秘密遺言の赤竜

「とにかく、遺言書の偽造があったに違いないんです!」

「あの女のたくらみを明かしてやって下さい!」


ティータイム中だったルロイの前に、

小ぎれいで洒落しゃれた服装をした若い男女が昂然こうぜんと詰めかけ、何やらまくし立てている。

飲みかけの紅茶が入ったカップを、ルロイは未練がましく執務机に置く。

ルロイは、げんなりしながらも椅子から立ち上がりつい最近の出来事を頭の中で整理する。


「まぁ、少し落ち着いて下さいよ、パウルさん、モニカさん。遺言って、例のヘルマンさんのあれですよね?」


ルロイは、ここ冒険者とダンジョンの街レッジョにおいて公証人として生計を立てている。その業務の中には遺言書の作成も含まれる。

先ほどからやかましくせっついてくる二人の若い男女も、

その案件についての依頼で来た訳だが、

話は今からさかのぼること一月ほど前。


レッジョでも発明王の名をほしいままにしていた偉大なる錬金術師ヘルマン・ツヴァイク氏、この界隈では老ヘルマンの名で通っている老紳士の秘密遺言の申し立てから始まる。


秘密遺言とは、

遺言の内容自体は秘密にしながら遺言の存在自体は公に証明する遺言形式の一つで、遺言者が遺言内容を秘密にしておきたい場合に取られる方法である。

この、あまり一般的とは言えない方式を敢えてヘルマン氏が取ったことで、レッジョの世相はにわかに色めき立った。


「創造せし英明ヘルマン」


という異名まで持つ同氏が持つ特許は、

レッジョ市に申請したものだけでも軽く千は超える。

他の都市や国と比べられても老ヘルマン以上に発明を生み出した錬金術師は他にいない。そんな偉大な錬金術師が死期を悟り秘密遺言などを出すという。


遺言の提出にあたり、

故ヘルマン本人と二人の証人として、

長年ヘルマンと付き合いの長い工房のベテラン職人が立ち合い手続きはつつがなく終わった。後は実際に老ヘルマンが書き残した遺言が、著者である同氏の死によって開示される時を待つばかりとなった。


噂はあっという間に街に広まった。


噂では錬金術の最高にして最大の夢「賢者の石」の生成法をついに発見したのではないか?などと、冒険者が集う酒場では早くも遺言の内容に絡んだ噂や更には賭け事にまで発展する始末だった。それほどまでにレッジョの界隈を騒がせる遺言の内容とはいかに。



その結果がこれである。


パウルが悔し気にルロイの眼前に遺言書を突き出してみせる。

遺言書には何やら魔法陣のような図形とその注釈であろう暗号めいた文字が蟻の行列のように細かくつづられていた。そして、なによりも目を引いたのは赤いドラゴンのような幻獣の頭が何かの目印のように魔法陣の中心に描かれているのだった。


「こんな訳が分からん魔法陣なんぞ描きやがって、あの女エルフめ」

「遺言書を暗号で覆って、お父様の遺産を独り占めするつもりなのでしょう」


本来ならば遺産を相続できたであろう二人は怒りを抑えきれずにいる。

ルロイはとばっちりを食らわないよう、あいまいな笑顔を浮かべながら最近の仕事の内容を頭の中で整理し始めたのだった。


「まぁ、抑えて抑えて。一度にあれこれ理解できかねますが、確かにあの秘密遺言の作成に僕も立ち会いましたし、何か力になれると思います」


秘密遺言とは遺言書の内容を、遺言者の死後まで秘匿ひとくしておくものであり、遺言者が遺言の内容を隠しておきたい場合取りうる制度の一つである。

秘密遺言作成に際し公証人と証人二人が必要で、公証人は当然にルロイが務めた。

もっとも遺言が公開される前は遺言者本人以外には秘密である以上、

遺言の証人を務めた工房の職人にせよ、

親族であり推定相続人すいていそうぞくにんであるパウルとモニカにせよ、

公証人のルロイ本人も目の前の奇怪な暗号図がヘルマン本人により書かれたものか、何者かが偽造したものかは判らない。

それでも、魔法公証人たるルロイにはそれを見破る能力があった。


「確か、真実の神ウェルスの使徒である魔法公証人の力をもってすれば嘘も真も証明できるのですよね?」


パウルよりは幾分冷静なモニカは、そこにいち早く気が付いたようだった。


「ええ、よくご存じで。詳しくは言えませんが質問さえ間違えなければですが……」

「おお、妹よ光がみえてきたぞ。それなら心配要りません。あの女エルフが遺言書を偽造したことさえ証明できればいいんですからね。チョロイもんです」


先ほどからルロイに八つ当たりでもしそうなほどイライラしていたパウルが、今度はモニカの手を握りしめルロイにせかせかと高ぶった笑顔を見せている。

二人の言動からどうやら犯人は確定しきっているようだったが、情けないことにルロイにはいったい誰のことを言っているのか皆目分からないのだった。


「で、先ほどから口にされている女エルフとは?」

「まぁ、ご存じないんですの?」


軽く呆れたようにモニカが唇に手を当てる。パウルは、再び忌々いまいましく眉間みけんにしわを寄せ言葉を継いだ。


「リーゼ・ペトラ・メルケル。一年ほど前親父の工房で親父の助手になったエルフの錬金術師ですよ。親父が耄碌もうろくして隠居いんきょ暮らししてからは実質、あの女が工房を取り仕切ってますよ。新参者だが錬金術師としてはかなり腕がいい。半面奇人変人の部類なんで親父とはウマが合ったんでしょう。それで上手いこと愛人として親父に取り入って……」

「ルロイさんの力でリーゼがこの遺言書を偽造したことを証明して下さいまし」


なおもブツブツ恨みがましいことを呟くパウルの手から、モニカが遺言書を奪いようやく事態が飲み込みかけているルロイに手渡した。


「はぁ……では、メルケル氏でしたか?彼女の下へ案内願えませんかね」

「それが、畜生!わからんのですよ」


それまで、バツの悪そうに目を伏せていたパウルが堪え切れず癇癪かんしゃくを起して執務机を拳でたたいた。

どうやら今回も、厄介な案件で簡単にはいきそうにもなかった。

それからしばらくルロイは二人に対してあれこれリーゼに関する情報や遺言書が管理されていたヘルマン氏の居室きょしつに何か忍び込んだものがいたかどうか聞き出していったが、どうにもパウルもモニカももったいぶったように相槌あいづちを打って話を濁すばかりで大した情報を聞き出せなかった。

ルロイとしてもこれ以上粘っても有益らしい情報を聞き出せないと辟易へきえきしかけたときに、二人ともルロイと同じ気持ちを抱いていたのか、急にかしこまってお辞儀をして見せると、落ち着かないように席を立った。


「まぁ、こちらとしてもリーゼを捕まえるための手は既に打ってありますからね。とにかく、僕は事業の整理がありますから。後のことは頼みましたよ」

「わたくしも諸事雑務がありますので、ごきげんよう」


 言いたいことだけ言って、

二人はそそくさとルロイの事務所を後にしたのだった。


「やれやれぇ……」


 誰も居なくなった執務室でルロイは投げやりで自嘲的じちょうてきつぶやきを漏らした。ずいぶん一方的な依頼とは言え、今回の件は自分が関わった仕事の後始末と言えなくはない。

真実の神の加護を授かる「魔法公証人」たる者の近くで遺言書の不正な偽造がありそれを許してしまったとあっては、職業的な信頼からも信仰上の道義からもルロイ・フェヘールの名がすたる。

 ルロイは仕事に取り掛かるため、外出用のケープを羽織はおって急いで事務所から飛び出したのであった。

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