第44話 台湾スーシー


 怪しげなドアを開け、中に入ると外装とは一転、きれいな内装で、白シャツ、黒ベストのギャルソンが出迎えてくれた。店内はすべて個室となっており、あたし達は小さな個室に通された。中央には大理石のテーブルがあり、その中央がくりぬかれて焼き肉の網がかかっている。網の下には空洞になっており、厨房で用意された備長炭がそこにはめ込まれるという仕組みになっている。ギャルソンがメニューと一緒に、バインダーに挟まれたアンケート用紙のようなものを置いて行く。注文が決まったら、席に備え付けのボタンを押してほしいとの旨を告げ、注文時にそちらの誓約書にサインをしてほしいとのことだった。

 アンケート用紙ではなく、誓約書のようだった。そこには、当店で食べた料理について、一切の口外をしない事、どんなものを出されても一切のクレームをつけないという内容だった。堂嶋さんはさっと目を通した後、すぐにサインをして脇にどかす。メニューを広げて吟味する。

 メニューには、その名を見てもすぐにぱっとイメージのわかない言葉が並ぶ。

 月夜、さくら、もみじ、かしわ、ぼたん、ざくろ……一見して焼肉のメニューではなさそうではあるが、たしかにいくつかは肉の名前として覚えのあるものもある。あたしの頭に浮かぶはクエスチョンマークを読み取った堂嶋さんが説明を入れてくれた。

「植物の名前は、それぞれが何の肉かを表している。江戸時代、徳川綱吉が生類憐みの令を発令した際、公に食肉することを禁じられた町民はその肉の名を植物の前で呼ぶようになった。月夜はうさぎ、柏は鶏、桜が馬で、牡丹は猪、紅葉が鹿だ」

 説明を聞きながらメニューをなぞり、それぞれがなんに肉なのかを頭の中で整合させていく。堂嶋さんの説明の中で唯一何であるのかを語られていない植物が柘榴。それがいったいなんであるのかをここで口に出すのは無粋と言うものだろう。柘榴の名のつく肉だけが金額がべらぼうに高い。他のメニューとは桁がひとつちがう。しかしそれでもちょっと無理をすれば庶民でも手が出るぎりぎりのラインと言うところだろう。

 ボタンを押して店員を呼んだ堂嶋さんは誓約書を店員に渡すと、迷うことなく柘榴のメニューだけをひととおり注文する。頭でざっと計算するだけでも恐ろしい金額になりそうだ。

 ひととおり注文をして、ギャルソンが個室を出て、再び部屋にふたりきりになると、堂嶋さんは注文の品が届くまでにちょっとした話をしてくれた。

「香里奈君は台湾素食(たいわんすーしー)と言うのを知っているかい?」

「寿司?ですか」

「スーシーだ。菜食のことを指す。台湾は人口の一割がベジタリアンと言う菜食国家でもあり、台湾で主に食べられるベジタリアン料理をそう呼ぶ。この料理、他国のベジタリアン料理とは少し違い、味付けも結構しっかりしていて、肉食派の人が食べても違和感を感じないほどにしっかりとした味わいだ。それにそのもっとも特徴的なのは、所謂もどき料理だ」

「もどき?」

「そう、台湾素食では湯葉やグルテンを使って様々なもどき料理を作る。見た目がまるで海老だったり、ウナギだったりと言うものだ。これがなかなか見事な技術で、ちょっと見ただけではホンモノのウナギと区別がつかなかったりする」

「……なるほど、それは結構な皮肉ですね」

「ああ、その通りだ。本当の菜食主義なら、わざわざ手のかかるそんなものをつくる意味なんてないんだ。本当はウナギやエビが食べたくて食べたくて仕方がないが、食べてはいけないという意思の方を優先して、替わりに偽物を食べて我慢しているということだ」

「……結局、食べ物に対して、それに向き合う人間が何を考えるか、なんですね……」

 そして会話にひと段落が付くタイミングを待っていたかのように(あるいは本当に待っていたのかもしれない。この個室のどこかに盗聴器でもしかけていて、部屋の外でそれを聞いていたということだって考えられなくはない)〝ざくろ肉〟が運ばれてくる。赤身の肉を中心に、見ただけではどこの肉なのかよくわからないような内臓肉。

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