳に
真面目顔の兄に、源次郎があからさまな苦笑いを向けた。
「源五兄上は、妙なことばかり詳しゅうあられますね」
「妙か? 俺がそういったことを学ぼうとするのは、人の命の不思議や天地の営みの秘密を、少しでも知りたいからだ」
源五郎は真面目顔を崩さない。
その真顔を弟に向けたまま、不意に
着物の襟を正す。背筋を伸ばす。そして
瞬きをする暇もない早さだった。あ、と言う間もなく、源五郎の姿は門内へ消えていた。
しかし流石に武田二十四将に数えられる真田源太郎左衛門尉信綱の屋敷である。何者かが門内に駆け込むのに気付いた
「
彼らが
中庭を大股で飛び抜け、母屋の広縁にたどり着く。
戸は開け放たれていた。源五郎はさも当たり前の顔をして縁先に腰掛けた。
直後、後を追ってきた
「源五郎の若、さ、ま――」
その若様の足下にへたり込んだ。後の言葉を繋げることが出来ぬほど、気も力も消耗している。
ゆっくりと、これは内塀のくぐり門から正しく入ってきた源次郎が、庭先に片膝を突いて深く頭を垂れた。こちらに付いてきた困惑顔の若い小者が二人ばかり、脇に控えて同じように礼をする。
母屋の中から笑声が割れ響いた。
その笑い声と共に室内から冷たい微風が流れ出たのは不可解だったが、すぐに訳が知れた。
南に面した明かり取りの窓が、冬も最中であるのに、清々と開け放たれている。
冬の陽が落ちるのは早いが、それでもまだ灯を入れるには早い時間だ。
書院の奥で文机の前に座る真田源太郎信綱は、少しでも手元を明るくしたかったのだろう。冷気が入るのも構わず、窓を大きく開けたのは、そのために他ならない。
その源太郎は、縁先に背を向けて文机に向かったまま、振り返ることがなかった。だが広い肩が上下に揺れている。
次兄の徳次郎昌輝は眉間に
「おのれは
「おほめを頂いて
源五郎は二人の兄のそれぞれに、深く頭を下げた。
「ともかくも、良く来てくれた。まずは近う」
言いつつも、源太郎はまだ振り向こうとしない。ただ左手が挙げられて、二人の年若い弟たちを手招く。同じ手を逆に振って、中庭に駆け込んできた小者達に下がる様命じた。
猿の素早さの
左手が下げられて後も、源太郎の右の手元は、忙しなく、小刻みに動いている。
なめらかな石が水を得てこすり合う音がする。
板張りの床に座った源五郎と源次郎の間に、小さな
戸も窓も開け放った書院であるのに、源太郎も徳次郎も、寒さなどを気にしている
源太郎は
大ぶりな硯の中の墨液は、書くのに適した濃さを
もし源太郎が、二人の弟を呼び出すために用いた例の二文字の
そしてどうやらその単調な
遠慮無く手焙りに手をかざした源五郎は、平静を保っているふりをしている長兄の背中ではなく、心の波立ちに翻弄されている次兄に向かって、
「まだお生まれにはなっていないので?」
一瞬、目を見開いた徳次郎だったが、すぐに感心と呆れを混ぜた声音で問いかけた。
「よく、
源五郎はさも当たり前である、といった顔つきで、
「源太兄上があのような慌ただしい文をお出しになるからには、相応の一大事が起きているに違いなかろうことを察せられぬほど頭が鈍っておるようでは、とてもお屋形様の御側に仕えてはおられません。しかしながら、兄上よりの文の――中身は置くとして――お筆の運びに乱れはみられませんでしたゆえ、大事は大事でも悪しき大事ではなかろう、と」
この言葉の尻を受けて、
「例えば、砥石の父上のご病状が悪しくなった、などということではないと」
と、源次郎が継ぐ。それをさらに源五郎が引き継いで、
「ご門の前に立ち、望気いたしましたら、お屋敷の中から目出度げでありつつ心細げな気配を覚えました。そこで、これは我らがとうとう叔父となったのだと合点がいきましたゆえ、急ぎ参じたのですが……」
ちらと源次郎を見る。
「しかしながら、こちらへ向かう道すがら、この家の者どもの様子を眺めましたところ、どうもまだであるらしいと」
最後の一言は二つの口から同時に出た。
双子はピタリとそろえて頭を下げる。
「源五は全く性急であるし、源次は幾分気長であるな」
呆れたような、感心したような口ぶりで言う徳次郎に、源太郎は、
「
うれしげに言って、ようやくに手を止めた。
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