牛フィレ肉と亜由美フォアグラのロッシーニ
第16話 牛フィレ肉と亜由美フォアグラのロッシーニ風
牛フィレ肉と亜由美フォアグラのソテー・ロッシーニ風
朝8時30分。人肉調理師(見習い)であるあたし、牧瀬香里奈はいつも通り調理指導者である堂嶋哲郎のアトリエへ出勤する。一般の料理人とは違う、この人肉調理師と言う特別な職業はレストランに勤務しているコックとは少し違い、毎日常にお客様のもとで調理するわけではない。
まず、管理局からの連絡があり、その情報をもとに遺族のもとに出勤することになり仕事に取り掛かる。つまりそれは、ひとが死んだことを意味するわけで、本来ならば仕事がないことこそが好ましいと言える。しかし、それで成り立つ仕事と言うものはない。ひとはいつか必ず死ぬもので、ひとが死ぬからあたしたちの仕事が存在する。
そして、誰も人が死んでいない平和は日は、こうしてアトリエに出勤して料理の訓練、研究に時間を費やすのだ。そして現在、堂嶋さんはあたしと言う見習いの指導も請け負っているので、特に指名がない限り、他の調理師に比べるとあまり仕事を回されないらしい。ただでさえ、人肉調理師の数が足りていないとささやかれている昨今、実に悠長なことだ。
なればこそ、あたしは一刻も早く一人前の人肉調理師として認められるようになり、遺族に素晴らしい料理が提供できるようになるため、日々の努力を惜しむわけにはいかない。
あたしがアトリエへと出勤した時、決まって堂嶋さんは先に出勤している。そしてカウンター席に座ってのんびりと音楽を聴いているのだ。音楽は大体がクラッシック音楽だ。カウンターの椅子に座り、目を瞑って音楽に聞きほれている。たぶん友達にいると、少しだけうっとうしいタイプの人間だろう。本人いわく、この狭くて床も壁もコンクリートの打ちっぱなしと言うアトリエでは音がうまく反射してくれらしいのだ。大体何日かは同じ曲を聴いて、飽きてきたころにちがう曲に変えるという生活習慣なのだということに気付き始めた、四月の中ごろの出来事だった。
「あ、今日はまた違う曲になってますね」
昨日まで連続で数日間ドヴォルザークを聞かされていたが、今日からはまた違う曲になっている。知らない曲だ。
「これ、なんていう曲ですか」
「ロッシーニの泥棒かささぎと言う曲だ。演奏時間がちょうど十分くらいで、パスタをゆでる時間にちょどいい」
「はあ、今日はパスタを茹でるんですか? いや、別にそういう話をしているわけじゃない。でも、ほら、この曲を聴いていたら突然妻から電話がかかってきて、それっきりもう家に帰ってこなくなる気がするんだよね」
「なんの……話をしているんですか」
「いや、別に……なんでもない」
「あれ、それより妻って、堂嶋さん、結婚してたんですか?」
「ああ、してるよ」
「へえ、そうなんですか……」
と、一応返事だけはしておく。別段そのことに興味はない。ただ、こんな変わった人と結婚しているという奥さんも奥さんで随分風変わりな人なんだろうなと想像してみた。
「ところで堂嶋さん。ロッシーニって……作曲家の名前ですか? 変な名前ですよね。なんだか料理の名前みたいです」
「……あのね、香里奈君。たぶんそれは君の持っている認識の方が間違っていると思うよ。普通、ロッシーニと言えば作曲家の方だ。料理名だと思うのは単に君が料理以外に興味がないからに過ぎない。良かったら君も芸術と言うやつに少しばかり触れてみるのも悪くないかもしれないな。コックなんて言う職業は基礎さえ学べばあとはセンスの問題だからね。そのセンスを磨くという意味でも芸術に触れてみるというのもいいだろう。現に料理人の多くはそう言った分野の趣味を持っている人が多い。その点においてもこのロッシーニと言う人物はもっとも有名な人物だと言えるんじゃないかな」
「そんなに有名なんですか、その作曲者」
「ああ、ロッシーニはイタリア、ボローニャ出身の音楽家で、特にオペラの分野ではとても有名だ。イタリアのモーツアルトと言う異名を持ち、ショパンも彼の曲の大ファンだったいう。特に浮たち、弾むようなクレッシェンドを好んで使い、ロッシーニクレッシェンドとも呼ばれるが、晩年はあまり作曲活動をしなくなり、どちらかと言えば美食家として名をはせるようになった。香里奈君の言っている料理の名前、と言うのは美食家である彼、ロッシーニにちなんでつけられた名前だ」
「え、じゃあ、音楽のロッシーニと料理のロッシーニっておんなじ人のことなんですか?」
「ああ、そうだよ。晩年のロッシーニは音楽よりも食に興味が移っていて、レストランなんかも経営している。音楽でも『アンチョビ』とか、『ロマンティックなひき肉』など、料理にちなんだ曲を多く作曲するようになった」
「ロマンティックなひき肉って……完全に病んでますね」
「取りつかれている。といいた方がいいかな。ロッシーニは肥満で死んだとも言われているが、その年は76歳で、当時としてはかなりの長寿だと言えるだろう」
「好きなもの食べて長生きしたって、そりゃあ幸せな人生だったんでしょうね。ところでロッシーニ風って、とくに有名なのは牛フィレ肉とフォアグラとトリュフの組み合わせが有名ですよね。でも、フォアグラって大体鴨とかガチョウでしょ。それなのに牛肉っていうのはどうなんだろうって…… ほら、欧米では日本と違って一つのお皿に肉と魚を混ぜてしまうことを嫌ったりするじゃないですか。なのにそこはあまり気にならないのかなって」
「たしかにね。その事もあって肉は鴨肉を使うというコックだってそれなりにいるさ。でもまあ、美味しければなんだっていい。そういうことだ」
「そう言うところは日本人の方が神経質かもしれないですね。親子丼とか、別に玉子なんてどんな料理にだって使うものなのに、あえてそこが親子であることを強調したがるなんて、ホント神経質だと思います」
「ロマンティック……なんだよ」
「ちなみにあたしはサーモンのお刺身といくらで造る〝鮭親子丼〟が大好きです」
「なら僕は、美人の母子を同時に愛でるという親子どんぶりに一票」
「あ、それ完全にセクハラですから。後で管理局に報告しときますね」
などとくだらないことを言いながら仕事を始める。お昼ご飯をつくるのはあたしの仕事なので、今日の昼ごはんは親子丼にしようと思った。
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