治安維持局長の思惑

 レッジョ中央を貫く大通りを北西に上りマイラーノ大橋を渡った先にある中央広場に面した一角にレッジョ市の行政の中枢である市庁舎はある。

 市庁舎の中庭を通り抜けて、向かいに分厚い石壁で囲われた堅牢な砦が見える。市民兵や憲兵の兵舎でもあり、有事の際の軍の司令部ともなる。ここがレッジョ治安維持局である。

 砦の正面扉を守る緑色の官服に身を包んだ厳しい衛兵二人は、ルロイも書類の提出ですでに顔なじみになっている。ルロイの顔を認め、ルロイがガリアーノ局長への目通りを乞うと、愛想よくとはいかないが一言「通れ」とうなずきルロイを通してくれた。

 そのままルロイは、階段を駆け上がり質素で厳しい作りの扉をノックする。

「そろそろ、来るころだと思っていたよ。入れ」

 三階の局長室の扉を開くや、その男は高級そうな執務机を前に座り左右の指を交差させながらルロイを意味深に見据えていた。その言葉の通りルロイ自身の心の中まで見通しているようで、思わずルロイは呆けたようにその鋭い視線に射すくめられてしまっていた。

「どうした、フェヘール君。かけたまえよ」

 もったいぶった口調とは裏腹にその声はまだ若かった。

 アイスブルーの丸くいかつい小さな目、細い鼻筋、一文字の口など育ちのいい猛禽類もうきんるいの鳥のようでもあった。が、その白い仮面のような端正な顔立ちの造形には意志の強い酷薄さが見えた。また、よほどの潔癖症なのか、この人物は夏でも白い手袋をはめている。伊達男ではあるが、少々嫌味が過ぎる。

 この男こそ、荒くれ冒険者たちからレッジョ市民を守る憲兵隊の冷厳なる統率者フランチェスコ・ディ・ガリアーノである。

「執務中失礼します。ガリアーノ局長閣下」

 ルロイは丁重に頭を下げると椅子に掛けた。

「そう、かしこまらずともよい。君が私の元へ来た要件はおおよそ分かる。例のオルファノ兄弟団の件だろう?」

「ええ、ご存知でしたか」

「なんといっても君はウェルスの魔法公証人だ。君の名は参事会でもそれなりに有名だからね。君の活躍は私も聞き及んでいるよ」

 それまでの冷然としたガリアーノが、親しみやすい笑顔を浮かべていた。ガリアーノの態度が軟化したように見えたルロイは、光明を見出したように机に身を乗り出した。

「では……」

「言っておくが、私の決定は覆らんよ……」

 笑顔のまま、ガリアーノは冷ややかな声色でルロイの言葉を遮った。

「局長閣下、しかし罪もない孤児たちは困窮しているのです。兄弟団の設立を認めなければ、子供らは飢えて死ぬかあるいは……」

「夜盗の類にでも身を堕とす。とでも言いたのであろう?」

「……子供たちに罪はありませんよ」

「まぁ、君の意見も分からなくはない。しかし、公共の福祉というやつか……」

 ガリアーノはくつろぐように悠然と執務室の窓から市街地を見下ろす。平和な昼下がりの雑踏。数多くの人々、その人々の平和と秩序を保つための責務がこの男にはある。ガリアーノのアイスブルーの双眸そうぼうはすでに険しかった。

「マーノネッロにより殺害された死体が南街区に多いことは知っているかね?」

「いえ」

「我々は貧民窟である南街区にマーノのアジトがあると睨んでいる」

「そんな……」

 落胆するルロイにすでにガリアーノは目もくれずに背を向け、壁に立てかけてある一本のレイピアを鞘から引き抜き白い手袋で刃を拭っている。

「君の依頼人の気持ちも分かる。が、兄弟団の本部である孤児院も焼け落ちてしまった以上、兄弟団の解散は止むを得まい。それにかえってそんな危険な場所に孤児院を再建してもまた子供らを危険に晒すだけだと私は思うのだがね?」

「局長殿にとっては、それが公共の福祉と言う訳ですか」

「この答えでは不満かね?」

 ルロイは沈黙してガリアーノの出方をうかがった。

「我々、そしてレッジョの民の願いは、枕を高くして安眠すること。人々の安眠と言うやつは生命以上に神聖なのだよ。特に善良な人々の眠りを妨げてはならない。我々治安維持局の使命は、それを妨げるものを徹底的に排除することなのだ」

「僕のような小さき者には及びもつかないことです」

「ああ、そうそう。言い忘れていたんがね、ディエゴ・コンティ。ここいらじゃ少し有名なコボルトの情報屋らしいが、彼の居所を知らないかね?フェヘール君。確か何度か君と接触があるはずだろう?」

 ガリアーノの口からディエゴの名が出たとき、ルロイは気が気でなくなった。一体この男はどこまで知っているのだろう?いやディエゴを利用して何を企んでいるのか?昼下がりの日の逆光で、ガリアーノの顔に不気味な分厚い暗幕がかかっているようにルロイには見えた。

「これはこれは、私のような一小市民の交友関係までご存じとは……参りましたね。しかしなぜ彼をお探しで?」

「質問に質問で答えるか?まぁいい、他ならぬ魔法公証人の君の言葉だ」

 ガリアーノは皮肉そうに肩をすくめて見せる。

「実は、このコボルトにはある嫌疑があってね」

「嫌疑?何のことですか……」

「ファビオ・ソアレスの殺害。彼は、私が南街区への密偵として雇った冒険者崩れだよ。二週間ほど前にメリノ河の南岸で目撃されたのを最後に消息が途絶えている。恐らくは、ディエゴに消されたと私は見ているんだが、彼を見かけなかったか?ファビオの身体的特徴は、赤い縮れ毛で、太い首の大男でね、あと鷲鼻で左目は眼帯をしている」

「いえ、何分面識などない人物ですから……」

 膝の腕の拳をきつく握りしめる。

「ファビオ殺しもそうだが、今のところ、ディエゴがマーノネッロである可能性が一番高いと、私は踏んでいるんだが?私の推理は君から見てどうかね?」

「私は、探偵ではありません。ましてや官憲などでは……」

 見え透いた挑発だとは分かっている。それでも歯を食いしばりながらルロイは声を荒げてしまう。

「で、どうなんだね?」

「ディエゴなら最近見かけません」

「そうか、それならいい。妙なことを聞いて済まなかったね」

 それまでとは打って変わって、ガリアーノはルロイに安心した様に笑みを浮かべる。しかし、ルロイにとっては溜飲りゅういんが下がることなどない。この件で何を隠しているかガリアーノを魔法公証人の言文の能力にかけるつもりでいた。

「局長閣下……」

「よもや、私を君の能力プロバティオで尋問するつもりではあるまいね」

 ルロイは、ケープの中に潜ませていた証書に手を伸ばしたまま完全に固まってしまった。

「まさか」

 内心、胃の中でなにか得体のしれないものがひらひらと舞っている。

 完全にしてやられた――――

 すべてはルロイの口からこれを言わせるために、ガリアーノが仕組んだ狂言だったのだ。

「魔法公証人である者が嘘をついた場合、嘘を付かれたその者をウェルス神の言文の裁きに掛けることはできない」

「くっ……」

「そうだったね?」

「ええ、もちろん」

「誠実な君のことだ、友人を売るようなことはするまい。まったく、人間が真実を司るにはその重責はあまりに酷であると思わないかね?」

「僕が何をしたいかご存知でしたか……」

「ウェルスの加護なき私としては先に保険をかけさせてもらうよ。それにもとより、マーノの件は我々の問題だ。魔法公証人の介入など要らぬ」

「しかし……」

「これ以上、この件に関わらないことだ。私をこれ以上わずらわせないで欲しい、フェヘール君。さもなくば……」

 ガリアーノのレイピアが、座っているルロイの右膝すれすれの空間を切り裂き床に切っ先が突き刺さる。

「なにを!」

「失礼、私も潔癖なものでね……こう暑いとネズミが沸いて困る」

 意地悪く口元だけで微笑んでみせるガリアーノの言葉通り、レイピアの切っ先には絶命しかかったネズミが痙攣けいれんしながら串刺しになって鮮血を撒き散らしていた。辛気臭く重い沈黙がしばらく続き、けたたましいブーツの足音が階段を駆け上ってくる。

「局長閣下!」

 一人の憲兵が入ってくるなりガリアーノの脇へと駆け寄り耳打ちをする。途中何度かガリアーノは冷淡に相槌あいずちを打って憲兵の報告を一つ一つ確認しているようだった。

「そうか……分かった。では、所定の通り動くよう各部隊に伝えろ。私もすぐに向かう」

 ガリアーノが憲兵に命じると、憲兵はそそくさと来たときと同じように慌ただしく部屋を出て階段を駆け下っていった。

 憲兵のブーツの足音が消え去った後も、部屋に静けさは戻らなかった。にわかに大通りの方角から怒号や悲鳴で騒然としているのがルロイの耳にも届く。

「話は終わりだ、フェヘール君。これから少々ごたつくのでね……お引き取り願おう」

「また、事件ですが?」

「いや何、事件というほどのことではないさ。最近は、冒険者どもの乱痴気騒ぎが多い。まぁ……私にとっての捕まえ損ねたネズミ退治だよ」

 レイピアの切っ先を華麗に振り回し、ガリアーノは刃で串刺しになったネズミの死体を机下のごみ箱へとそのまま放り込む。

 満面の笑みを浮かべたまま、ガリアーノは白い手袋でレイピアの刃を汚したどす黒い血を拭って見せた。

 ルロイは今になってこの案件が自身の手に余る獰猛な巨獣であることに気が付いた。自身のあずかり知らぬところで、レッジョそのものを大きく揺さぶる流れが不気味に蠢動しゅんどうし始めていた。

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