香里奈の休日

第31話 休日のオムライス

牧瀬香里奈の休日



 カーテンの隙間からこぼれる光で目を覚ます。

 目覚ましをセットしていない休日の朝は体が可能な限り寝ようと決めているがさすがにそろそろ限界のようだ。

 ボロい学生寮の一室は湿気がたまり暑苦しさを感じる季節になってきた。寝返りを打って汗に濡れたシャツが風に当たると少し冷たくて心地いいが、またすぐに生あたたくなって気持ち悪くなってしまう。太陽はすでに真上近くまで昇り、四月末の連休の室内をいやおうなく温め続けている。諦めて布団を出たあたしはシャツを着替え、寮の一階の食堂兼調理室へと降りていく。

 30畳ほどもある大きな食堂はよく言えば寮内のリビングルーム、正確に言うなら談話室を兼ねているが、いつもと違ってシンと静まり返っている。

 もちろん今の時間がいつもの朝食時間よりも明らかに遅いということもあるが、言うなればすでに昼食時間にだって近い。そもそもこの場所はいつなんどきだってそれなりの人数がいるのが普通だ。にもかかわらずそうでないというのは今日が世に言うゴールデンウィークというものなのだからだろう。

 あたしが住むこの寮は、本来都内の調理学校へ通う生徒のために用意されている学生寮だ。あたしも調理学校へ通い始めた際にこの寮に住むようになり、卒業したにもかかわらずいまだもってここに住み着いたままだ。

だがこれは決して違反などではない。

この寮には全部で30人以上が住んでおり、その大半は言うまでもなく調理学校の生徒なのだが、その卒業生も希望者は5年間まで住んでいいことになっているため、卒業後もここに居座り続けるものは少なくない。

コックという仕事は基本的に勤務時間こそ長いが、その初任給は驚くほどに安い。そのため一人暮らしを始めたくてもできないというものも少なくないが、それとは別に〝入居者はこの寮の食堂と調理場を自由に使ってよい〟という条件が魅力だというものもいる。

調理学校を卒業してプロのコックになったとはいえ、職場ではまだまだ見習い程度の仕事しかさせてもらえない新人のうちは、料理をしたくてもお店の大切な食材や道具を自由に使わせてもらうことなどできるわけもなく、こうして大きな設備で自分の自由に料理できる場所というのはありがたい。せっかく教えられた仕事も実践を踏まえなければ身につかない。

したがって、たとえ休日であってもこの調理場はいつだってコックと調理学校の学生とが何らかの作業をしていてしかるべきだが、いかんせん今日はゴールデンウィーク期間中。普通のコックは言うまでもなく仕事で、むしろなかなか休みを取りにくい期間ではあるし、学生たちもほとんどはアルバイトをしていて、言わずもがなその内容は飲食店でのアルバイトだ。したがってそんな日の、こんなお昼時に暇をもてあましているようなコック(&コック見習い)ほとんどいない。あたしのような公務員調理師を除いては……。

お腹が減ったなと思いつつ、調理場の方へと入ったところで二人の学生が食堂へとやってきた。二年生の斉藤さんと菊池さんだ。無口な斉藤さんと賑やかな菊池さん、大体二人組というのはそういう組み合わせが都合がいいのかも知れない。あたしと堂嶋さんのように。

「あー、牧瀬先輩だー。こんにちわー。今からお昼ですかー」

 と駆け寄ってくる菊池さん、斉藤さんはその隣で黙って会釈をする。

 ――『お昼ですか』と聞かれて少しだけ恥ずかしくなる。こっちは朝食のつもりでいた。簡単にオムレツでも作って食べようと卵を割ったところで菊池さんが、

「ねー、牧瀬せんぱーい。あたし達のも作ってくださいよー」

 とおねだりをする。斉藤さんはそんな菊池さんに図々しいと抑制するが、菊池さんは、

「えー、だって牧瀬先輩って人肉調理師なんだよー、超エリートだよー、牧瀬せんぱいのゴハン、たべたくなーい?」

 と斉藤さんを説き伏せる。さすがにそうまで言われるとこっちも断るわけにもいかない。

「まあ、簡単なものでいいなら」

と、少し気取って安請け合いする。「やったあー」と喜ぶ菊池さんを横目に密かに闘志を燃やす。かわいい後輩学生に人肉調理師(見習いだけど)の実力というものを見せてやる。


せっかく割った卵を無駄にはしたくないので、おひるごはんはオムライスをつくることにした。もちろん、簡単なおひるごはんとしてつくるものなので極めて簡単なつくりかたで造る。

まず、三人分のお米を炊かなくてはならないので、無洗米2合をフライパンに入れる。そこにごく少量のサラダオイルと塩胡椒、それに顆粒タイプのコンソメを小さじ一杯加える。フライパンを火にかけ、全体にサラダオイルが馴染み、米が少し温かくなりはじめると顆粒のコンソメが溶けだす。そのタイミングで火からおろして炊飯ジャーに入れる。冷たい水400mlを注いで軽く混ぜ合わせ、その上に塩胡椒をした鶏もも肉を一切れ入れて早炊きモードでスイッチを入れる。

大体10分もあれば炊き上がる。たとえ蒸らし時間がなくてまだ芯が残っていても最後に炒め合わせるころには火が通っているだろう。お米にあらかじめサラダオイルがなじませてあるので炊飯ジャーで炊いても粘ることがなく、炊きあがりの状態ですでにパラパラに仕上がる。

その間にソースを用意する。鍋に赤ワインを注ぎ、煮詰めたところで水とブロック状のハヤシライスの元を入れる。沸騰させて全体にとろみがついたところでダイスカットしたトマトの水煮と焼き肉のたれを少量加えてひと煮立ちさせてソースの出来上がり。

フライパンでミルポワ(玉ねぎ、人参、セロリなどの香味野菜の粗みじん切り)をバターで炒める。炊き上がったチキンライスの上の鶏肉を取り出して、ミルポワと同じ大きさに切り、フライパンに入れて一緒に炒めたら、フライパンの火を強火にして、トマトケチャップを加える。ケチャップが沸騰してから炊飯ジャーのチキンライスを入れて手早く炒め合わせる。

ケチャップはあらかじめ加熱、沸騰させておくことで仕上がりのケチャップライスがべたつかなくなり、余計な酸味も和らいでまとまった味に仕上がる。ケチャップライスはオムレツを焼く前にお皿に盛りつけておく。

フライパンにサラダオイルを敷き、オムレツを焼く。オムレツは一人前につきMサイズの卵2個と塩胡椒、それに少量の生クリームを加えて軽く混ぜ合わせておく。フライパンに入れた玉子は初め素早くかき混ぜ、固まりかけたところでフライパンの先端の方へまとめる。あとはフライパンを左手で持って(右利きの場合)空中で玉子の入った先端が下になるように斜めにする、右手で握り拳をつくり、フライパンを握った手首を軽くトントンとたたく。無理に巻こうとしなくても叩く手の角度さえ正しければオムレツは勝手に形が整っていく。いざ、慣れてしまうとこんなに簡単なことはない。

オムレツをケチャップライスの上に乗せ、ナイフで切りこみを入れるとオムレツは真ん中から二つに割れ、ドーム型に盛られたケチャップライスを包み込む。上からソースをかけて出来上がりだ。米を炊きはじめてから、大体20分もあれば完成する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る